日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

こどものお小遣いに見る時代の変化

2007-04-15 21:39:56 | ライフスタイル
今日の毎日新聞に、「おカネ歳事記:子どもの小遣い 高い携帯料金、親負担」と言う記事が掲載されている。
お小遣いの金額そのものは、物価の変化などとリンクしているように感じるのだが、私が高校生だった頃(今から30年ほど前)には無かった携帯電話の支払いが、「第二のお小遣い」となっているようだ。

私の頃には携帯電話そのものが、映画「メトロポリス」のような未来のモノだと思っていたし、そのモノがあることでどんな時代変化が起きるのか想像もつかなかった。
だから今でも便利なツールであるとは思っても、ワンセグだとか着うたなどをダウンロードすると言うところまではいかない。
ところが、周囲の若い人たちに聞いて見ると、携帯電話代が2万、3万と言うのである。
携帯電話のダウンロードは、一見安いように思えるのだが、積もり積もって・・・と言うことらしいのである。

こうやって見ると、「こどものお小遣い」といえどもその使われる内容は、だいぶ変わってきているのだと感じる。
私の時代などは、本やレコード(CDはでない)が主なお小遣いの使い道だった。
他には、部活の後学校近くのお店でチョコッと焼きそばやかき氷、ところてんなどを食べると言う友人や、参考書代を含めてお小遣いをもらっていた友人もいた。
詰め込み教育だとか偏差値教育と言われた時代であっても、どこか牧歌的で自由な雰囲気があった時代であったのかも知れない。

当時は今のような情報があふれていなかった分、自分が必要と感じる情報を求めると言う時代だった。
だから、情報に対する対価が高かったように思う。
逆に、今のように手軽に様々な情報が得られるようになると「とりあえず・・・」という情報収集スタイルが主流になり、その「とりあえず」が消費=お小遣いの使い道となっているのではないだろうか?
そして、それを助ける親と言う存在も大きい。

今の高校生の親世代は、私と同世代と言うこともアリ余り批判的なコトはいえないのだが、もう少し突き放した(放任主義ではない)関係であってもよいのではないだろうか?
「我が家は我が家のお小遣いのあり方」というモノがあってもいいような気がする。