1984年 イタリアの港町でバイクの男が
女性のハンドバックを奪って逃走しました。
間もなく逮捕された犯人は、
なんとまあ被害者の息子でした。
このようなことがあるんですねえ。
親兄弟や親しい友人と正対しなくても
後ろ姿や歩き方や装いや髪型等々から
少し離れた所にいても「あれ?◯◯がいる。」なんて
気が付いたりするものですが、
犯行時の緊張や興奮によって
人物認識センサーが働かなかったのかもね。
確か日本の法律では配偶者や肉親から財産、
お金を盗んだ場合には、被害者から申告がなかったり、
犯罪が成立しても刑が免除されたと思うので
イタリアも同じような法律であった場合には
母親と分かっていて
ヒッタクリをやった可能性………まあ無いか。
私達の潜在能力は、顔がハッキリと見えなくとも
それ以外の僅かな情報で
人物の判別を行うことが出来たりしますし、
親しい人かそうでないかの判別だけではなくて
正対している人物や自分の行動選択に
危険が伴うかどうか等々、
感覚的に伝えてくれたりもします。
巧言令色で近づき欺こうとする人。
無理な投資をしようとする時。
身成が立派で顔付きスタイルも美形だけれども
付き合えばお金がどんどん減っていく人等々、
自分の心は、必ずと言って良いほど
心の声や肌感覚で危うさを知らせてくれるものです。
それら心の声を聞こえなくさせたり
感じさせなくさせるのが興奮や驚き。
そして、
苦しんでいて心のゆとりを失くしている時等に
正しくない選択をしてしまうものです。
悪い行いに長けている人は、
上手にそれらを刺激して
ターゲットの心の声を聞こえなくさせてます。
(オレオレ詐欺もそう。投資詐欺もそう。)
何かの重要な判断をする時ほど
心を落ち着けて自分の心の中からの囁きに
耳を傾けたいものです。