1992年(平成3年)福岡地裁は、
被告の男が原告の女性に性的な嫌がらせをしたことは
民法709条の不法行為にあたるとして
慰謝料150万円の支払いを命じました。
この裁判が日本で最初のセクハラ裁判と言われいます。
原告の女性は、
大学卒業後に小さな出版社に入社し
直ぐに編集長の穴埋めをするまでになった頃に
活躍するにつれて大学の先輩だった編集長から
嫌がらせが始まったそうです。
原告の女性への性的な中傷は2年半の長きに渡り
精神的に限界を感じて親会社の社長や
会社の専務に個別に相談しましたが
問題は、何一つ解決しなかったどころか
退職するように通達されます。
納得も我慢できない仕打ちに対して
このまま流れていくことを受け入れらずに
弁護士と多くの支援者から背中を押されて
平成元年8月に元上司と会社を提訴して
日本で最初のセクシュアル・ハラスメント裁判となりました。
原告の女性が上司から受けた中傷は、
大学の先輩でもある上司が自分の立場を脅かすかもとの
情けなくみっともない嫉妬心や危機感からであり、
相談した会社の対応もかなり酷いので
その精神的なダメージは、かなりのものだったことでしょう。
ここまで個人の尊厳を蔑ろにされたら
恐れながらと御上の力を借りてでも
上司と会社に何らかの社会的な報いを
受けてもらいたくなるでしょうね。
ただこの裁判をきっかけに虎視眈々と
悪い奴はどこや~と生贄になる対象を探しては
ハラスメントという概念を強力な正義の剣に仕立てて
ばっさばっさと切りかかるような集団や組織には、
腹立たしく思ったりもするんですよね。
確かに正義の刃で切りつけていたとしても
それが正義の行動かどうかは別の話で
使いようによっては正義の刃が
只の凶器になることもあるかも知れません。
磨いた刃を懐に偲ばせるのも良いとは思いますが
それ以上にあらゆる邪悪を払うイージスの盾を装備する方が
やわらかな人間関係を作れような気がするんですよね。