Hon氏が見えた。Hon氏も大野教室の常連で、最近メキメキ力をつけている。
3時休みが終了。詰将棋は8題中5題を解いたが、これだけ解ければ十分だ。
再開後は、植山悦行七段に教えていただくことになった。植山七段は駒落ち将棋の名人で、その指し回しは毎回参考になる。ところが植山七段は
「大沢さんと角落ちじゃきついなァ。平手で行きましょう」
と、駒を落とそうとしない。男性プロに平手で勝てるわけがないので、
「ご冗談を」
と、無理に角を落としてもらい、対局を開始した。
私の居飛車明示に植山七段も居飛車を採る。植山七段も私も居飛車と振り飛車の両方指すが、お互い居飛車がメインだ。
私は2筋の歩を換え、☗3六歩~☗3五歩と伸ばす。植山七段は☖2二銀。この交換は下手がトクをした。私は☗4五歩と伸ばし、☗4四歩~☗4五歩と継ぎ歩をする。☖同歩なら☗同桂の跳ね(☖5三金取り)が気持ちいい。
植山七段は☖5五歩と紛れを求めたが、私は落ち着いて☗同歩。植山七段は☖6二飛と回る。私の玉は☗6八にいて、間接的に睨まれている形。そこで私はいったん切った歩を☗6七歩と受けたが、対局中は弱気な手だと思った。
植山七段は☖6五桂と跳び、☖5七歩~☖7七歩と利かす。私はそのたびに金をよろけ、ひしゃげた形になった。
私は☗6五銀右と、桂を外す。と、植山七段が
「…けました」
と言った気がした。
「は? いま何か言いましたか?」
「負けました。いやだって、これじゃ指す手がないでしょう」
これは意外な言葉だった。
「そうですか? まだむずかしい形勢だと思ったんですが」
「いや(大沢さんに)一手の悪手もなかったでしょう。完璧ですよ」
「そうですか」
「こんないい将棋を指すのに、なんで大野クンに負けるのかなあ」
「はあ」
なんだか、植山七段が勝ちを譲ってくれたみたいで、釈然としない。前述したとおり、植山七段は駒落ち名人である。いつぞやの指導対局で植山七段は、「本気度60%」と語ったことがある。それなら実際は本気度30%ぐらいのはずで、本局も植山七段が、巧妙に緩めてくれたとしか考えられない。
それでも勝てれば嬉しい。この指導対局の終了図の駒の配置を、以下に記しておこう。
上手(角落ち)・植山七段:1一香、1四歩、2一桂、2二銀、2三歩、3二王、3三歩、4二金、4三歩、5七歩、6三金、6四銀、7七歩、8五飛、9一香、9四歩 持駒:歩
下手・一公:1七歩、1九香、2六飛、3五歩、3七桂、4八金、5四歩、6五銀、6六銀、6七歩、6八玉、7六歩、8七歩、8八金、8九桂、9六歩、9七角、9九香 持駒:桂、歩3
(☗6五銀右まで)
引き続き、植山七段と飛車落ちで…とW氏からのリクエストがあったが、私が固辞して、4局目は高校生と思しき青年との対局となった。
後手・青年氏の一手損角換わりに、私は棒銀に出る。対して青年氏は☖5四角。私は☗3八角と打つ。定跡ではむずかしいはずだったが、私の☗4六歩が疑問手で、形勢を損ねた。さらに疑問手を重ね、駒損が確定したところで、戦意喪失の投了。
引き続き感想戦に入ったが、青年氏は黙ったままだ。2局目の小学生クンも寡黙だった。先月の大野教室で私を完璧に負かした小学生クンは、
「ボクの☖9四歩は☗9五角を防ぐためだったけど、そちらの☗9六歩は意味がないでしょう」
「ここで☗6七金と上がるようじゃ、そちらがつらいでしょう」
と、歯に衣着せぬ言い回しだった。まあ、そこまでハキハキせいとは言わぬが、もう少し自分の意見を述べてもいいと思う。
ところでこの青年、アマの全国大会で、埼玉県代表になったことが何度もあるという。それを最初に言ってほしい。どうも、手合いが違っていたようである。
もうこのあたりであがってもよかったのだが、大野八一雄七段が、もう一局指しましょうと申し出てくれる。大野教室は、1局の指導で終わらないのだ。
男性棋士にこんなに教えてもらうのは気がひけるが、私も将棋が好きなので、お言葉に甘えることにした。
やはり角を落としていただき戦っていると、植山七段とHon氏の指導対局が、感想戦に入った。
「また(上手の)秘策を教えちゃいましたよ」
「また何か(秘策を)考えとかないと」
とか、植山七段が言っている。上手の奥の手を、つい下手に教えてしまう。私相手にもそんなことがあったが、そこが植山七段のいいところである。もっともそれは大野七段も一緒なのは、言うまでもない。
私のほうは、またも負け。最後は追い込んだかに見えたが、キッチリ余された。これで大野七段には勝ち星なしの6連敗。それは実力だから仕方ないにしても、もう少し上手王をおびやかさないと、教えられる側としても申し訳がない。
このあとは大野七段、植山七段、W氏、Hon氏、私で食事に出かけた。愛妻家の植山七段は一刻も早く帰宅したいようだったが、強引に誘う。ところが食事代は植山七段が持ってくれたようで、却って恐縮してしまった。
さらに駅前の喫茶店に入って、おしゃべり。愛妻家の植山七段が一足先に店を後にしたが、私たちは居座って、さらにおしゃべりを続けた。
前日に大野教室に見えた、野月浩貴七段の話になる。野月七段の将棋に対する禁欲的な姿勢は、私も素晴らしいと思っている。W氏は前日、そんな野月七段の将棋の勉強法を聞いて、とても勉強になったという。
たとえば棋譜並べ。私などは漠然と並べるだけだが、野月七段は、自分が読んでいなかった手にチェックをし、研究するという。なるほど歴代の名人を見ても、理外の手を指す場合が少なくない。先入観なしに局面を見て、最善手を見つける。これが大事なのだ。
さらに、形勢判断。ふつうは、駒の損得や働きなどに重点を置く。それはそれでいいのだが、プロはそれらがもっと細分化されるという。
「この駒はいずれ手に入るから…」
「この駒はいずれ取られることになるから…」
「この駒は遊び駒になりそうだから…」
もろもろの条件を照らし合わせて、判断するのだという。
W氏の話を聞いていて、私もうなるばかりだった。こうした将棋の考え方は、ふつうの棋書には載っていない。これらの金言を直接聞けたW氏は、本当に運がよかった。
喫茶店には閉店の11時まで粘り、「蛍の光」に促され、私たちは店を出た。このお代は大野七段持ち。午後から1日遊んで、3,500円。あまりにも安すぎて、なんだか申し訳ない。
「こんな教室でよかったら、月に1度でも遊びにきてよ」
食堂を出たとき大野七段にそう言われたが、こうまで手厚くもてなされては、また大野教室に顔を出すしかあるまい。
3時休みが終了。詰将棋は8題中5題を解いたが、これだけ解ければ十分だ。
再開後は、植山悦行七段に教えていただくことになった。植山七段は駒落ち将棋の名人で、その指し回しは毎回参考になる。ところが植山七段は
「大沢さんと角落ちじゃきついなァ。平手で行きましょう」
と、駒を落とそうとしない。男性プロに平手で勝てるわけがないので、
「ご冗談を」
と、無理に角を落としてもらい、対局を開始した。
私の居飛車明示に植山七段も居飛車を採る。植山七段も私も居飛車と振り飛車の両方指すが、お互い居飛車がメインだ。
私は2筋の歩を換え、☗3六歩~☗3五歩と伸ばす。植山七段は☖2二銀。この交換は下手がトクをした。私は☗4五歩と伸ばし、☗4四歩~☗4五歩と継ぎ歩をする。☖同歩なら☗同桂の跳ね(☖5三金取り)が気持ちいい。
植山七段は☖5五歩と紛れを求めたが、私は落ち着いて☗同歩。植山七段は☖6二飛と回る。私の玉は☗6八にいて、間接的に睨まれている形。そこで私はいったん切った歩を☗6七歩と受けたが、対局中は弱気な手だと思った。
植山七段は☖6五桂と跳び、☖5七歩~☖7七歩と利かす。私はそのたびに金をよろけ、ひしゃげた形になった。
私は☗6五銀右と、桂を外す。と、植山七段が
「…けました」
と言った気がした。
「は? いま何か言いましたか?」
「負けました。いやだって、これじゃ指す手がないでしょう」
これは意外な言葉だった。
「そうですか? まだむずかしい形勢だと思ったんですが」
「いや(大沢さんに)一手の悪手もなかったでしょう。完璧ですよ」
「そうですか」
「こんないい将棋を指すのに、なんで大野クンに負けるのかなあ」
「はあ」
なんだか、植山七段が勝ちを譲ってくれたみたいで、釈然としない。前述したとおり、植山七段は駒落ち名人である。いつぞやの指導対局で植山七段は、「本気度60%」と語ったことがある。それなら実際は本気度30%ぐらいのはずで、本局も植山七段が、巧妙に緩めてくれたとしか考えられない。
それでも勝てれば嬉しい。この指導対局の終了図の駒の配置を、以下に記しておこう。
上手(角落ち)・植山七段:1一香、1四歩、2一桂、2二銀、2三歩、3二王、3三歩、4二金、4三歩、5七歩、6三金、6四銀、7七歩、8五飛、9一香、9四歩 持駒:歩
下手・一公:1七歩、1九香、2六飛、3五歩、3七桂、4八金、5四歩、6五銀、6六銀、6七歩、6八玉、7六歩、8七歩、8八金、8九桂、9六歩、9七角、9九香 持駒:桂、歩3
(☗6五銀右まで)
引き続き、植山七段と飛車落ちで…とW氏からのリクエストがあったが、私が固辞して、4局目は高校生と思しき青年との対局となった。
後手・青年氏の一手損角換わりに、私は棒銀に出る。対して青年氏は☖5四角。私は☗3八角と打つ。定跡ではむずかしいはずだったが、私の☗4六歩が疑問手で、形勢を損ねた。さらに疑問手を重ね、駒損が確定したところで、戦意喪失の投了。
引き続き感想戦に入ったが、青年氏は黙ったままだ。2局目の小学生クンも寡黙だった。先月の大野教室で私を完璧に負かした小学生クンは、
「ボクの☖9四歩は☗9五角を防ぐためだったけど、そちらの☗9六歩は意味がないでしょう」
「ここで☗6七金と上がるようじゃ、そちらがつらいでしょう」
と、歯に衣着せぬ言い回しだった。まあ、そこまでハキハキせいとは言わぬが、もう少し自分の意見を述べてもいいと思う。
ところでこの青年、アマの全国大会で、埼玉県代表になったことが何度もあるという。それを最初に言ってほしい。どうも、手合いが違っていたようである。
もうこのあたりであがってもよかったのだが、大野八一雄七段が、もう一局指しましょうと申し出てくれる。大野教室は、1局の指導で終わらないのだ。
男性棋士にこんなに教えてもらうのは気がひけるが、私も将棋が好きなので、お言葉に甘えることにした。
やはり角を落としていただき戦っていると、植山七段とHon氏の指導対局が、感想戦に入った。
「また(上手の)秘策を教えちゃいましたよ」
「また何か(秘策を)考えとかないと」
とか、植山七段が言っている。上手の奥の手を、つい下手に教えてしまう。私相手にもそんなことがあったが、そこが植山七段のいいところである。もっともそれは大野七段も一緒なのは、言うまでもない。
私のほうは、またも負け。最後は追い込んだかに見えたが、キッチリ余された。これで大野七段には勝ち星なしの6連敗。それは実力だから仕方ないにしても、もう少し上手王をおびやかさないと、教えられる側としても申し訳がない。
このあとは大野七段、植山七段、W氏、Hon氏、私で食事に出かけた。愛妻家の植山七段は一刻も早く帰宅したいようだったが、強引に誘う。ところが食事代は植山七段が持ってくれたようで、却って恐縮してしまった。
さらに駅前の喫茶店に入って、おしゃべり。愛妻家の植山七段が一足先に店を後にしたが、私たちは居座って、さらにおしゃべりを続けた。
前日に大野教室に見えた、野月浩貴七段の話になる。野月七段の将棋に対する禁欲的な姿勢は、私も素晴らしいと思っている。W氏は前日、そんな野月七段の将棋の勉強法を聞いて、とても勉強になったという。
たとえば棋譜並べ。私などは漠然と並べるだけだが、野月七段は、自分が読んでいなかった手にチェックをし、研究するという。なるほど歴代の名人を見ても、理外の手を指す場合が少なくない。先入観なしに局面を見て、最善手を見つける。これが大事なのだ。
さらに、形勢判断。ふつうは、駒の損得や働きなどに重点を置く。それはそれでいいのだが、プロはそれらがもっと細分化されるという。
「この駒はいずれ手に入るから…」
「この駒はいずれ取られることになるから…」
「この駒は遊び駒になりそうだから…」
もろもろの条件を照らし合わせて、判断するのだという。
W氏の話を聞いていて、私もうなるばかりだった。こうした将棋の考え方は、ふつうの棋書には載っていない。これらの金言を直接聞けたW氏は、本当に運がよかった。
喫茶店には閉店の11時まで粘り、「蛍の光」に促され、私たちは店を出た。このお代は大野七段持ち。午後から1日遊んで、3,500円。あまりにも安すぎて、なんだか申し訳ない。
「こんな教室でよかったら、月に1度でも遊びにきてよ」
食堂を出たとき大野七段にそう言われたが、こうまで手厚くもてなされては、また大野教室に顔を出すしかあるまい。