Googleのトップ画面が、女性たちの姿になっている。
今日は、「国際女性デー」だからだ。
元々は、女性の参政権などを求めて始まった、と記憶している。
今でも女性の参政権が認められていない国は、世界には多い。
その背景にあるのは、宗教的な理由によるところが大きいのでは?と、考えている。
それ以外にも、民族的な習慣などによるところもあるだろう。
インドの「カースト制」があるような、階級社会では低階層の人たちは男女関係なく参政権そのものもないのかもしれない。
そのような国は別にして、いわゆる先進諸国と言われる国々の中で、「日本の女性の社会的地位」は下位に居続けている。
その理由のいくつかは、女性が「社会に出てから感じる様々なギャップ」だ。
学生時代までは、男性と肩を並べ勉学に励み、それなりの学業成績であったにしても、就職したとたん「女の子」呼ばわるされる。
世間では「女の子」と呼ばれるような年齢で無くなっても、何故か職場では「女の子」だったりするのだ。
当然「女の子」に与えられる仕事は、男性社員のサブ的な仕事、ということになる。
今では、総合職でバリバリと男性と肩を並べ仕事をする女性も増えて入るとは思うのだが、働く女性全体から考えれば、まだまだ少ないのでは?と、感じる事がある。
そして、東京とその他の地域では、驚くほどの差がある。
国土交通省:地方における女性の活躍(参考資料・PDF)
この参考資料の3頁を見ていただくとよくわかるのだが、女性の給与そのものが東京とその他都市とでは差がありすぎるのだ。
もちろん、時給などでも最高額である東京と最低額の県との間には200円を超える差があり、1日8時間勤務であれば1,600円の差となり、月22日は働くとすれば、35,200円という差が生まれる。
そこに、ボーナスなどが反映される、ということになる。
もう一つの懸念材料として、あるのが女性の給与と男性の給与との差だ。
この「男女の給与差」の問題は、決して日本だけの問題ではないようだが、日本の場合最初から「男性の7割」が女性の給与と考えられてきた。
「家事労働や子育て」等は「労働」として認められず、当然子育て期間はキャリアの中断期と、みなされるからだろう。
最もこの「7割」という数字の試算は、水俣病裁判などの「生活保障試算」で国が決めたものであり、それが今でも続いている、というのが現状なのでは?と、想像している。
このような状況を考えた時、保守的な地域であれば「何も女性が躍起になって働かなくても。安定的な大企業に勤める相手を見つけて、専業主婦になるのが一番」という、考えが代々引き継がれるのも当然なのかもしれない。
名古屋などは、都市部の中でもこのような意識が女性にも男性にも強く残っている地域なのでは?と、実感することが多々ある。
他にも日本をはじめとする封建社会での「(女性に対する)甘えと優越性」も、関係しているような気もしている。
確かに日本の女性の地位そのものの向上は、遅々として進まないのが現状だろう。
その背景を考えた時、首都圏と地方の賃金的格差が歴然とあるだけではなく、地方に根強く残る「女性と男性の社会的役割」による、女性の活躍の場の制限などによるものだということが分かる。
それは女性自身も意識を変える必要があるだろうし、社会全体も意識を変えていく必要がある、ということに他ならない問題のような気がする。