「レ・ミゼラブル」の作者で
フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーは、
幼馴染のアデールと大恋愛の末に
彼女が17歳の時に婚約しました。
以後、ヴィクトル・ユーゴーは
結婚するまでの半年間は、
ひたすら「恋愛詩」だけを
書きまくったそうです。
母親は、幼馴染のアデールとの結婚に
猛反対していた母親のソフィーが他界し、
ユーゴー家には二度と娘を合わせないと
誓っていたアデールの両親も
ユーゴーの情熱に折れて二人の結婚を了承。
こうして二人の大恋愛が
成就されることになるのですが、
やがて妻アデールが不倫に走ります。
ユーゴー本人も女優と不倫状態となり、
何かが弾けたように
複数の女性と関係をもったようです。
ヴィクトル・ユーゴーが
そうだとは言いませんが、
仕事で重要なポストについているとか、
芸能、小説家、スポーツ選手等の有名な人ほど
周囲からの大きな期待や重責を背負い、
それに応えようとするあまりに
仕事にのめり込むことで
大切なパートナーとの関わりが疎かになり
不倫への危険性が高まるような
気がするんですよね。
結婚は、永遠に仲良く出来る保証書ではなくて
永遠の愛を誓うことなので
愛の大部分が他のことに注がれると
宜しくない何かが起きても不思議ではありません。
何かの頂きに到達するには
第一歩を起こすことが大切だと言いますが、
継続し成熟させていくことはさらに大切ですね。
人間不器用な人の方が多いと思われますが、
その不器用さに免罪符を与えようとして
自分の成功は愛する妻のため、
家族の為とする大義名分で、
自分を少し救うことが出来るかもしれません。
それが誤魔化しでしかないにしても
大切な人への間接的な愛情であったとしても
大切な人との関係が薄れていっては
力を注ぐその何かに
一体どれほどの意味があるのだろうか。