今月初めから、老親介護のため実家に戻っていました。
その間にも、アクセスをしてくださる方がたくさんいらっしゃったようです。
ありがとうございます。
そして、「しばらくお休みします」というエントリーにコメントを下さったsabuさん、お気遣いいただきありがとうございました。
また、「まちづくり考」にトラックバックしていただきました「単身赴任 杜の都STYLE」の自由のランナーさん、ありがとうございました。
さて、約2週間お休みをさせて頂いた理由は「老親介護」のためでした。
実は、父の入院は「前立腺肥大」によるもので、手術さえしてしまえば後は回復の一途と言う状態でした。
しかし、以前から老年性の認知症(=老人性痴呆症)の症状が現れはじめていた母の介護のほうが、大変でした。
「老年性認知症」と言っても、個人差があるので現在の母の状態がどの程度のものなのか分からないというのが、本当のところです。
夜間徘徊などの症状は無いので、認知症の初期段階ではないでしょうか?
ただ、私が以前から把握していた状態よりも相当進行?しているような印象をもちました。
以前は、「毎日が日曜日」状態で「日にちや曜日が、わからなくなる」という程度だったのです。
現在では「夢と思い出と現実の狭間を行き来している」という状態。
その為、真夜中に突然起きて「○○さん、元気かしら?」と言ってみたり、「お母さん(=私の祖母で20年前に死去)のお見舞いに行かなくては」と言ったりということの繰り返し。
もちろん、それは昼間も同様にありました。
そして、肝心な父の入院については、どれだけ理解しているのか分からない。
ただ、そのような話や行動に付き合ってみると、それら総てが母にとって大切な「思い出」であり、眠りが浅いためなのか「夢と現実の区別がつかない」ということが、次第にわかってきました。
特に、母にとって父の存在は大きく、入院という事そのものが「受け入れ難い」ことのように思えました。
その為に「父の入院もしくは病気」という話になると、しつこいくらいに「どうして、お父さんはお母さんに何も話さずに、入院したの?」「どんな病気か話してくれない」と「愚痴る」のです。
「年をとると、昔の話ばかりする」と言われますが、その「昔話」は、「本人にとって、とても良い思い出が中心」のようです。
母の場合、まだまだ親の庇護の下伸びやかに過ごした少女時代の頃、大人になり大好きな人!(=父)と始めた結婚生活や転勤先で出会ったよき友人達とのこと等ばかり。(私たち子どものことの話など、一切無し!(笑))
子どもの私が知らなかった、「生き生きとした若かりし母の姿」の話のようにも思えました。
けっして「痴呆症=人格が壊れる」のではなく「夢と思い出の狭間を行き来している時間が長くなり、現実の時間が無くなるということではないか?」という気がしています。
もちろん、これから先母の認知症が進行していけば、もっと違った見方をするようになっていくとは、思いますが・・・。
そして、今回のことで初めて両親のご近所の評判を知ることができました。
ご近所でも評判の「仲睦まじい老夫婦」のようです。
少し安心をしました。
その間にも、アクセスをしてくださる方がたくさんいらっしゃったようです。
ありがとうございます。
そして、「しばらくお休みします」というエントリーにコメントを下さったsabuさん、お気遣いいただきありがとうございました。
また、「まちづくり考」にトラックバックしていただきました「単身赴任 杜の都STYLE」の自由のランナーさん、ありがとうございました。
さて、約2週間お休みをさせて頂いた理由は「老親介護」のためでした。
実は、父の入院は「前立腺肥大」によるもので、手術さえしてしまえば後は回復の一途と言う状態でした。
しかし、以前から老年性の認知症(=老人性痴呆症)の症状が現れはじめていた母の介護のほうが、大変でした。
「老年性認知症」と言っても、個人差があるので現在の母の状態がどの程度のものなのか分からないというのが、本当のところです。
夜間徘徊などの症状は無いので、認知症の初期段階ではないでしょうか?
ただ、私が以前から把握していた状態よりも相当進行?しているような印象をもちました。
以前は、「毎日が日曜日」状態で「日にちや曜日が、わからなくなる」という程度だったのです。
現在では「夢と思い出と現実の狭間を行き来している」という状態。
その為、真夜中に突然起きて「○○さん、元気かしら?」と言ってみたり、「お母さん(=私の祖母で20年前に死去)のお見舞いに行かなくては」と言ったりということの繰り返し。
もちろん、それは昼間も同様にありました。
そして、肝心な父の入院については、どれだけ理解しているのか分からない。
ただ、そのような話や行動に付き合ってみると、それら総てが母にとって大切な「思い出」であり、眠りが浅いためなのか「夢と現実の区別がつかない」ということが、次第にわかってきました。
特に、母にとって父の存在は大きく、入院という事そのものが「受け入れ難い」ことのように思えました。
その為に「父の入院もしくは病気」という話になると、しつこいくらいに「どうして、お父さんはお母さんに何も話さずに、入院したの?」「どんな病気か話してくれない」と「愚痴る」のです。
「年をとると、昔の話ばかりする」と言われますが、その「昔話」は、「本人にとって、とても良い思い出が中心」のようです。
母の場合、まだまだ親の庇護の下伸びやかに過ごした少女時代の頃、大人になり大好きな人!(=父)と始めた結婚生活や転勤先で出会ったよき友人達とのこと等ばかり。(私たち子どものことの話など、一切無し!(笑))
子どもの私が知らなかった、「生き生きとした若かりし母の姿」の話のようにも思えました。
けっして「痴呆症=人格が壊れる」のではなく「夢と思い出の狭間を行き来している時間が長くなり、現実の時間が無くなるということではないか?」という気がしています。
もちろん、これから先母の認知症が進行していけば、もっと違った見方をするようになっていくとは、思いますが・・・。
そして、今回のことで初めて両親のご近所の評判を知ることができました。
ご近所でも評判の「仲睦まじい老夫婦」のようです。
少し安心をしました。