日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「リア充」という空虚とリアリティ番組

2020-05-24 21:31:05 | 徒然

テレビ番組の「テラスハウス」に出演中だった、女子プロレスラーの若い女性が亡くなられた。
テレビが無い我が家では「テラスハウス」という番組が、どのような番組なのか、全く分からない。
分からないなりに、情報を集めてみると、若い男女が「共同生活をしている姿を現実のように見せる」という番組のようだ。
そして今回亡くなられた方は、ある放送回からネット上に誹謗中傷を書きこまれるようになったようだ。
スポニチアネックス:木村花さん「テラハ」”コスチューム事件”以降にアンチ急増、誹謗中傷1日100件・・・母にも矛先

Instagramが若い人たちの間で話題になり始めた頃、「リア充」という言葉が流行った。
Instagram用に「充実した私の暮らしぶり」を、アピールするような写真のことを「リア充」と呼んでいた。
ただ、多くの人たちは「リア充(笑)」というようなニュアンスで、「現実はそんな生活じゃないんでしょ」というような冷淡な見方をしていたのではないだろうか?
むしろ「リア充」をアピールすればするほど、そのInstagramを見ている人たちは冷めていったのではないだろうか?
それくらいの冷静さは、持っていたと思う。

だからこそ、テレビ番組の中の出来事は「現実のことではない」という、冷静さを持って視聴者は見ていたのでは?と、思っていたのだが、そうでもなかったようだ。
と同時にテレビに出ている人は、誹謗中傷も「有名税の一つ」だと考えていた、ということだろうか?
それとも自分にとって遠い存在であり、番組でつくられ・誇張されている人格と、素の彼女とは別である、という認識ができない、という人達が誹謗中傷をし、それがエスカレートした、ということだろうか?
とするなら、メディアリテラシーという以前に、現実と非現実の線引きができない人たちが、増えているということになると思う。

そしてこの「コスチューム事件」に関していうなら、いくら演出とはいえ「プロレスラーの衣装をダメにする」という、筋書きや演出は、この亡くなられた方に対して、失礼すぎるのではないだろうか?
亡くなられた方だけではなく、プロレスという格闘技をされている方全てに対して、失礼なことだと思う。
何故なら、プロレスという格闘技をされている方にとって、リングに立つ衣装は「舞台衣装」と同じだからだ。
その大切な「舞台衣装」をダメにされたら、テレビカメラがある・無しに関わらず、激怒して当たり前だ。
その怒りも分からずにいたとすれば、出演者に対する敬意が無い、ということになる。
違う言い方をするなら、この番組に携わっている大人は、亡くなられた方だけではなく「プロレス」という格闘技をどこかで「小ばか」にしていたのだと思う。
あるいは「番組の演出なんだから、上手く笑ってまとめてくれ」という、甘えがあったのではないだろうか?

何となくだが、今回の「テラハ」の一連の流れを見てみると、テレビを視聴する側も演出をする側も、出演者に対してどこか「自分のほうが上位者である」という意識を持っていたのではないだろうか?

そして最近感じることは、「誹謗中傷」する言葉を平気で使う人達が、増えてきているという気がしている。
今の閉塞感漂う社会の中での、ストレス発散という意味もあるのかもしれない。
ただ、そのような言葉を使い続ければ、その言葉は自分自身を傷つけるナイフとなって、戻ってくるのでは?
人を傷つける言葉を投げかければ、他の人からも同じように人を傷つける言葉を投げかけられても、傷つくことはないと思われても仕方ないからだ。