日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

販促品もイロイロ

2012-04-15 21:39:21 | アラカルト
今日、動植物園近くまで散歩に出かけた。
出かけた時間が遅かったため、動植物園近くに着いた時には既に帰る家族連れが多かった。
そんな家族連れに紛れこむように、テクテクと歩いているとマンションのチラシを貰った。

そのマンションは、最近中部地区の某大手企業の社宅を取り壊して建てられた、分譲マンション。
確かに、社宅として企業が管理するよりも分譲や賃貸として、一般に利用してもらうほうが企業としてもメリットが高いはずだ。
難と言ってもそのマンションそのものは、社宅を所有していた企業だけではなく中部の様々な分野の大手企業共同で「最新設備」と「新しい発想(焼きたてパンの朝食サービス、HV車のシェアリングシステムを導入)」で建てられている。

ところで、マンションなどのチラシを駅近くで配布する時使われる販促品というと、どのようなモノを思い浮かべられるだろうか。
おそらく多くの人は、「ポケットティシュ」ではないだろうか?
というよりも、私の経験から言うとポケットティシュ以外のものを貰った記憶がほとんど無い。
もしかしたら夏場に、宣伝うちわのようなモノとか美容室などは1回分のシャンプー・コンディショナーという程度だと思う。
今回もそのようなものであれば、エントリもしない。
私が貰ったものは、なんと駄菓子だったのだ。

貰った時、一瞬「何?」と思ったのだが、考えてみれば場所は動植物園近く。
家族連ればかりだとすれば、マンション購入を積極的に考えている層だといえるし、そんなところでポケットティシュを配るよりも、駄菓子のほうが子どもたちが欲しがることで、チラシそのものを受け取ってもらいやすいだろう。

そのように考えると、これまで私が普通に受け取っていたチラシについていた「ポケットティシュ」は、あくまでも家族を対象に配る予定のものではない、というコトに気が付く。
大人・子どもというのではなく、チラシを受け取るのを個人としているということなのだ。
一方駄菓子というコトになれば、少なくとも大人は興味をさほど引くものではない。
受け取って欲しい相手は大人でも、ポケットティシュでインパクトが弱いく、子どもが「何々?」とチラシではなく、配布をしている人に興味を持ってもらうことで、大人をひきつけるというコトなのだと思う。
まして、分譲マンションのチラシなのだ。
持って帰って、家族でチラシを見てもらいたい、という考えだろう。
そのための場所選びとして、動植物園周辺を選んでいるというコトも理解が出来る。

たかが街頭チラシ配布といえども、そこにつける販促品は如何に受け取ってもらえるか?というコトを十分考えたモノだった。
初めての経験で、イロイロと考えるチャンスを貰った街頭チラシの販促物だった。

お知らせ
諸般の事情により、数日間ブログの更新が出来ません。
週後半から、更新させていただきます。
何卒よろしくお願いします。

少し不便なほうが、自由かも

2012-04-14 21:37:18 | 徒然
昨日あたりから「スマートフォンのゲームアプリで、個人情報が流出」という内容のニュースが出ている。
対象となっているアプリは、人気ゲームの動画アプリを装ったもののようだ。
スマートフォンもゲームも利用しない私にとっては、「へ~そんなコトをする輩がいるんだ」程度で済むことなのだが、現実はそう簡単なコトではない。
なぜならスマートフォン自体が、常に電源がONの状態になっているためそのアプリを利用していなくても、どんどん個人情報が流失してしまっている可能性がある、という指摘があるからだ。

今現在、企業だけではなく個人でも「個人情報の管理」についての意識が、高くなりつつあると感じている。
実際、個人宅向けの電動シュレッダーや、もっと手軽なシュレッダーはさみなどの商品は、コンスタントに売れている商品。
他にも「個人情報保護シール」と呼ばれる、目隠しシールなどもある。
それくらい「目に見える個人情報」についての関心は高く、実際情報の流出を防ぐために行動されている方も多いということだと思う。

ところが、携帯電話になるとそれほど注意をしていない、というのが現状なのだろう。
私のようにメールと電話程度しか使わなくても、携帯電話にはその友人や家族の携帯電話だけではなく、自宅の電話番号も登録されている。
というコトは、携帯電話の所有者がそれなりの高い意識を持って、メールアドレスや電話番号を管理しておかないと、自分が友人や家族の個人情報を流出させているコトになってしまう。
そんな意識を持って、携帯電話を管理している人はどれくらいいるのだろう?
おそらく、ほとんどいないのではないだろうか?

そのように考えると、「便利すぎるコトが、新たな不安を生んでいる」ようにも思えてくる。
そして目に見える情報管理と目に見えない情報管理とどちらのほうが、管理しやすいのか?といえば、シュレッダーで処理が出来る「目に見える個人情報」だと思う。
便利になれば、それまでの煩わしいことから開放される・・・というのが、これまでの考えだったが、本当は多少不便なほうが、心配ごとも少なく気持ちの自由があるような気がしている。




病気を受け入れる社会に

2012-04-13 12:32:53 | 徒然
昨日京都の繁華街で、てんかんの患者さんが交通事故を起こし、8名の方が亡くなられた。
事故のあった場所は、私も京都へ出かけるたびによく行く場所だったので、とても驚いた。
事故現場近くには八坂神社や桜で有名な円山公園などがあり、亡くなられた方の中にはお花見を楽しみにしていらっしゃった方もいらっしゃったようだ。
亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に、怪我をされた方にはお見舞いもうしあげます。

事故を起こした運転手がてんかんを患っていた、ということが分かったのは昨日の夜。
そして、ニュースの一部は「てんかん患者が起こした交通事故」という内容へと、変わっていった。
そしてこのような事故が起きるたびに、病気を持っている人はクルマの運転をすべきではない、というコトが言われる。
確かに、クルマを運転しなければ事故を起こすことは無い。
だが、クルマを運転しなくては生活に支障をきたす人も少なからずいるのでは?と、考えるとこの問題は病気を持っている人だけの問題ではないような気がしている。

そんなことを感じるのは、私が乳がんという病気になってつくづく感じることがあるからだ。
それは「がん=死ぬ病気」という認識が未だに強く、結果私のような「元気すぎる乳がん患者」であっても、こと仕事というコトになると断られるケースがあるからだ。
そのような経験をするたびに感じることは、「病気を理由に社会から切り離すリスク」というコトだ。

今回事故を起こした運転手は、担当医師からもクルマの運転を止められていたようだが、それを職場で話すことは無かったようだ。
「なぜ話せなかったのか?」と考えると、おそらくてんかんでクルマの運転が出来ないと話すことで、仕事を失うということが怖かったのではないだろうか?
だからといって、勤務先の企業を批判しているのではない。

おそらく日本の場合、多かれ少なかれ風邪やインフルエンザなどのような一過性の病気で無い限り、仕事を辞めて治療に専念すべき、という考えが一般的だと思う。
「治療に専念する」という選択は、ベストだと思う。
ただしそれは、復職できるという確約があってのコトだ。
長期的治療を要する病気(多くは、投薬のみの治療)となると、仕事に支障がほとんど無くても退職に追いやられるケースが多い。
それはメンタル疾病であっても、同じだろう。
結果、経済的問題で治療を断念したり、治療後仕事に就けず経済的問題を抱えるという人が実は多く、それが社会保障費の増加に結びついていることも考えられる。

しかし、考えてみれば職場でそれなりのキャリアを積んだ人材を長期的治療(多くの場合は、投薬での治療で仕事をするには問題が無い)という理由で、退職させるというのは次の人材育成のためにかかる時間や労力、経済的負担を考えれば決してプラスだとはいえないはずなのだ。
特にこれから先の人口構成を考えれば、社会的にも職務経験も豊富な人材を積極的に活用していく必要がある。
にもかかわらず、残念なことに日本の社会、特に企業は「病気を受け入れる」というコトができていない。

もう一つ「社会が病気を受け入れない」という弊害が、がんなどの検診率の低下にもなっている。
早期発見できれば、完治し元気に普通の生活できるのに、病気で仕事や経済的面を失うことを恐れて、手遅れの状態で治療することになり、医療費など社会保障も増えることになる。
医療費の削減の基本は、予防と早期発見・早期治療と治療時の経済的不安の解消なのだ。

今は、病気など関係が無い!と思っていても、決して他人事ではない、というのが私が乳がんになった感想だ。
だからこそ、メンタル疾病を含め社会が病気を受け入れる経済的・社会的メリットは、とても大きいと実感をしている。

見方を変えると、言葉の意味も変わってくる

2012-04-12 19:36:12 | 仕事のコツ
新社会人の研修が終わり、そろそろ配属が決まり始めたことだと思う。
真新しいスーツ姿の新人たちは、職場の空気をフレッシュなものにしてくれる。
だが、そのフレッシュの空気も数ヶ月も経つと、随分変わってるはずだ。
よく言えば「職場に慣れた」、悪く言えば「新鮮味がなくなった」というコトになる。
このように、一つのモノゴトを複数の角度から見ると、まったく違ったモノに見えてくる。
実はマーケティングの基本の一つは、この「多角的視点」だとも言えると思う。

同じ様に、言葉も見方を変えると意味も変わる。
例えば「金太郎飴のような・・・」という例え。
多くの場合「似たり寄ったりで、変化が無い」とか「変わりばえしない」という、余り良い意味で使われることが無い。
その理由はご存知の通り、「どこを切っても同じ」というコト。

しかし、実際に「金太郎飴」を作っている飴屋さんからすれば「どこを切っても同じ顔が出てくるように作るのは、とても大変なこと」だと言いたいのでは。
むしろ「同じ顔を作るための技術は、一朝一夕で習得できるモノではない」と、いう思いがあるのでは。

そしてある職場では、この「金太郎飴」のようなことがとても重要なコトもある。
その代表的な職場が、ファーストフード店だろう。
日本中、場合によっては世界中の同じファーストフード店で提供されるサービス(注文のとり方~商品の作り方の手順~提供されるまでの時間~お客様に渡すまで)は、こと細かくマニュアル化され、マニュアル化されることによって、均一のサービスを全国で提供することが出来ている。

とすれば「金太郎飴のような・・・」という表現の中にも「金太郎飴のように、同じ顔が出てくる高い技術を持っている」という意味の解釈があっても良いと思う。
もちろん、慣用句としての「金太郎飴のような・・・」という意味を十分理解した上で、自分なりの解釈を+αする、という点が重要だ。
「自分の解釈は、これだから」と無暗に言うことは、周囲からの理解が得られるものではない、という点を忘れなければの話だが。

「金太郎飴」という例えを出したが、大切なことは「一つの視点に縛られない」というコト。
特に今のような様々な価値観が激しく変わり、情報そのものが複数ある時代では、一つのコトに縛られるリスク、というコトもある。
「過去の成功事例が、ほとんどに立たない時代」だからこそ、多角的で多次元的な見方・発想力が大切なのだと感じている。





フレームを壊せ!

2012-04-11 13:46:50 | ビジネス
新聞のWEBサイトのチェックは仕事上欠かさないのだが、先日偶然にも「新エネルギー」についての記事を2つ立て続けに知った。
一つは、静岡新聞に掲載されていた「レーザー核融合、連続反応に成功」という記事。
もう一つは讀賣新聞の鳥取県版に掲載されていた、「卵膜で省エネ 高専最優秀」という記事。

「レーザー核融合」の研究をしていたのは、光産業創成大学院大という聞きなれない大学。
一般的な大学というよりも、企業が集まって光学産業という新しい産業を起こすことを目的としているようだ。
その中心となっているのは、浜松ホトニクスという企業。
ノーベル物理学賞を受賞した小柴博士の研究として知られる「スーパーカミオカンデ」を造った企業なのだが、一般的には余り知られている企業ではないと思う。
そのような企業が、研究者だけではなく起業家のためにも、という思いで創設した大学のようだ。
だからこそ「レーザーで核融合」という発想が生まれたのだとしたら、「大学」というフレームから外れた大学というコトになる。

もう一つの「卵膜で省エネ」という発想も、これまでの「ソーラー発電」を作る発想では生まれなかったモノのような気がしている。
この「卵膜」に着目したのが、女子学生というのもおもしろい。
むしろ女子学生だから、卵膜という発想が生まれたのかも知れない。
そして、この研究成果に対して手を上げた企業が、「キューピー」という点もおもしろい。
確かに「キューピー」ならばマヨネーズを作るために、毎日相当数の卵膜を簡単に手に入れることが出来るだろう。
たとえキューピーの工場で、卵を割る工程が無くても、協力会社などから集めることは簡単だろう。
もし「卵膜」を含む卵の殻が産業廃棄物として処理されているとすれば、経費的にもプラスの面があるだけではなく、この「卵膜」を使った新しい素材市場を創ることも可能だろう。
食品会社というフレームから、新しい素材メーカーとなるコトも出来るはずだ。

レーザー核融合による発電となれば、これまで「原子力発電所=電力会社と政府」というフレームに収まっていたものが壊れ、「卵膜による太陽光発電パネル」の登場で、家電メーカー中心だった市場に、まったく違う事業分野の企業が参入する可能性が出てきた。
これまでの市場のフレームを壊すだけではなく、自らもフレームを壊し新しいモノを創り出している。
このような積極性が、今の日本にとってはとても大切なことのような気がする。

我が家の近所は更地ラッシュ-都市の新陳代謝考-

2012-04-10 13:18:54 | アラカルト
日ごろ見慣れた風景が一変する、というコトがある。
最近の我が家の近所では、その様な光景を見ることが多い。
その光景とは・・・今まであったはずの戸建て住宅やマンションがあった場所に、重機が入り建物を崩していく、という光景だ。
大体2週間程度で、頑強に見えたマンションなども更地になっている。

戸建て住宅の場合、代がわりというコトなのだろうな~と想像している。
それというのも、多くの場合更地になった後には、単身者向けのようなマンションが建つからだ。
相続の問題などから、親の建てた家を潰し稼働率の高い単身者向けのマンション経営をしたほうが、イロイロな面でよいのだろう。
場合によっては、高齢の親が介護付きマンションなどに引越し、その資金をマンション経営に当てているのかも知れない。

一方、既にあったマンションを取り壊す場合は、その理由が随分違うようだ。
というのも取り壊されるマンションの多くが、築30年を越す物件が多いからだ。
築年数が分かる理由は、私が名古屋に進学のために親元から離れてから30年余り、その時には既にあった物件だからだ。
とすれば、阪神淡路大震災前の物件で耐震などで問題があるマンション、というコトになる。
単なる老朽化というよりも、この耐震強度の問題でマンションを取り壊すケースが多いように考えている。
取り壊された後、新しいマンションが建つのかは分からないが、このような光景を見ると「都市の新陳代謝」という気がしてくる。

元々日本の家屋は、地震などの天災や火災に対して非常に弱かった。
そのたびに、人は家を建替え新しい街を創ってきたようにも思える。
だからこそ昔の人は、「身一つで逃げられる程度の物」しか持たなかったのかも知れない。
ここ何年か前から流行している「断捨離」よりももっと、すっきりとした暮らし方だったのかも知れなし、江戸時代が想像以上のエコ都市だった理由も、そんなところにあるのかも知れない。
そのような見方をすると、今の日本はイロイロなモノを持ちすぎていて「代謝が低下」しているようにも思えてくる。

逆に「都市の代謝低下」が、ご近所付き合いの低下となっているようにも思えてくる。
かつての天災や火災に弱い都市で頼りになったのは、ご近所との付き合いだったのでは?
ご近所同士の助け合いが充実していたからこそ、緊急時に「身一つで逃げる」コトが出来、その後の生活の不安も少なかったのでは?
都市が時代にあった変化をするためには、「新陳代謝のための街づくりと人付き合い」の両方を考える必要があるのかも知れない。
そんなことを考えさせてくれる、近所の更地だ。




変わらないと思っていても、変わるもの

2012-04-09 21:02:03 | アラカルト
昨日から、春らしい陽気となってきた。
近所の公園の桜も、昨日の陽気で一気に満開。
やはり満開の桜を見ると、春を実感する。

季節感としては、やっと春が来た!という感じだが小売の世界では季節は随分と進んでいる。
先日エントリした通販のカタログだけが、季節を先取りしているわけではない。
ドラッグストアの店頭に並ぶ商品も3月の半ばには、商品の入れ替えが始まっており、冬の間使い捨てカイロ中心だった場所は、防虫剤に交替している。

そんな商品棚を何気なく見ていたら、やたらと派手なパッケージの防虫剤があった。
何だろう?と思ってみてみると、「バラの香りの蚊取り線香」だった。
この商品を見つけたとき「まったく変わらないと思っていた商品も、生活の変化で変わる」というコトを改めて知った気がした。

実は蚊取り線香といえども、最近では随分とバラエティに富んだ商品となりつつある。
以前からドラッグストアなどで見かける「蚊取り線香」は、除虫菊の成分を科学的に作り出したもの。
最近人気となっているのは、オーガニック除虫菊を使った昔ながらのタイプ。
それだけではなく、「ペット用蚊取り線香」というものもある。
ただ、今回のようなフレグランス系の蚊取り線香というのは、初めて見た気がしたのだ。

ここ数年家庭用消臭剤というのは、とても安定した市場のように思っている。
それもかつてのような「消臭剤=トイレ用、タバコやペットのにおい消し」といった、目的別の消臭剤ではない。
最近人気となっているのは、リビングなどにおく「ルームフレグランス」と呼ばれる、「香りを楽しむ」タイプのものが中心のようだ。
その背景にあるのは、10年以上前から続く「アロマテラピー」などの「癒し」需要だろう。

そのためだろう、毎年のように新しい商品が次々と登場する。
もちろん、リビングなどに置くことも目的としているため、パッケージそのものも凝ったものが多く、ここ3年ほどはフレグランスボトルにスティックを挿すタイプが人気のようだ。
当然それだけ数多くの商品があるというコトは、香りの種類も多いということ。
その香りにも流行があり、ラベンダーの香りが人気だった時もあれば、トロピカルフルーツ系もある。
一昨年あたりから人気になっているのが、「バラの香り」のような気がする。
「優雅な香り」というだけではなく、「女性ホルモンのバランスを整える香り」として、注目され人気を呼んでいる。
そのような流れの中から、このような「バラの香りの蚊取り線香」も生まれたのかも知れない。

理由はなんとなく分かるのだが、このような挑戦(というと大袈裟だが)した商品を改めて着ると「変わらないと思っていても、生活者のニーズが商品を変えるのだな~」と、改めて感じたのだった。



とある商店組合と街の活性化

2012-04-08 20:58:19 | ビジネス
昨日までの冷たい風はどこへやら。
今日は久々に春らしい暖かなお天気。
遅れ気味だった桜も、一気に満開となったよう。
そんな中、週末の散歩へと出かけてきた。

私が出かけたのは、名古屋の方ならご存知の「日泰寺」。
このお寺は、全国でも珍しい無宗派のお寺。
日本とタイの友好を願って建てられたという、チョッと変わったお寺でもある。
また、敷地が広いこともあり名古屋の著名人・政財界の方が亡くなられると、大体このお寺で葬儀が行われている。
近くには、「松坂屋百貨店」創業者・伊藤次郎右衛門の別邸などがあり、この別邸には一時期川上貞奴が住んでいたとも言われており、明治の雰囲気が感じられる地域でもある。

そんな「日泰寺」だが、私が名古屋へ進学のために来た頃は、なんとなく寂れた感じのする街だった。
「日泰寺」で市がある21日は、ご高齢の方を中心に賑わいを見せるのだが、それ以外は「人が歩いてる?」という感じがするほどだった。
実際、学生時代に一度歩いたことがあるのだが、「寂れた参道」という印象しか残っていない。
その「寂れた参道」が、ここ20年ほどの間で様変わりをし、今では、元々参道にあった空き店舗を利用して名古屋ローカルで人気のドーナッツ屋さんや洋菓子の有名店、「日泰寺」がタイと深い結びつきがあるコトから(?)エスニックな雑貨を扱うお店もいくつかある。
そのような現代的なお店の隣には、昔ながらの駄菓子屋さんや仏具店などが仲良く並ぶコトで、ちょっと異質というか変わった空気感のある町並みになり、平日でも若い人たちが集まる場所になっている。

様変わりした大きな理由は、空き屋となった場所を積極的に若いクリエーターたちに貸し出し、住まいを提供したことにあるようだ。
元々の取り組みは、近隣の大学の学生たちが始めた活性化を目的とした季節ごとのお祭りだったように記憶しているのだが、そのお祭りに参道の商店主たちも積極的に参加することで、参道の商店街全体の活性化が図られ、それを継続的に行ってきたことが大きいように思う。
そして今日は、「日泰寺」では花祭りの法要が行われ、それに合わせて参道の商店街では「春祭り」が行われていた。
この「春祭り」に出店しているお店は、参道のお店だけはなく、南信州の農業組合や手作りのお店が主催する工作教室、ボーイスカウト・ガールスカウトのバザー、消防団のAEDデモンストレーションなど、枠にとらわれない自由さがあり、参道をそぞろ歩くだけでも十分楽しい。

「シャッター商店街」が全国にはたくさんある。
多くのシャッター商店街を見たわけではないので、断言することは出来ないが、商店街自身が自分たちとは異質な感覚・感性を持った若い人たちを受け入れ、積極的に支援する姿勢が無いと、難しいのではないだろうか?
元々「商店街」は、「市」が変化したものだったと考えれば、店を構えることが目的ではなく、その場に様々な人が集まり、人が集まることで情報交換がされ、その情報を求めて更に人が集まる、という場所だったと思う。
そこに、「シャッター商店街」復活のアイディアが、あるように考えるのだ。

ちなみに今日私が「日泰寺」に行ったのは、花祭りの法要で振舞われる甘茶を頂くためだった。

UVカット水着に見る、社会の変化

2012-04-07 19:55:30 | マーケティング
4月に入ったというのに、まだまだ花寒の日が続いている。
気の早い小売の店頭や通販のカタログは、既に「夏」が始まっている。
そんな通販のカタログを眺めていたら、「この商品ニーズって?」と思う商品があった。
それが、今日のタイトル「UVカット水着」だ。
それも、通常のビギニ水着+長袖のボレロ+トレンカ(甲の無いタイツだとお考え下さい)という、完全フル装備のUVケア水着なのだ。
「日焼けは絶対嫌!」という人向けの水着だとお考え頂きたい。

「最近は、地球温暖化だけではなくオゾンホールの問題で、UVケアをしないと皮膚がんのリスクが高くなるんじゃないの?」という、ご指摘はあると思う。
確かにUVケアは皮膚がんのリスクを下げる、と言われている。
ただ今現在は、オーストラリアのようなオゾンホールの影響が大きい地域に限られている。
その意味で、日本ではまだまだUVケア=シミなどの美容ケアという意味合いのほうが強いと思う。

では何ぜそこまで完全防備をしてまで、水着を着たいの?という疑問が出てくる。
その答えは、カタログの対象が若い女性向けではなく、既婚者向けだという点が大きい。
この水着を着たい女性は、積極的に海などに行きたいというよりも、子どもたちと一緒に海水浴に行くという女性だと、想像できるのだ。
とすれば、大人の女性向けだけではなく、お子さんとお揃いの水着も商品ラインナップとしてあっても良いと思う。
その理由は、大人のシミの多くは、10代までの受けた日焼けの影響が大きい、といわれているからだ。
美容の主流が「美白」というだけではなく、日焼けによる様々なリスクが指摘されている今、子どもの頃からのUVケアが大切、というコトになる。
そのように考えると、来シーズンは「ママと子どもの完全防備UVケア水着」が、登場するかも知れない。

しかし考えてみれば、30年近く前は「美しく日焼けした肌」は一つのステイタスだった。
「日焼けサロン」などが無い時代だからこそ、「美しく日焼けした肌」というのは、リゾート地にセカンドハウスを所有していて、長期のバカンスだけではなく毎週末のように出かけ、マリンリゾートを十分楽しめるだけの経済力がある、という一つの証明のように言われていた。
今や死語となった「ヤングエグゼクティブ(略して「ヤンエグ」)」という言葉が、もてはやされた時代でもあり、日本のバブル経済前の話だ。
と言っても、日本ではこのような若い経済的成功者などいなかったので、あくまでもスタイルだけを真似た一種のブームで終わったに過ぎなかったが。

それが30年くらいの時間の経過で、もてはやされたライフスタイルは、チョッと恥ずかしい感のあるスタイルのようになり、オゾンホールなどの環境問題などもあり、「UVケア」は今では当たり前のコトになった。

それだけではなく、このような水着の登場は「海の家」の作りにも変化を及ぼすかも知れない。
夏のワンシーズンの建物というコトもあり、簡単な作りになっている「海の家」だが、大きなしっかりとした屋根やUVカットガラスの「眺めの良い簡易ハウス」で、(建築法などの問題で簡易設置は難しいかも知れないが)その大きな屋根にはソーラーパネルが設置されている「エコな海の家」が早晩登場するかも知れない。






新しい価値を生み出し続けているキットカット

2012-04-05 14:28:35 | ビジネス
日経新聞のWEBサイトをチェックしていたら、「ネスレ日本 三陸鉄道再開の思いを乗せ」という記事があった。
記事が掲載されていたのは「新商品」の紹介。
昨年の「東日本大震災」で大きな被害を受けた、三陸鉄道の支援の限定キットカット販売の記事だった。

ネスレ日本のキットカットのサイトを見てみると「三陸鉄道 キット、ずっとプロジェクト」というコンテンツがあり、様々な動画を見てこの「キット、ずっとプロジェクト」が、意外なところからスタートしていることに気が付いた。
サイト内にある「さん鉄のあったかイイ話」の動画の中にある「橋上駅長・キット、復旧かなう」篇に、震災直後三陸鉄道へ送られた支援物資の中に「キットカットの箱」があり、その箱に「キット、復旧かなう」というメッセージが付いていたという、内容がある。

おそらく、世界中で販売されているキットカットの中で、日本国内だけは他の国で販売されているキットカットとは違う付加価値を持っているのでは?と、考えている。
それは年末から年明けに掛けて登場する「受験応援・キット、サクラサク」や、自治体として初めて破綻した「夕張応援キットカット」のように、地域限定・販売期間限定と銘打ちながら、その時々で、個人から自治体や今回の三陸鉄道のような企業にいたるまで、「キット・・・」という言葉に願いや希望を架けて、多くのメッセージを伝えるツールとなってきている、という点だ。

今回、ダンボール箱で支援物資として送った方は、「復旧・復興を願っている」とか「三陸鉄道に再び乗りたい」という思いを届けるために、「キットカット」を選んだとすれば、10年近く展開してきた「キット、サクラサク」のキャンペーンが、キャンペーンという企業の仕掛けではなく、市民の中に根付いたモノだったと考えるのだ。
しかし「キット、サクラサク」のキャンペーンも元々は、受験をする友人や先輩たちに「合格しますように」という思いを伝えるツールとして、始まったもの。
企業が、意図的に仕掛けたキャンペーンではなかった。

逆にネスレ日本が、その「思いを伝えるツールとしてのキットカット」というアイディアを、顧客から頂き、様々なカタチに展開をしている、と言ったほうが良いのかも知れない。
ただ、アイディアを頂くだけではなく、積極的に支援・応援をするという企業の姿勢が、多くの人から共感を得る結果となり、「チョコレート菓子・キットカット」ではなく「思いを伝える、キットカット」という、これまでには考えられなかったような付加価値性を創ることになったのではないだろうか。

おそらくこのような付加価値性を持つチョコレート菓子は、世界広といえども日本のキットカットだけのような気がする。
その意味で、顧客とコミュニケーションを図りながら新しい付加価値を創る、お手本のような気がする。