12月9日のマイナビ女子オープン、矢内理絵子女流四段対熊倉紫野女流初段の将棋は不思議だった。112手目、矢内女流四段が☖3五香と走ったところで熊倉女流初段が投了。まだこれからの将棋に見えるだけに、突然の投了、という感じだった。
実際マイナビ女子オープンの公式サイト「特設ページ」にも、
「予想外の終局に、関係者が慌てて対局室へ向かった」
との記述があり、矢内女流四段は
「まだ続くのかなと思っていたので、まだまだ大変だなと……。うーん、なので、具体的に勝ちを意識した局面はなかったですね」
との談話を残した。
女流棋士は概して投げっぷりが悪い。刀折れ矢尽きて、どう転んでもも勝ちがない局面でさえ、だらだら指し続けることは珍しくない。
ひどいケースになると、玉が詰み上がっている局面で数十分の長考に沈む女流棋士もいるほどだ(某棋戦の観戦記で知った)。
それだけ粘って、数十局に一度は大逆転があるから女流将棋は厄介なのだが、それにしても熊倉女流初段の投了は中途半端に思えた。投了の7手前に☗8三角と遠見の角を打ち、粘る姿勢を見せてもいたからだ。
たしかに投了の局面は、次に☖2七銀☗同銀☖3七金の攻めが厳しく、受けても一手一手。後手には楽しい手ばかりが残り、先手ならバカバカしくてやってられない。私なら投了である。
しかしどうせならもう一手指し、☖2七銀と王手されたところで投了するのが嗜みのようにも思う。本譜は何か、緊張の糸がプッツリ切れたようではないか。
なぜ熊倉女流初段はここで投了したのか。ここで思い出すのが、前期名人戦第3局、羽生善治名人と三浦弘行八段戦である。この将棋は形勢が二転三転し、最後は羽生名人が☖3三銀と打ったところで、三浦八段が投了した。
棋譜を見ればそういう説明になるが、実は投了以後も三浦八段に羽生玉を追い回す手があって、容易ではなかったのだ。
「将棋世界」7月号を見ると、三浦八段も「投了するつもりはなかった」が、1分将棋の中で考えがまとまらず、「8、9」という秒読みの声が迫る中、手の始動が遅れ、投了を告げてしまったのだという。
熊倉女流初段は103手目から1分将棋。非勢の中、最善手を模索するもその手が浮かばず、三浦八段と同じく投了を口にしてしまった、とは考えられる。
…とここまで書いてきて、私が熊倉女流初段を非難しているように思う方がいるかもしれないが、それは逆で、私は熊倉女流初段のファンである。自宅には熊倉女流初段が「楽」と揮毫したミニ色紙を飾ってあるし、今期のマイナビ女子オープン一斉予選対局でも、松尾香織女流初段に催促されたとはいえ、熊倉女流初段に懸賞金を懸けたのだ。
あの人なつこい笑顔と、沖縄好き(だと思う)というのも、ポイントが高い。また熊倉女流初段自身のブログも、日々感じたことを飾ることなく吐露し、私はとても好感を持っていた。奇人変人が跋扈する将棋界の中にあって、常識人の香りがする熊倉女流初段は、稀有な存在だったのである。
ともあれ「週刊将棋」12月22日号では、熊倉女流初段の自戦記が載る。投了の周辺についての見解も語られると思うが、いまはそれを楽しみに待ちたい。
…というような記事を、実はきのうアップする予定だった。しかし15日にLPSA芝浦サロンへお邪魔したので、このときの模様を先にアップしたのである。
ところがきのう16日の木曜ワインサロンで、船戸陽子女流二段から「熊倉女流初段が再来年の3月まで休場」との報せを聞き、あ然とした。
突然の休場に、思い当たるフシがなくもない。先日の暗いブログを読めば、熊倉女流初段の心の揺れは明らかだったからだ。
まさかそのまま引退、ということはないだろうが、その危惧が現実になってしまったら、女流棋界の大きな損失である。また、女流棋士会の責任も小さくない。
そんな事態になる前に、奥の手がある。
LPSAへ移籍すればいいのだ。LPSAには、同じ4月23日生まれの船戸女流二段がいる。みんなが温かく迎えてくれる。私も「ファンランキング」の上位にする。
とにかく、早まってはいけない。熊倉女流初段は休場期間に、冷静に自分を見つめ直すことである。
実際マイナビ女子オープンの公式サイト「特設ページ」にも、
「予想外の終局に、関係者が慌てて対局室へ向かった」
との記述があり、矢内女流四段は
「まだ続くのかなと思っていたので、まだまだ大変だなと……。うーん、なので、具体的に勝ちを意識した局面はなかったですね」
との談話を残した。
女流棋士は概して投げっぷりが悪い。刀折れ矢尽きて、どう転んでもも勝ちがない局面でさえ、だらだら指し続けることは珍しくない。
ひどいケースになると、玉が詰み上がっている局面で数十分の長考に沈む女流棋士もいるほどだ(某棋戦の観戦記で知った)。
それだけ粘って、数十局に一度は大逆転があるから女流将棋は厄介なのだが、それにしても熊倉女流初段の投了は中途半端に思えた。投了の7手前に☗8三角と遠見の角を打ち、粘る姿勢を見せてもいたからだ。
たしかに投了の局面は、次に☖2七銀☗同銀☖3七金の攻めが厳しく、受けても一手一手。後手には楽しい手ばかりが残り、先手ならバカバカしくてやってられない。私なら投了である。
しかしどうせならもう一手指し、☖2七銀と王手されたところで投了するのが嗜みのようにも思う。本譜は何か、緊張の糸がプッツリ切れたようではないか。
なぜ熊倉女流初段はここで投了したのか。ここで思い出すのが、前期名人戦第3局、羽生善治名人と三浦弘行八段戦である。この将棋は形勢が二転三転し、最後は羽生名人が☖3三銀と打ったところで、三浦八段が投了した。
棋譜を見ればそういう説明になるが、実は投了以後も三浦八段に羽生玉を追い回す手があって、容易ではなかったのだ。
「将棋世界」7月号を見ると、三浦八段も「投了するつもりはなかった」が、1分将棋の中で考えがまとまらず、「8、9」という秒読みの声が迫る中、手の始動が遅れ、投了を告げてしまったのだという。
熊倉女流初段は103手目から1分将棋。非勢の中、最善手を模索するもその手が浮かばず、三浦八段と同じく投了を口にしてしまった、とは考えられる。
…とここまで書いてきて、私が熊倉女流初段を非難しているように思う方がいるかもしれないが、それは逆で、私は熊倉女流初段のファンである。自宅には熊倉女流初段が「楽」と揮毫したミニ色紙を飾ってあるし、今期のマイナビ女子オープン一斉予選対局でも、松尾香織女流初段に催促されたとはいえ、熊倉女流初段に懸賞金を懸けたのだ。
あの人なつこい笑顔と、沖縄好き(だと思う)というのも、ポイントが高い。また熊倉女流初段自身のブログも、日々感じたことを飾ることなく吐露し、私はとても好感を持っていた。奇人変人が跋扈する将棋界の中にあって、常識人の香りがする熊倉女流初段は、稀有な存在だったのである。
ともあれ「週刊将棋」12月22日号では、熊倉女流初段の自戦記が載る。投了の周辺についての見解も語られると思うが、いまはそれを楽しみに待ちたい。
…というような記事を、実はきのうアップする予定だった。しかし15日にLPSA芝浦サロンへお邪魔したので、このときの模様を先にアップしたのである。
ところがきのう16日の木曜ワインサロンで、船戸陽子女流二段から「熊倉女流初段が再来年の3月まで休場」との報せを聞き、あ然とした。
突然の休場に、思い当たるフシがなくもない。先日の暗いブログを読めば、熊倉女流初段の心の揺れは明らかだったからだ。
まさかそのまま引退、ということはないだろうが、その危惧が現実になってしまったら、女流棋界の大きな損失である。また、女流棋士会の責任も小さくない。
そんな事態になる前に、奥の手がある。
LPSAへ移籍すればいいのだ。LPSAには、同じ4月23日生まれの船戸女流二段がいる。みんなが温かく迎えてくれる。私も「ファンランキング」の上位にする。
とにかく、早まってはいけない。熊倉女流初段は休場期間に、冷静に自分を見つめ直すことである。