先日エントリをした、アツギの「#ラブタイツ」SNSの炎上について、どうやら「中の人=担当者」が、女性だったようだ。
PRESIDEN on-line:「アツギSNS問題」女性担当でも、ジェンダー炎上してしまうたった一つの理由
この記事を読んで、初めて「中の人=担当者」が女性である、ということを知った。
その前に、イラストレーターへの依頼時に渡した参考イラストが、今回炎上したイラストに近いものであった、という報道もあった。
イラストレーターに対して渡した資料が、今回のイラストに近いものであった、ということになれば、イラストレーター側の問題というよりも、参考資料を渡した側=アツギ側の問題ということになるだろう。
依頼されたイラストレーターは、参考資料を基に制作をするだろうし、参考資料からかけ離れたイラストを提出するとは思えないからだ。
このまでの経緯から、SNSの担当者は男性なのでは?と、勝手に想像していた。
それが女性であった、ということに驚いている。
というのも、女性の場合「自分の気分」というか「感覚」を優先する傾向が強いという経験があるからだ。
その意味では、「女性は客観性に劣る」という指摘がされても、仕方ないのでは?と、感じる場面も多々あった。
もちろん女性だから、このようなイラストを好まない、と言い切れるものではないが、自分が一人の生活者として見た時、どのように感じるのか?という、感覚だけは大事にして欲しかった、というのが私の本音だ。
そしてアツギに限らず、ファッションに関係するモノ全般について言えることだと思うのだが、自分の扱う商品だけを見て広告を考えるべきではない、ということだ。
広告全般に言えることだが、商品をアピールするためにどうしても商品を大きく扱う表現をしてしまう。
確かに「商品をアピールする」という場面では、商品を大きく取り上げ、イメージする購買層よりもチョッと上の生活者イメージのモデルを登場させる、という広告表現が長い間続いていた。
おそらく、今でも自動車や家電などではこのような広告表現がされる傾向があるように感じている。
それは「チョッと背伸びをすれば手に届く、暮らしのイメージ」ということになるだろう。
もっとも今のような社会状況では「チョッと背伸びをすれば...」などという気持ちになれない生活者のほうが、多いのでは?と感じている。
話がズレたが、広告表現において「自社の製品を大きく取り上げる」ということは、特別なことではないという既成概念を担当者をはじめ企業全体が持っていた、ということは十分考えられる。
その結果「ファッションとしてのタイツ」ではなく、「タイツを履いた若い女性(=欲しい購買層)」という広告表現になってしまったのでは?という気がしている。
実は「ファッションとしてのタイツ=レッグファッション」という視点で、広告表現を考えるとなると「タイツ」という小さなファッションアイティムをどのように見せるのか?という、発想もファッションについての勉強も必要になる。
それは女性のタイツだけではなく、もっとビジュアル的に小さな男性のソックスについてもいえることだ。
トレンドカラーを調べ、カラーコーディネートしたタイツの提案や、チェック柄のスカートに同じチェックのタイツを合わせるなど、アイディア次第でどんどんビジュアルイメージが拡がっていくはずなのに、そのような着眼点を持っていなかったという点で、とても残念だと思っている。
ちなみに男性のソックスについてだが、昨今スニーカーソックスと呼ばれる短いソックスを愛用される方が増えてきているが、ビジネスシーンではやはりカジュアル過ぎることになる。
足を組んだ時、生足が見えない丈のソックスを履く方が、スマートに見えるだけではなく、ファッションとしての遊びの表現もできることになる。
本来であれば、このような提案をアツギのSNSでして欲しかった、と感じている。