1996年 ブラジル・リオデジャネイロの
警察の留置所で兄弟が
10余年ぶりの劇的な再会をしました。
それぞれが別の場所で盗みを働き、
捕まったことで劇的な再会に繋がりました。
劇的な再会には違いないのだろうけど
このような再会の仕方を
本人達はどう思ったのでしょう。
「なんてこった。神様に感謝いたします。
これも盗みを働き続けていた御陰だ。」
と思うことは
さすがにないと思うのですが、
どうなんでしょうかね。
喜びに加えて自分達の行動を恥じて
自戒の機会とならないようなら
この兄弟の悪行の根っ子は、
かなり深いものがありますよね。
上の兄弟がどうなのかは分かりませんが、
御都合主義の人は、
自分が気に食わないこと全てを
人や環境の所為にして
自分がマシになるには
周りが変わる必要があるとして
自分を顧みません。
これらは心の底に
自分は変わることが出来ないとか、
無意識で変わりたくなどない等の
気持ちが存在していたりします。
悲観主義者は、風に恨みを言う。
楽観主義者は、風が変わるのを待つ。
現実主義者は、帆を動かす。
by ウィリアム・アーサー・ウォード