世間的に、バズッたという状態ではないのかもしれないのだが、3日ほど前SNSに私の投稿が、何故か?1万以上の方が見ている、という状況になっている。
もちろん、その理由は私のポストが、リポストされ続けたことで、私のポストが多くの人の目に留まった、ということなのだが、私自身は「なぜ?」という気がしている。
というのも、私がポストした内容は決して今話題のテーマでもなければ、多くの人の興味を引く内容でもなかったからだ。
一つ考えられるのは、「事実を知らなかった人たち」が、リポストをしたのでは?ということだ。
その「事実」の元となったのは、下の写真のことだ。
この写真を覚えていらっしゃる方も多いと思うのだが、この写真は2014年ノーベル物理学賞の授賞式での写真だ(時事通信社の記事より)。
左から青色LEDを世界で初めて作った赤﨑勇博士、天野浩博士、中村修博士の3人だ。
LEDの中で、青色をつくることが困難と言われていた中での成果ということと、光の3原色が揃ったコトで様々な色がLEDでつくれるようになった、という功績による受賞だった。
しかし、このノーベル賞の受賞決定の時には、中村修博士は既に「青色LEDの研究開発者」として、世間的に認知されていた。
実は、中村修博士は「青色LEDの量産化」に対しての功績で、ノーベル賞を受賞したのであって、実際の開発者は赤﨑勇博士と愛弟子である天野浩博士によるものなのだ。
では、何故社会的に中村修博士が「青色LEDの研究・開発者」として認知されるようになったのか?と言えば、日亜化学に勤務していた時に青色LEDの研究をしており、量産化の道筋を作った(=特許取得)のに、企業側からは正当な評価と特許に対する支払いを受けていない、と裁判を起こしたからだ。
当時、日本の社会は「成果主義」という言葉で研究者に対して、積極的に特許取得となるような研究・開発をするような圧があった。
しかし、いざ特許を取り製品化となっても、研究・開発者に対しては「社員」としての給与が支払われるだけで、その対価となる報酬を受け取ることができなかった(特許に対する報酬制度を決めていない企業がほとんどだった)。
その結果、様々な企業が社員である研究・開発者から「特許によって得られた収益の一部を報酬として、支払って欲しい」という、裁判が次々と起こされるようになったのだ。
そのきっかけとなったのが、中村修博士と日亜化学の裁判だった。
もう一つは、一部新聞が青色LED開発の功績について、中村博士の都合が良いようにまとめたことも大きく影響している。
実は裁判を起こすことを勧めたのも、この新聞社であったとも噂されていた。
裁判によって、注目を浴び、度々メディアに登場する中村修博士は、いつしか「青色LEDの研究開発者」として、世間に名が知れ渡るようになった。
上の写真を見てお気づきにならないだろうか?
本来であれば、青色LEDの研究・開発における第一人者である赤﨑勇博士が、写真中央にいるのが自然な並びだと思われるのに、左側にいるのは赤﨑勇博士が中村修博士の隣に立ちたくない、という気持ちの表れだった、とも言われている。
真偽のほどは分からないが、自分の研究に対して研究・開発に携わっていない人物が、我が物顔で開発者としていることに我慢ならなかった、という気持ちは分かる気がする。
この様な背景を知らず、本を読んだ方が「カッコイイ、中村博士」というポストに対して、訂正のような引用リポストをした結果、私の引用リポストにアクセスが集まった、という訳なのだ。
そのようなアクセス数やリポストを見る度に、生活者に間違った印象を与えた記事等に対しては、訂正を常に発信したり、本を一旦回収する必要があったのではないだろうか?
自分の引用リポストに、(私としては)反響の大きさに驚きながらも、古い内容だからと野放しにする情報の怖さを感じたのだった。