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トイザらスが破たん?は、小売業の変遷を感じさせる問題か?

2017-09-07 20:42:06 | ビジネス

日経新聞のWEBサイトに、「トイザラス、破産法適用申請か 米メディア報道」という記事が、掲載されている。
日経新聞:トイザラス、破産法適用申請か 米メディア報道

記事にある通り「生活者の購入行動が変わったため、トイザラスの経営が厳しくなった」というのは、本当だろう。
この記事を読んで思い出したことがあるのだが、日本の百貨店の「おもちゃ売り場」はどうなったのか?ということだった。
以前に比べ、百貨店そのものに行くことが極端に減ったので、もしかしたら間違った印象を持っているのかもしれないのだが、百貨店の「おもちゃ売り場」そのものを見なくなったような気がするのだ。
それも、随分前からだ。
ベビー用品や子供服売り場に併設するようにつくられていた印象のある「おもちゃ売り場」だが、「教育玩具」と呼ばれるようなものはあるような気がするのだが、いわゆる「子どもが遊ぶ為のおもちゃ」そのものを見かけなくなったような印象があるのだ。
街中を見ても、「おもちゃ屋さん」そのものを見かけなくなったように思う。

だからといって、「トイザラス」のようなところだけなのか?というと、意外な場所でおもちゃを見かけることがある。
それは「書店」だ。
既に型落ちとなったおもちゃなのだろう、希望小売価格から5~8割引きくらいの値段が付いて、売られていたりする。
もちろん、書店の店頭に一部置かれているだけなので、種類も数量の少ない。
「絵本」や「児童書」を買いに来たお客さんの「ついで買い」を、期待している程度だと思われる。
そう考えると「トイザラス」の存在は、少なくとも日本においては「おもちゃ屋さん」としての役割を、はたしているような気がする。

確かに、Amazonなどでおもちゃを購入する人達は、随分多くなっていると思う。
ネットでポチリとすれば、ほぼ翌日には、自宅へ届けられるのだ。
プレゼントなどをわざわざ買いに行く手間暇をかけずに、届けられるというのは便利すぎるくらい、便利なことだ。
他にもいわゆるディスカウントストアーなどでも、「おもちゃ」は売っているはずだが、「売っている」だけのような気がするのだ。

それでいいのかな?と、感じているところもある。
それは「おもちゃに触ることが、できない」という点だ。
子供の頃、「おもちゃ売り場に飾られているおもちゃを手に取って、遊んだ」、という経験はないだろうか?
店頭に飾られているおもちゃ全てが触れるわけではないが、少なくとも百貨店などの売り場にはおもちゃを自由に触ることができるスペースがあり、子どもたちで賑わっていた、という思い出がある。
欲しいおもちゃの前で「買って~」と、駄々をこねた経験を持っている方も、少なくないのでは?

「おもちゃを子供たちに自由に触らせる」ということは、お店や売り場側にとって大きなリスクだと思う。
でも、おもちゃに触れることで、子どもたちの「欲しい!」という気持ちにさせている、という部分もあったのではないだろうか?

それはアパレルでも同じで、「試着」をするコトによって「自分に似合う・似合わない」を確認することができるはずだ。
ファッション関係のECサイトが、いくら頑張ってもできないことが「試着」だからだ。
それだけではなく、「試着をして買った服」は大事に着ている、ということはないだろうか?

「トイザラス」の破たんは、生活者の購入行動の変化が要因という指摘は、確かに!と思う部分だ。
だからと言って、小売り全体がECへと移るのか?と言えば、それも違うのでは?と、思っている。
むしろECではできない、顧客サービスを見直す機会のような気がする。