日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「いただきます」と「ごちそうさま」-崩れる日本の生活美意識-

2005-09-28 19:22:38 | アラカルト
「ソニーの行方」と「ホワイトバンド、LOHAS・・・流行に注意」に、トラックバックを下さった、「時事を考える」さん、ありがとうございました。

そのブログに「キレル小学生の教育は親の責任か?」という、エントリーがありました。
そのトラックバックに、「Pagan(異教徒)の説話」という方の「私たちは、「いただきます」と言わせないで!という親を、納得させられる言葉を持っているのか?」がありました。
まるで「箍の外れた社会」のような気がした。

給食で「いただきます」というのは、当たり前だと思ってきたし、両親も当然のコトだと躾けてきたと思う。
それは「お金を払う」のではなく「ご飯を食べるための、様々なモノ・コトに感謝する」という、日本人の豊かで謙虚な生活観から自然発生的に出来上がった「生活美意識」だったのではないだろうか?
そのような「生活美意識」は、むしろ万国共通のモノなのではないだろうか?
それが、通用しないのが今の日本の社会だとしたら・・・。
そして、「何故『いただきます』が、大切なのか」説明できないとすれば・・・。

「いただきます」と対をなす「ごちそうさま」についても、レストランで食事をしていれば、サービスをした人たちにする必要は無い。という感覚にも驚かされる。
それも、それなりの年齢を経た女性からというのには・・・。
サービスを提供する人は、何もレストランの人だけではない。
その食材を集める人、農業や漁業、畜産業など本当に様々な人が一生懸命になったモノが、私たちの口に入るのだ。
その人たちへの「感謝」を含んだ言葉が、「ごちそうさま」になっていたのではないだろうか?

「お金を出す=買っているのだから、「いただく」訳ではない」、「食べ物を注文したのだから、「ごちそうさま」ではない」というのは、「言葉として正しい」ということなのだろう。
その感覚って、人生を「勝ち組み・負け組み」といともたやすく分けてしまう、乱暴さを含んでいるのではないだろうか?
「感性の乱暴さ」というのだろうか?
そんな人たちが、「LOHASだ、スローライフだ」といったところで、底の浅い一時的な流行でしかない。
とは言うモノの、そういう人たちが流行モノとして「LOHASだ、スローライフだ」といって、乗っているという現実もあるのだが・・・。

日本人の生活美意識って、「お天道様が観ている」というような自戒と八百万の神様への感謝、自然への畏怖というものだったような気がする。
でも、それが「生活の基本」だったはずなのだが・・・。