警察署から逃亡した樋田淳也の
山口県で捕まるまでの日々は、
行く先々で、万引きで食料を確保しながら、
生き延びていたようですし、
2007年に、
リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害して
逃走していた市橋達也は、
沖縄県のオーバー島のコンクリート小屋で
魚やヤシガニや蛇を捕まえての
自給自足の潜伏生活をしていたようなので、
両者とも困窮した生活を
日々送っていたと思われます。
現代の刑務所は、昔とは違って、
施設内に拘留されはしますが、
人間としての尊厳を保てるようにと
すこぶる待遇が良くなっていると聞きます。
医療体制を整え、冷暖房完備、
ベットに布団、三食付きで、
しかも全てが無料。
もう逮捕、拘留されているというより
国家から保護をしてもらい
衣食住の保証をしてもらっているのではと
勘違いをしてしまうほどです。
しかも、刑期を終えて出所した後に、
普通にテレビに何度も出演をしたり、
国会議員にさえ復帰する人がいたりするのを見ると、
必ずしも出所後の生活に
致命的なダメージを及ぼすとは思えません。
であるのにも関わらず、
安定した生活を約束された
刑務所暮らしを選択せずに、
逃亡犯となり、
わざわざ厳しい生活を選択するのは
何故なんだろうと思ったりします。
有難いことに、
今まで刑務所暮らしをせずに
暮らしてきた私の様な者には、
逃亡犯の本当の気持ちを完全に理解など
出来ないとは思いますが、
勝手に推察させてもらうと、
一見、愚かに見える選択をわざわざするのは、
自分の気持ち、自分の意思で
それをしているのか、
誰かに強要されているのかの違いなのかなと
思ったりします。
私達の心の仕組みは、
安定を得れる不自由よりも
厳しくとも自由を感じられるものを
優先するようになっているのかもしれません。
であるなら、
「何でいつも頑張れないんだろう。」
「何で止められないんだろう。」
「何で自分はだらしがないのだろう。」
のように、
ついつい自分を否定したり責めたりしがちな場合、
それは自分の気持ちで、自分の意思で、
その時の自分にとって優先順位の高いものを
選択しているのだと捉え方を変えることで、
少なくとも自分を否定し責めることから抜け出し、
違う世界が見えてくるかもしれません。