一夜明けた東京都知事選。
秒速で現小池都知事が、当確を決めたことについては、昨日エントリをさせていただいた。
東京都の有権者が決めたことなので、これからの4年間は小池都政ということになる。
そして、今朝がたには最終的な各候補者の得票数が、判明した。
結果はご存じの通りだ。
選挙戦中は、「小池VS蓮舫」という構図をつくり上げていたメディアだったが、開票してみたら「小池VS石丸」だったようだ。
石丸氏は、安芸高田市の市長を辞めての都知事選だったことを考えれば、その知名度は蓮舫さんに比べ高いとは言い難かった。
しかし、蓮舫さんを破るほどの得票数を得た、ということは、それだけの支持(=期待と応援)を集めることに成功した、と考えるべきであろう。
では、知名度もあり小池さんのライバルとされてきた蓮舫さんが3位という結果に終わってしまったコトについて、その敗因を考える必要があると思う。
石丸氏に対する得票数のうちその多くが、小池都政を変えてくれるのでは?という、期待があった、ということは想像ができる。
その「期待」が大きければ大きいほど、「期待」ではなく「応援したい」という、気持ちへと変化していったのではないだろうか?
そのような有権者の気持ちを変えさせることができなかったのが、蓮舫さんということになる。
「期待が持てない⇔応援したくない」という気持ちが起きたのは、蓮舫さんの街頭演説などが「小池都政に批判」が目立ったからなのでは?という気がしている。
これはビジネスにも通じるのだが、「批判をするだけでは、人の心は動かない」と、言われている。
では何が必要なのか?
「批判」ではなく「提案とビジョン」ではないだろうか?
「批判をする」ということは、最悪な場合「揚げ足を取る」ということに終始してしまう危険性がある。
それに対して「批判すべき対象に対して、提案やビジョンに置き換える」と、その言葉は「期待」へと変わる。
「期待」という気持ちは、「応援」という行動へと変化しやすいのではないだろうか?
何故なら「提案」の具体的な話が「ビジョン」となり、それが「計画・実行されるのでは」という、期待感へと変わるからだ。
その要素が無く、ただただ相手を批判するだけでは、その言葉は無責任ととらえられてしまう。
特に蓮舫さんのような「紋切型の話し方(=決めつけた言い方)」は、批判をする相手に付け入るスキを与えないだけではなく、語調そのものがきつい為に、不快感を覚える日tも多い。
特に女性の場合、勇ましさばかりが強調され「女のくせに」と、言われてしまう懸念もある。
今更「女のくせに」などと言えば、セクハラ!と言われそうだが、日本の社会は今でもそのような認識である、という現実を考えれば、言葉選び一つも注意を払う必要がある(という経験済み)。
物事なんでも白黒はっきりさせれば良いわけではないし、多くの人たちはそのようなコトを求めてはいないだろう。
「どのような考えで、政治を変えていきたいのか?その為にどんな政策を考えているのか?」そのような、わかりやすく「期待が持てる言葉」を待っているのではないだろうか?
石丸さんの街頭演説をしっかり見た訳ではないので、明解なコトは言えないのだが、少なくとも蓮舫さんよりもそのような言葉が多かったのでは?だからこそ、蓮舫さんよりも得票が多かったのではないだろうか?
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