日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

メーカーだからできる社会支援

2017-09-01 20:09:50 | アラカルト

時々アクセスするサイトがいくつかある。
その一つが、ホンダのサイトだ。
そのサイトに、「ホンダだかラできる社会貢献」だな~と、分かるモノがあった。
Honda:Hondaの交通安全 Hondaの運転復帰プログラム

タイトルだけを見ると、運転免許証を失効してしまった人を対象としたプログラムのように思えるのだが、事故や病気によって車の運転ができなくなってしまった人を対象とした、プログラムだ。
「障害を持ってしまったため、生活の移動範囲が限られる」ということは、あるだろう。
特に健常者が、事故や病気によって障害を負ってしまった場合、体の障害よりも心に負う障害のほうが大きいのでは?と、想像する。
そのような人たちを「運転復帰」という自動車メーカーならではの方法で、社会復帰のサポートをしたい、というのがこのプログラムのようだ。
一応、他社でも同様のサポートプログラムを実施しているのか?調べてみたのだが、どうやらホンダ独自のプログラムのようだ。

このプログラムそのものも、社会的意味が十分ある物だと思うのだが、それだけではないのでは?という、気がしている。
それは「自動運転技術」だ。
身体的ハンディを持っている人たちが、車を運転するとなると、クルマそのものにもある程度の「運転技術」が必要になるはずだ。
あくまでもクルマを運転するのは人だが、クルマそのものが自主的に(という表現が良いのかはわからないが)サポートをする場面があるだろう。
「そのような場面とは?」と想像することは、ある程度できると思うが、現実問題としてそれを確認する為には、このようなプログラムでデータを蓄積し、分析をしていくしかない。

Googleなどが考えている「自動運転」は、GPSなどを使いクルマを誘導させる、という発想だと思う。
今の「自動運転」の発想は、それが主流になっているように感じている。
では、「自動運転」によって一番恩恵を受けるのは、どのような人達なのか?という、視点があまり無いように感じる部分でもあるのだ。
おそらく「自動運転」によって、恩恵を受ける人達というのは身体的ハンディがあるために、クルマを運転したくてもできなかった(あるいは、できなくなってしまった)人達なのではないだろうか?

とすれば、実際身体的ハンディを持っている人たちにとって、どのようなことが困ることなのか?できないことなのか?ということを考える必要がある。
かつてクルマを運転することができた人たちにとって、できないもどかしさは何か?それを克服するためには心理的な面と技術的な面とではどのようなサポートが必要なのか?という、ことを調べるのは決して簡単なことではない。
しかし、Hondaのこのようなプログラムがあれば、参加する側にとっては「クルマを再び運転できる喜び」を感じられるだろうし、Honda側は「身体的ハンディを持った人たちが運転をすること」という問題の解決策を探り、将来的には「自動運転技術」へと結びつけることもできるだろう。
両者にとってWIN-WINの関係を創り、社会貢献だけではない「問題の洗い出しと技術研究」ができる。

ホンダがそこまで考えているのかは不明だが、少なくとも自動車メーカーだからできる社会貢献の一つであるコトには違いないと思う。