昨年12月3日(金)のLPSA芝浦サロンで島井咲緒里女流初段に指導対局を受けた私は、引き続き会員諸氏と4局ほど指した。4局! 今となっては、これはけっこうな数字だ。4局のうち3人は駒込金曜サロンの会員で、一般対局を指す習慣があったから、できた。これが新規で芝浦サロンに来た人になると、指導対局を終えると、もう帰ってしまう。人がいないとサロンはさびれる。現在は、客にもう少し滞在時間を延ばしてもらう方策を、経営側も考えなければならない。
さて4局目の将棋を終えた時点で、時刻は午後8時を過ぎていた。しかし島井女流初段を見ると、指導対局をしていない。7時半からの指導対局所望者がいなかったからだ。これ、金曜サロンでは考えられなかったことである。金曜サロンではこのあたりから、会員の熱も帯びてきたのだが…。
そこで私が「おかわり対局」を申し出た。島井女流初段と1対1で教えていただく機会はなかなかない。絶好のチャンスだと思った。
2局目の指導対局開始。私が☗7六歩と指すと、Is氏が棋譜ノートへの記入を買ってでてくれた。ありがたい申し出ではあるが、私は島井女流初段との「ふたりの世界」を楽しみたかったので、ちょっと複雑な気分だった。ただ、将棋を指しながら棋譜を付ける、というのも集中力が殺がれるキライがあるので、最終的には、Is氏の心遣いに感謝した。
島井女流初段は四間飛車に振る。もう時間も押し迫っているので穴熊にはせず、早くも10手目に☖7二銀と上がり、美濃に囲う。私も☗5七銀左から急戦を目指す。対して☖3二銀型で待つのは島井女流初段の得意形だ。
ところできのうのブログでは、島井女流初段とあまり私語を交わしたことがない、と書いたが、LPSAの中で私が最初に話しかけた女流棋士は、新宿での設立イベントを別にすれば、「第1回武蔵の国・府中けやきカップ」での島井女流初段だった。あのときは女優さんに声を掛けるかのごとくに緊張し、アガリまくったことを憶えている。本局も軽口は飛ばさず、私は将棋に没頭するのみだ。
私の☗3五歩に島井女流初段は☖同歩と取らず☖4三銀。私は☗3四歩と取りこみ☗3八飛と回り、☗3四歩と押さえて☗3五銀と出る。ここでは指しやすくなったと思った。
しかしここから私の攻めが変調だったようで、島井女流初段もお荷物の角を捌き、形勢は混沌としてきた。
島井女流初段☖5五銀に、私は☗6六飛を☗6五飛とひとつ浮いて銀取りに当てる。それが下の局面である。
上手・島井女流初段:1二香、1三歩、2一飛、2五歩、4四歩、5五銀、7一金、7二銀、7四歩、8一桂、8二王、8三歩、9一香、9四歩 持駒:角、桂2、歩5
下手・一公:1六歩、1九香、3五銀、4三成銀、5二と、5八金、6五飛、6七歩、6八金、7六歩、7八玉、8七歩、8九桂、9六歩、9九香 持駒:角、金、歩
ここで島井女流初段は☖6六桂と打った。華麗な捨て桂だ。是非ない☗同歩に☖5六角☗8八玉☖6五角☗同歩☖6七歩。これで攻めが筋に入った。
…しかし本譜はこのあと、最後の最後で島井女流初段にココセ級の大悪手があり、私の辛勝となった。島井女流初段は勝ったあとの2局目だったから、連勝しようとの気は起きなかったようだ。
終局後、ほんの少しだけ雑談。たまにはいいであろう。私は島井女流初段にはかねてから聞いてみたいことがあった。某棋戦で、島井女流初段が相手玉を詰ましたのに、相手はすぐに投了せず、48分もの「長考」に入ってしまったことがあった。そのときの島井女流初段の心境はどのようなものだったか、ということである。
私は相手をけなす言葉が出てくるものとばかり思っていたのだが、島井女流初段の答えは「そうですねえ…」と穏便で、私は島井女流初段の心の広さに、深い感銘を受けたのだった。
結局サロンを出たのは9時近くになってしまった。たしかサイゼリヤへ行ったと思うが、W氏だったか、
「大沢さんが2局目を挑まなければ、島井さんも早く帰れたのに」
と言われ、ああ、たしかに…と私は反省したのだった。
さて4局目の将棋を終えた時点で、時刻は午後8時を過ぎていた。しかし島井女流初段を見ると、指導対局をしていない。7時半からの指導対局所望者がいなかったからだ。これ、金曜サロンでは考えられなかったことである。金曜サロンではこのあたりから、会員の熱も帯びてきたのだが…。
そこで私が「おかわり対局」を申し出た。島井女流初段と1対1で教えていただく機会はなかなかない。絶好のチャンスだと思った。
2局目の指導対局開始。私が☗7六歩と指すと、Is氏が棋譜ノートへの記入を買ってでてくれた。ありがたい申し出ではあるが、私は島井女流初段との「ふたりの世界」を楽しみたかったので、ちょっと複雑な気分だった。ただ、将棋を指しながら棋譜を付ける、というのも集中力が殺がれるキライがあるので、最終的には、Is氏の心遣いに感謝した。
島井女流初段は四間飛車に振る。もう時間も押し迫っているので穴熊にはせず、早くも10手目に☖7二銀と上がり、美濃に囲う。私も☗5七銀左から急戦を目指す。対して☖3二銀型で待つのは島井女流初段の得意形だ。
ところできのうのブログでは、島井女流初段とあまり私語を交わしたことがない、と書いたが、LPSAの中で私が最初に話しかけた女流棋士は、新宿での設立イベントを別にすれば、「第1回武蔵の国・府中けやきカップ」での島井女流初段だった。あのときは女優さんに声を掛けるかのごとくに緊張し、アガリまくったことを憶えている。本局も軽口は飛ばさず、私は将棋に没頭するのみだ。
私の☗3五歩に島井女流初段は☖同歩と取らず☖4三銀。私は☗3四歩と取りこみ☗3八飛と回り、☗3四歩と押さえて☗3五銀と出る。ここでは指しやすくなったと思った。
しかしここから私の攻めが変調だったようで、島井女流初段もお荷物の角を捌き、形勢は混沌としてきた。
島井女流初段☖5五銀に、私は☗6六飛を☗6五飛とひとつ浮いて銀取りに当てる。それが下の局面である。
上手・島井女流初段:1二香、1三歩、2一飛、2五歩、4四歩、5五銀、7一金、7二銀、7四歩、8一桂、8二王、8三歩、9一香、9四歩 持駒:角、桂2、歩5
下手・一公:1六歩、1九香、3五銀、4三成銀、5二と、5八金、6五飛、6七歩、6八金、7六歩、7八玉、8七歩、8九桂、9六歩、9九香 持駒:角、金、歩
ここで島井女流初段は☖6六桂と打った。華麗な捨て桂だ。是非ない☗同歩に☖5六角☗8八玉☖6五角☗同歩☖6七歩。これで攻めが筋に入った。
…しかし本譜はこのあと、最後の最後で島井女流初段にココセ級の大悪手があり、私の辛勝となった。島井女流初段は勝ったあとの2局目だったから、連勝しようとの気は起きなかったようだ。
終局後、ほんの少しだけ雑談。たまにはいいであろう。私は島井女流初段にはかねてから聞いてみたいことがあった。某棋戦で、島井女流初段が相手玉を詰ましたのに、相手はすぐに投了せず、48分もの「長考」に入ってしまったことがあった。そのときの島井女流初段の心境はどのようなものだったか、ということである。
私は相手をけなす言葉が出てくるものとばかり思っていたのだが、島井女流初段の答えは「そうですねえ…」と穏便で、私は島井女流初段の心の広さに、深い感銘を受けたのだった。
結局サロンを出たのは9時近くになってしまった。たしかサイゼリヤへ行ったと思うが、W氏だったか、
「大沢さんが2局目を挑まなければ、島井さんも早く帰れたのに」
と言われ、ああ、たしかに…と私は反省したのだった。