朝日新聞のWebサイトを見ていたら、なんとも懐かしい写真があった。
朝日新聞:&物価が高すぎる! 安売り、抗議…消費者はいつも必死だった
記事としては、「写真で振り返る社会」という企画になるのだと思う。
今回の写真は、昭和45年頃から始まった「物価高」に対する主婦を中心とした抗議行動や、1円でも安い野菜を買い求め、お店に殺到する主婦の姿などを捕らえている写真だ。
これらの写真を見て、気づくことは無いだろうか?
今の日本と同じように、景気が悪く物価高に苦しんでいるのに、生活者一人ひとりの顔は、決して暗くない。
暗くないというよりも、「この物価高に対して、何等かの行動を起こさなくては!」という、勢いのようなモノが感じられないだろうか?
今のように、便利な社会とは言えずご近所付き合いも案外大変だった時代だ。
逆にその大変なご近所付き合いの中から生まれたのが、しゃもじを持っての霞が関での抗議だったようにも思える。
失礼を覚悟でいうなら、どこかユーモアさを感じるところがある。
「米価値上げに反対する」というのは、当時は「食管法」という法律の元、米価そのものが政府によってコントロールされていたからだ。
今同様の動きが起きないのは、やはり仕事をしている人達が多く、社会との連帯がつくりにくいからだろう。
そして、若い人達から見ると滑稽にも思えるのが、トイレットペーパーの表示と実態の長さチェックの為に、スーパー(と思われる場所)の通路に、トイレットペーパーが巻解かれて並べられている、という写真かもしれない。
この滑稽とも思える写真のような行政チェックがされたことで、トイレットペーパーをはじめとする日用品の表示の厳重化がされるようになったのだ。
このような市民運動によって、社会的に大きく動いたのは「石油元売り各社のカルテル」の規制だったかもしれない。
トイレットペーパーのように、その価格と製品を比べることができない石油の価格に対して、元売り各社がカルテルと呼ばれる価格協定を結び、値段を釣り上げていた、ということに対して国側が行政指導を行った、ということがあった。
上述したように、この写真が撮影された時代(=昭和40年代)は、高度成長期の終焉を感じさせるような出来事が、数多く起こった時代でもあった。
それでも生活者は、そのような社会環境の中でも積極的に動い、社会をわずかながらでも動かすように、社会に働きかけてきた。
単純にこのころが懐かしい、というのではないのだが、今の日本社会を見て見ると、この写真から感じられるような生活者の力強さのようなモノをあまり感じられない。
人との繋がりが弱くなった、生活スタイルの変化、等様々な要因があることは十二分に理解できる。
とはいえ、生活者は物価高・公共サービスの低下などの中でも暮らしていかなくてはいけない。
その暮らしを良くしたい!という気持ちまで、そがれるような感覚に陥ってしまっているのが、今の日本の社会だとしたら、日本の経済復帰はもっと時間がかかるようにも感じる。
生活者一人ひとりが、力強く生活を豊かにするために政治に訴えるという行動そのものが、とても大変でパワーを必要とすることだと考えると、その力すら奪うことに成功した日本の政治家と官僚は、なかなかの策士かもしれない。
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