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日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

カゴメVSデルモンテ-植物性乳酸菌飲料の行方は-

2007-04-03 23:22:25 | トレンド
この春、デルモンテが「ラクベジ」という商品を発売した。
頻繁にテレビCMを流しているので、ご覧になった方も多いのではないだろうか。
この「ラクベジ」のウリは、「植物性乳酸菌」を使っていること。
「植物性乳酸菌」といえば、思い出す商品がある。
それが、カゴメの「ラブレ」だ。
そして「ラクベジ」も「ラブレ」も、「日本人に馴染みのある味噌やしょうゆ、漬物などの植物性乳酸菌に着目」ということを言っている。

昨年発売された「ラブレ」は、一時期生産が間に合わなくなり店頭から商品が消えるほどの大ヒット商品となった。
「ラブレ」の特徴は、これまでの乳酸菌飲料に近い色合いと味があった。
その意味で、「乳酸菌飲料を飲む」コトを実感できる商品でもあった。
ところがデルモンテの「ラクベジ」は、色合いも味も「乳酸菌飲料」というよりも、「野菜ジュースを飲んでいる」という感覚のほうが強い。
それも、トマトの味が強いのは「さすが、トマトケチャップを作っている会社」という気がする。
それにはもちろん訳があってのことなのだが、トマト味を強く出すことで「あぁぁ、やっぱりデルモンテ」という印象を与えているような気がする。

「野菜ジュース」市場は、そろそろ成熟し始めているように感じている。
伊藤園やカゴメ、そしてデルモンテと「植物の力(=野菜の力)で健康」というアプローチは、それぞれの企業カラーを強く打ち出しながら、独自の路線を歩みはじめているように感じるのだ。
特にカゴメは、10年ほど前から通販のみの限定商品を出し、顧客の囲い込みをしている。
もちろん、野菜ジュースを作るにあたり特定の農家と契約をし、その流れとして「こくみトマト」という商品もスーパーマーケットで販売している。
デルモンテ自体は、既に果物で「デルモンテ・ブランド」を販売しているが、早晩野菜でも「デルモンテ・ブランド」が現れるかも知れない。

産地名でのブランド化だけではなく、企業名での野菜ブランド化へと発展していく可能性があるかもしれない「野菜ジュース」市場だ。


首長の品格-選ぶんじゃなかった・・・愛知県知事-

2007-04-03 12:48:00 | 徒然
昨日は、企業を始め行政・自治体でも新社会人を迎え入れた。
当然、それぞれの「長」となる人たちが訓示を述べるのだが、一部首長のスピーチはお寒い内容どころか、差別的発言もあったようだ。

その筆頭に上げられるのが、東国原宮崎県知事の「タミフル飲み放題」発言なのかも知れないが、コトの深刻さから言えば神田愛知県知事の「弱い・悪い遺伝子」発言だろう。
「弱い・悪い遺伝子」というのは、障害者を指しているのだ。
そしてその発言をした場所が、県自治センターで「福祉の心」を訓示するためだった。

神田知事は、この2月選挙で当選したばかり。
と言っても、既に2期8年愛知県知事をしてきた人だ。
今回の選挙戦では「愛知万博と中部国際空港の成功を実績としてアピール」し、60代以上の支持を得て、当選したと言う経過がある。
20代~40代では、対抗候補の方が支持されていた。
ただ、不投票率もこの世代は多く、結果として接戦を制して神田さんが当選したのだ。

選挙中神田さんが熱心にアピールした、「愛知万博」も「中部国際空港」も決して神田さんの実績ではなかった。
と言うのも、「世界のトヨタ」から多くの人が出向し、その運営・経営に携わっていたからだ。
そのため「トヨタ博覧会」「トヨタ(自動車)空港」と揶揄する人も、少なくないのが実情だ。
そのようなこともあり、いつか暴言・放言をするのではないか?と思っていたのだが、やはりやってしまった、と言う気がしている。

このような暴言について、イロイロな言い訳をしても言い放ってしまったモノ・コトは取り返しがつかない。
と言うよりも、神田さん自身が障害者に対して「弱い・悪い遺伝子を持った人」と日ごろから思っていたと言うことが、露呈してしまったと言うことなのだろう。

神田さんは、かつて教育者と言う立場の仕事をしていた。
その頃の愛知県は「管理教育の愛知」として、全国的に有名だったと記憶している。
管理教育と言う枠から外れてしまう障害者は、もしかしたら歓迎せざる生徒・学生だったのかも知れない。
そんなことまで感じてしまう、神田さんの暴言でもある。

それにしても・・・いまさらながら「神田さんを選ぶんじゃなかった」と思っている人は、少なくないかもしれない。
今度の日曜日から地方選挙が始まる。
どうか「こんな人を選ぶんじゃなかった・・・」と後で悔やむようなコトがない様な投票行動を願っている。
少なくとも、首長がこのような発言をしてしまうというコトは、選挙民の品格の問題でもあると思われても仕方ないコトだからだ。