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お礼が遅くなりました。
夏休みもそろそろ終わり。
地域によっては、既に2学期が始まったところもあるはずだ。
子供の頃、今ぐらいになると溜まった夏休みの宿題を、片付けるのに大変だった。
最初から計画的に、早めに片付ければよいのだが・・・遊ぶほうが優先で、つい・・・というわけだ。
ワークブックなどの宿題は、それなりに片付いているのだが「工作」とか「読書感想文」、「自由研究」等が残っていた。
自分でテーマを決めて、つくりあげるという宿題が残りやすかった。
ところが今は、そんな心配も少なくなりつつあるようだ。
というのは、様々な企業が「自由研究」や「工作」の材料や勉強会を、提供してくれているからだ。
一番ポピュラーなところでは、電力会社やガス会社の「子供向け実験教室」。
夏休み期間中、何度か実施されているようだ。
自分でテーマを探して、試行錯誤何かをしたり資料を探すというのは、遠い昔の話になってしまったのかも知れない。
良いか悪いかではなく、「宿題を片付ける」という意味では便利になった感がある。
そして「読書感想文」である。
子供の頃から、この「読書感想文」を書く事に抵抗感があった。
「読書感想文」といえば、簡単そうに思えるかも知れないが、見方を変えれば「子供が書く書評」なのだ。
子供に書評を書かせるというのは、無謀なことなのではないだろうか?
書評が書けるほど、本を読んできている子供はそうそういないと思うし、書評として表現できるだけの文章力というモノも身につけているとも思えない。
結局「好きな本でした」とか「面白くありませんでした」という、感想を書くだけになってしまう。
そして、それに先生が点数をつけるということにも、無理があるような気がするのだ。
文章の感想というのは、人それぞれ。
それを評価するというのは・・・いくら先生だからといっても、判断することが出来ないと思うのだが。
むしろ、この「読書感想文」というモノの存在が、「読書嫌い」を作っているような気すらするのだ。
私の場合、夏休み中家族旅行なども無かったため、「絵日記」という宿題も頭痛の種だったが・・・。
お礼が遅くなりました。
夏休みもそろそろ終わり。
地域によっては、既に2学期が始まったところもあるはずだ。
子供の頃、今ぐらいになると溜まった夏休みの宿題を、片付けるのに大変だった。
最初から計画的に、早めに片付ければよいのだが・・・遊ぶほうが優先で、つい・・・というわけだ。
ワークブックなどの宿題は、それなりに片付いているのだが「工作」とか「読書感想文」、「自由研究」等が残っていた。
自分でテーマを決めて、つくりあげるという宿題が残りやすかった。
ところが今は、そんな心配も少なくなりつつあるようだ。
というのは、様々な企業が「自由研究」や「工作」の材料や勉強会を、提供してくれているからだ。
一番ポピュラーなところでは、電力会社やガス会社の「子供向け実験教室」。
夏休み期間中、何度か実施されているようだ。
自分でテーマを探して、試行錯誤何かをしたり資料を探すというのは、遠い昔の話になってしまったのかも知れない。
良いか悪いかではなく、「宿題を片付ける」という意味では便利になった感がある。
そして「読書感想文」である。
子供の頃から、この「読書感想文」を書く事に抵抗感があった。
「読書感想文」といえば、簡単そうに思えるかも知れないが、見方を変えれば「子供が書く書評」なのだ。
子供に書評を書かせるというのは、無謀なことなのではないだろうか?
書評が書けるほど、本を読んできている子供はそうそういないと思うし、書評として表現できるだけの文章力というモノも身につけているとも思えない。
結局「好きな本でした」とか「面白くありませんでした」という、感想を書くだけになってしまう。
そして、それに先生が点数をつけるということにも、無理があるような気がするのだ。
文章の感想というのは、人それぞれ。
それを評価するというのは・・・いくら先生だからといっても、判断することが出来ないと思うのだが。
むしろ、この「読書感想文」というモノの存在が、「読書嫌い」を作っているような気すらするのだ。
私の場合、夏休み中家族旅行なども無かったため、「絵日記」という宿題も頭痛の種だったが・・・。