一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

長崎旅行①・島原へ

2010-12-18 03:16:43 | 旅行記・九州編
師走の恒例となった、年に一度の長崎旅行。今年は17日から19日の行程とした。
17日のLPSA芝浦サロンは中井広恵女流六段の担当だったが、昨年の同時期に旅行したときの金曜サロンは、中倉宏美女流二段と船戸陽子女流二段の担当だった。そのゴールデンコンビを振り切ってまで旅行を優先したくらいだから、中井女流六段の指導対局を見送ることには、何の痛痒も感じなかった。
きのう17日は早暁5時に起床し、5時半に家を出た。JRとモノレールを乗り継いで、6時19分、羽田空港第2ビルに着く。
今回利用する航空会社は、往復ともスカイネットアジア航空(SNA)である。今年は他県に出ず、長崎県内のみの観光としたので、発着はともに長崎空港である。料金は28日前の早期購入割引で、片道11,100円。これは廉価というべきだろう。大手航空会社が苦戦続きなのも分かる気がする。
1番カウンターという端っこに追いやられたSNAの窓口でチェックインを済ませ、7時10分、私を乗せた飛行機は羽田空港を離陸した。
先ほど飛行機の料金が廉価だと書いたが、それは経費をギリギリに切り詰めているからで、機内には機内誌や音楽のサービスはない。仕方がないからスッチーを鑑賞することになる。…あれっ、な、中倉彰子女流初段!? いや違うか…。どうもスッチーを見ると、女流棋士の誰かに間違えてしまう。
やることがないから、目をつぶる。と、機長から「いま、左手前方に富士山が見えます」とのアナウンスが入った。ちょうど左の窓際の席だったので目をやると、頂上がポッカリ口を開けているような、霊峰富士が飛び込んできた。富士山を眺めるとご利益がありそうな気がして、めでたい。しかし至近距離から見ているせいか、意外と小さく感じた。この山が東京からも見えるとは不思議だ。
7時42分、富士山は私の真横に位置し、ゆっくりと後方に流れて行った。
定刻9時10分、長崎空港着。今回の旅行のメインはきょう18日なので、17日は漠然と予定を決めただけである。
すなわち島原鉄道に乗車したあと、数年前に廃線になった島原外港~加津佐間を代行バスで走り、廃線供養をする、というものだ。いまはいちばん昼が短い時期だが、この行程なら支障はないと判断した。
空港からは、島原鉄道の始発駅である諫早まで路線バスが出ている。鉄道はしばし乗り換えがあり、それが乗客のめんどうを大きくしている。しかしバスで観光地めぐりをすれば、ほとんど乗り換えはなく、便利だ。
「日焼(ひやけ)」「トンネル上」「一軒茶屋」などの愉快なバス停を通過し、長崎県営バスは10時27分に、諫早駅前バスターミナルに到着した。
対面にある諫早駅に向かい、自動券売機で「島原半島遊湯券」(3,000円)を購入する。これは島原半島を走る島原鉄道と路線バスに1日乗り放題、各地へ連絡するフェリーにも乗れ、さらに指定のホテルや旅館の温泉にも入れるという、おトクな切符である。ちなみに諫早から島原外港までは1,470円だから、ここを往復するだけで、ほとんどモトが取れてしまう。
JRの改札を抜けると、0番線に黄色のディーゼル車がちょこんと停まっている。これが島原鉄道である。車内のクロスシートは全席が埋まっていたので、ロングシートに座る。地方の民間鉄道は、どこも経営が苦しい。乗客が多いのはいいことである。
定刻の10時52分、発車。と、次の本諫早で隣接の乗客が下車したので、私はそこに移動する。列車の左側の席で、遠くに諫早湾が見える特等席だ。これで鉄分を補給する本格的な態勢が整った。
単線で貧弱な線路の上を、列車は快調に走る。私も寝不足で、相変わらずの耳鳴りのうえに軽い頭痛もして、体調は万全ではないが、ここでうたた寝をするわけにはいかない。
ホームのすぐ下に海が見える大三東に停車し、その8分後の11時42分、列車は島原に到着した。私はここで降りることにした。いままで島原半島は何度も訪れたが、島原城を見学した記憶は1回しかない。それもかなり昔で、まだ「年末の長崎旅行」を企画する前のことである。ここで改めて島原城を表敬訪問するのもわるくないと思った。こんな予定変更ができるのも、流動的に予定を決めている利点である。
島原駅からは城が見えるから、分かりやすい。人気スポットとはいえ平日では観光客もまばらで、まっすぐ城へ向かったのは私だけだった。10分ほど歩き、坂道を登ると、天守閣が見えてきた。五層からなる白亜の天守閣で、優美な稜線を描いている。女流棋士でいえば、斎田晴子女流四段というところか。
しかし天守閣に上るかどうかは迷った。入場料がかかるからだ。ふと見ると、天守閣の入口付近に、甲冑姿の男性と坂本竜馬のいでたちをした女性、かわら版を配りそうないでたちの女性が観光客を待ち構えている。とりあえず近くまで寄り挨拶を交わし、横に立ててある入場料を見る。520円である。
これは私の許容範囲を超えている。踵を返したいが、先の4人は、私が入場するものだと思っている。仕方ない。私は城に入り、受付のオバチャンに1,020円を差し出した。
城内は一般的な天守閣と同じく、資料館を兼ねていた。それはそうで、城から下界を眺めるだけで520円ならボッタクリだ。
「島原の乱」や「(隠れ)キリシタン」に関する展示品、ギヤマン(ガラス)など南蛮渡来の装飾品などが、豊富に展示されている。敷地内にある「観光復興記念館」「西望記念館」の共通入館券にもなっており、これなら良心的な値段設定だと思った。
最上階の5階に上り、島原市外を見下ろす。自分が殿様になったようで、気分がいい。
下界に下りて、「西望記念館」に入る。北村西望は彫刻家。長崎市に立つ平和記念像の製作者だ。60余点の作品が展示され、その力強さに圧倒された。
隣接する「民具資料館」に入る。ここは無料で、それだけで儲けた気分になる。展示してあった民具には、ちょっと前まで実際に使っていたと思しきものもあり、大いに興味をそそられた。柱時計や黒電話などは、ウチでもまだ使っている。初期のワープロも置いてあったが、いまでは時代の生き証人として、かなり価値があるのではないだろうか。
ルートに沿って、「観光復興記念館」に入る。ここでは雲仙・普賢岳の爆発から復興に至るまでを15分にまとめたビデオが、常時放映されている。広いホールに客は私だけだったが、襟を正して拝見した。
結局、天守閣を一瞥するつもりが、1時間20分も見学してしまった。迷ったが、武家屋敷にも立ち寄ることにする。その前に、とりあえず昼食である。どうもテキの思うツボのような気もしたが、城入口の正面にある食堂へ入り、手早く済ませた。
武家屋敷といえば秋田県角館のそれを想像してしまうが、島原は長さ約400mに亘って一本道が貫かれているだけの、シンプルなツクリだ。しかしその中央に幅約40cmの水路が設えてあるのが異色である。
すぐにでも散策したいが、その前に旅行貯金をしなければならない。武家屋敷区域に入らずそのまま左へ向かうと、郵便局がある。今回はここで貯金だ。
「島原江戸町郵便局 1,217円」
貯金後、武家屋敷を模した外観の郵便局を写真に収め、私は武家屋敷に引き返した。
(つづく)
コメント (5)
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