倉敷藤花戦の矢内理絵子女流四段と中村桃子女流1級の一戦は、中村女流1級の勝ち。中村女流1級にはおめでとう、と申し上げるが、個人的には、今後の「勝手にマッカラン勝負」に、微妙な影響を及ぼすことになった。中村女流1級には、矢内女流四段の分まで頑張ってもらわねばならない。
15日(金)のLPSA芝浦サロンは、石橋幸緒女流四段の担当だった。私は午後4時に仕事を終え、一憩したのち、芝浦へ向かう。JR田町駅で下車。きょうも「小諸そば」に入る。注文はもちろん「二枚そば」だ。
しかし出てきたそれは、一見してボリュームがなかった。とても「二枚」までいかず、「大もり」のもり具合だ。サラリーマン時代、私は小諸そばをひいきにしたが、小諸そばはときどきこれをやる。ゆでるそばの残りが微妙な量になってきたとき、それがやや少なめでも、客に出してしまうのだ。しかし私の目は誤魔化せない。
やや伸びたそばを食べ進むと、切れ切れのそばが下から出てくる。きっとお釜に残ったそばをすくったのだろう。前日の二枚もりはしこしこしていて絶品だったが、きょうは及第点には、至らなかった。
5時半、サロンに入る。しかしサロン内は暗かった。前半の指導対局は5時までだが、会員は将棋を終えると帰ってしまうので、節電も兼ねての措置である。いずれにしてもこの時間で客ゼロとは、駒込では考えられなかった光景だ。
石橋女流四段のほかに、受付担当のS氏が事務所から見えた。マガジンラックに「近代将棋」のバックナンバーが拡げられていたので、手に取ると、幼少のころの石橋女流四段が載っていた。第1回アマチュア女王戦・決勝戦の記事で、中倉彰子ちゃんに勝った石橋幸緒ちゃんが、賞状を受け取っている。ふたりとも、いまと全然変わっていない。
中をペラペラめくってみると、懐かしい記事ばかりだ。高橋道雄九段が名人挑戦を決めたモノクロ写真が載っている。これは平成4(1992)年5月号(4月売り)。大山康晴十五世名人が他界する3ヶ月前である。
田中寅彦八段の初心者講座があった。☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖5四歩。ここで☗2二角成☖同銀☗5三角は、☖4二角で先手おもしろくない、の解説。
本譜は☗2五歩☖5二飛。ここで先手は☗2四歩。☖同歩☗同飛☖8八角成☗同銀☖3三角☗2八飛☖2六歩…と進むが、これも先手悪い。
ゆえに先手は☗2四歩と突っかけず☗4八銀と自重するが、☖3三角☗6八玉と、いまの将棋界で最も指されている形になった。
序盤のエジソン・田中八段がここまで雑誌に発表していながら、なぜゴキゲン中飛車の発想が浮かばなかったのか、他人事ながら惜しまれてならない。
W氏が見え、S氏と練習将棋を始める。6時になり、石橋女流四段との指導対局となった。対局者は私とW氏。人気女流棋士の2面指しとは、かなり贅沢だ。もっとも石橋女流四段は4面指しでも6面指しでも可能なわけで、経営側から見れば、深刻な事態であろう。
対局中、表の看板を目にしたという新規のお客さん2名、さらに会員が1名見えた。LPSAが芝浦に移転して、新規の客もボチボチはある。あるのだが、レギュラーまでいかないのがもどかしい。
指導対局も終わり、8時10分すぎ、W氏とともにサロンを出た。食事は、私の意見を通して、サイゼリヤへ。W氏とふたりでファミレスへ行くのは意外にも初めてのような気がする。私は極度の人見知りなので、W氏とうまくしゃべれるか不安だったが、どうにか11時すぎまで乗り切ることができた。
帰り道、私とW氏がフランクに話すことになったのはいつからだろうと考えた。2008年11月、新宿のカフェバーで行われたLPSAイベントでは、すでにW氏とふつうに話せる関係になっていた。W氏によると、同年9月に私が初めて駒込ジョナサンに同席したときではないか、とのことだった。
かつて永井英明氏は、友人を作るには酒を飲むことだ、といった。これを芝浦サロンに当てはめると、友人を作るには、アフターにファミレスへ行くこと、となろうか。
15日(金)のLPSA芝浦サロンは、石橋幸緒女流四段の担当だった。私は午後4時に仕事を終え、一憩したのち、芝浦へ向かう。JR田町駅で下車。きょうも「小諸そば」に入る。注文はもちろん「二枚そば」だ。
しかし出てきたそれは、一見してボリュームがなかった。とても「二枚」までいかず、「大もり」のもり具合だ。サラリーマン時代、私は小諸そばをひいきにしたが、小諸そばはときどきこれをやる。ゆでるそばの残りが微妙な量になってきたとき、それがやや少なめでも、客に出してしまうのだ。しかし私の目は誤魔化せない。
やや伸びたそばを食べ進むと、切れ切れのそばが下から出てくる。きっとお釜に残ったそばをすくったのだろう。前日の二枚もりはしこしこしていて絶品だったが、きょうは及第点には、至らなかった。
5時半、サロンに入る。しかしサロン内は暗かった。前半の指導対局は5時までだが、会員は将棋を終えると帰ってしまうので、節電も兼ねての措置である。いずれにしてもこの時間で客ゼロとは、駒込では考えられなかった光景だ。
石橋女流四段のほかに、受付担当のS氏が事務所から見えた。マガジンラックに「近代将棋」のバックナンバーが拡げられていたので、手に取ると、幼少のころの石橋女流四段が載っていた。第1回アマチュア女王戦・決勝戦の記事で、中倉彰子ちゃんに勝った石橋幸緒ちゃんが、賞状を受け取っている。ふたりとも、いまと全然変わっていない。
中をペラペラめくってみると、懐かしい記事ばかりだ。高橋道雄九段が名人挑戦を決めたモノクロ写真が載っている。これは平成4(1992)年5月号(4月売り)。大山康晴十五世名人が他界する3ヶ月前である。
田中寅彦八段の初心者講座があった。☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖5四歩。ここで☗2二角成☖同銀☗5三角は、☖4二角で先手おもしろくない、の解説。
本譜は☗2五歩☖5二飛。ここで先手は☗2四歩。☖同歩☗同飛☖8八角成☗同銀☖3三角☗2八飛☖2六歩…と進むが、これも先手悪い。
ゆえに先手は☗2四歩と突っかけず☗4八銀と自重するが、☖3三角☗6八玉と、いまの将棋界で最も指されている形になった。
序盤のエジソン・田中八段がここまで雑誌に発表していながら、なぜゴキゲン中飛車の発想が浮かばなかったのか、他人事ながら惜しまれてならない。
W氏が見え、S氏と練習将棋を始める。6時になり、石橋女流四段との指導対局となった。対局者は私とW氏。人気女流棋士の2面指しとは、かなり贅沢だ。もっとも石橋女流四段は4面指しでも6面指しでも可能なわけで、経営側から見れば、深刻な事態であろう。
対局中、表の看板を目にしたという新規のお客さん2名、さらに会員が1名見えた。LPSAが芝浦に移転して、新規の客もボチボチはある。あるのだが、レギュラーまでいかないのがもどかしい。
指導対局も終わり、8時10分すぎ、W氏とともにサロンを出た。食事は、私の意見を通して、サイゼリヤへ。W氏とふたりでファミレスへ行くのは意外にも初めてのような気がする。私は極度の人見知りなので、W氏とうまくしゃべれるか不安だったが、どうにか11時すぎまで乗り切ることができた。
帰り道、私とW氏がフランクに話すことになったのはいつからだろうと考えた。2008年11月、新宿のカフェバーで行われたLPSAイベントでは、すでにW氏とふつうに話せる関係になっていた。W氏によると、同年9月に私が初めて駒込ジョナサンに同席したときではないか、とのことだった。
かつて永井英明氏は、友人を作るには酒を飲むことだ、といった。これを芝浦サロンに当てはめると、友人を作るには、アフターにファミレスへ行くこと、となろうか。