1973年 群馬の伊勢崎署は、
強盗に押し入った45歳の男を逮捕しました。
この男は、それで大丈夫と思ったのか
被害者宅に盗んだ15万円の借用書を
置いていったことが逮捕に繋がった。
借用書を残すことで
強盗に入り15万円を奪い取った犯罪行為を
これは強盗ではなく借金をしただけに出来ると
犯人の男が本気で思っていたとは
到底思えないですよね。
単に金額が書き込まれただけの借用書なら
被害者や警察を愚弄する意図があったとも
考えられますが、
この借用書から逮捕に繋がったとのことなので
犯行現場に置かれていた借用書には
まさかと思いますが実名が署名されていて
住所も書かれていたのかも知れません。
だとしたらこの犯人は罪悪感から
大悪人から少しでも善人の方へ
立ち位置を引き戻したい気持ちからだったのか、
明日のご飯も食べられないほどお金に困っていて
切羽詰まり盗むしかないと犯罪を行ったが
奪ったお金を被害者に返したい気持ちが
その時には少なからずあって、
申し訳ありません。今回はこういう形で
お金を奪ってしまいましたが、
奪ったお金は必ずやお返しにあがります。
的な感じ。
仮にそうだとしても
その時の気持ちが本気だったとしても
その気持ちを持ち続けていたとしても
被害者や警察に犯人が誰であるのか分からない。
ならそれは、わざわざお金を返さなくても
良いのと同じような状態なので
給料の中から返すお金をコツコツと貯めて
お詫びの言葉とお金を封筒に入れて
そっと郵便受けになんてことは
そうはいないのではないでしょうか。
人間、弱い部分があるしズルい部分があるので
こんなことは中々出来るものではないと思うんですが
上の様なことが実際にあったなんてニュースを
随分前に目にしたことがあります。
それでもかなり驚くのですが
強盗が家主の話を聞いて同情し
お金を盗むのではなくてお金を置いていったなんて
落語の『夏泥』のような出来事が
実際にあったというニュースも目にしたこともあって
犯罪者の心の中にも良心とか、
仏の心があると言うことなのかなと。