1884年 イギリスの死刑囚の男が
処刑台に登り首にロープを巻かれ
処刑装置のレバーが引かれても落し戸が開かなかったため
死刑執行が一旦停止され、やり直されたが
3度も結果だったことから処刑を免れました。
この男は、刑を減刑され22年間後に出所し
結婚した後にアメリカに渡ったとのこと。
この原因は、死刑台の構造が原因で
落とし戸が湿気のために膨張し重量がかかると
落し戸が開かなくなったためとされていて
この頃、死刑囚の男の他にも
同じようなことが複数あったようです。
日本でも明治初期(1872年)に
死刑執行された男が蘇生しましたが、
生き返ったとしても既に法に従い刑罰として
死刑執行は完了しているので
再び執行する理由はないとされた例があるようです。
現在、世界で死刑を廃止している国が増えているようで
それらに影響を受けたのか、それらに乗っかってなのか、
死刑廃止を訴えている人権派とされる弁護士達がいます。
この人達は、国が法を理由にして人を殺すことは
正義ではないとの理念を主張したり、
冤罪の危険性があるからと捜査や裁判の
間違いの可能性を主張したり、
現在の死刑のやり方は
残酷であると方法を批判する様子から
私的には、死刑廃止制度は廃止するべきとの理由は、
ただの理屈のような印象を受けてしまいます。
日本の国民の大多数は、
死刑制度存続することを肯定していて
死刑判決を下される犯人の場合は、
かなり凶悪犯に限られている感があり、
尚且つ日本の死刑判決後の刑の執行は、
法務大臣の怠慢と言うのか、
かなり慎重な姿勢と言うのか分かりませんが、
冤罪の可能性が僅かでも残されている死刑囚だけでなく
犯人であることが明らかな死刑囚であっても
何十年と刑を執行されずにいることから
死刑判決の現状は、
終身刑的な要素が感じられるものとなっているので
これに異を唱えている人権派弁護士については
どうかと私的には思ったりしています。
また裁判においても
死刑回避するために無茶苦茶な弁論を展開したり
情に訴えたり、安易に心の問題にするなど
死刑制度を肯定する大半の国民の怒りを誘い
国民の気持ちを死刑判決を望む方へと誘導しているかのようにも
感じられる行動は、とても頭の良い人達が取る
行動とは思えません。
まるで弁護を諦めているかのような印象を感じるし、
あたかも死刑を求刑された被告人を利用して
自分達の主張を喧伝しようとするかのようにも感じます。
自分達の理念の為じゃなく
犯人に寄り添い犯人の為の弁護をして
裁判官や国民が犯人への理解を深め、心を動かし、
死刑判決一択とは言えないかもなと思えるような
弁護を期待するところです。