朝日新聞のWebサイトを見ていたら、松坂屋名古屋店の「看板とロゴが無くなる」という、記事があった。
朝日新聞:さよなら「松坂屋」の名物看板 名古屋・栄に71年、来月取り外し
名古屋周辺にお住まいの方にとって、松坂屋という百貨店はいつの時代でも「名古屋の百貨店」という位置づけなのではないだろうか?
何故なら、松坂屋の創業の地が名古屋だからだ。
そして看板を見てロゴが「松坂屋」ではなく、「藤」という文字である、ということに気づかれる方もいるだろう。
実は、松坂屋の創業者は伊藤祐民(いとうすけたみ)が、呉服店を開業したのが始まりだからだ。
ただし、当主の名前は「伊藤次郎左衛門」という名前を引き継ぐことになっている。
いずれにしても、代々「伊藤家」が、松坂屋を引き継いできたということを象徴するのが、あの「藤」のロゴという訳だ。
1980年代後半から1990年代初め、マーケティングを担当されてきた方ならよくご存じだと思うのだが、1980年代後半から1990年代初めのころ、多くの企業CII(コーポレート・アイデンティティ)という考えを導入し、それまでの漢字表記のロゴをカタカナやアルファベット表記にする、ということが行われた。
今ではすっかり聞くコトが亡くなったCIだが、企業イメージを一新させ、企業の情報発信を積極的に行い、親しみを持ってもらうという、趣旨で盛んにおこなわれたのだ。
例えば「石川島播磨重工」は「IHI」となり、それまでの「重工業」という企業イメージを一新させることに成功した。
トヨタ自動車等は、自動車等に付けるロゴを変更しても、社章を含め正式な企業ロゴは以前のままにした、という例もある。
もちろん石川島播磨重工とトヨタ自動車では、業種が違う為に対応そのものに違いがあるのは、当然と言えば当然だが、そのような時代の流れの中にあっても、百貨店の多くは創業時のロゴを使い続けていたところが多かったように思う。
「松坂屋」しかり「伊勢丹」、「三越」等だ。
その「松坂屋」の中でも創業の地である名古屋店の看板を取り外す、というのは、大きな決断だったのでは?と、想像する。
もちろん、周囲に高い建物が立ち並ぶようになり、看板を掲げている本館が周囲から見えにくくなった、という事情があるとしても、「看板を取り外す」という意味は、それ以外の理由もあるのでは?と、勘ぐってしまうほどの出来事のように受け止められるのでは?という、気がしている。
地方の老舗百貨店が次々と閉店に追い込まれ、クラシックな建物が取り壊され、街の姿が変わるようになっている。
時代の変化、生活者の変化と言ってしまえばそれまでなのだが、百貨店がその地域で果た役割を考えると、「経済と経営という面で考えれば、当然のこと」ではあるが、一つの社会文化が失われるようなモノも感じる。
その社会文化の象徴の一つが、看板でありロゴであったはずなのだ。
上述したように「松坂屋」は、名古屋の百貨店の顔だ。
その看板を取り外した時、「松坂屋」には、どのような変化が起きるのか?変化が起きないのか?興味があるところでもある。
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