将棋界で筋のいい棋士の筆頭といえば、石田和雄九段である。いわゆる居飛車党の本格派で、得意戦法は矢倉。対振り飛車には急戦を得意にした。
アマチュアが大山康晴十五世名人や羽生善治名人など、史上最強の棋士の棋譜を並べるのもいいが、本当に参考になるのは、石田九段のような指し手だと思う。
芹沢博文九段の将棋もいい。中原誠十六世名人を育て上げた名棋士で、「××(チョメチョメ)先生」のイメージとは裏腹に、「将棋はこう指さねばならん」という信念を持っていた。
芹沢九段は阿部隆八段を買っていたが、たしかに阿部八段の将棋にも、似たようなところがある。
その芹沢九段と石田九段がかつて、NHK杯将棋トーナメントで激突したことがある。1980年度の第30回NHK杯1回戦第2局がそうで、対局日は4月21日、放映日が5月4日だった。ちなみに1980年4月21日は、千葉涼子女流四段が生まれた日である。
先手・八段 石田和雄
後手・八段 芹沢博文
持ち時間:25分
▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲2六歩△4二銀▲4八銀△3二金▲7八金△5四歩▲5六歩△4一玉▲6九玉△5二金▲5八金△3三銀▲6六歩△3一角
▲7九角△4四歩▲3六歩△7四歩▲3七銀△8五歩▲6七金右△4三金右▲1六歩△7三銀▲2五歩△7五歩▲同歩△同角▲3五歩△同歩▲同角△6四角▲4六角△同角
▲同銀△3八歩▲同飛△2七角▲3九飛△3八歩▲4九飛△3六角成▲7九玉△3九歩成▲同飛△4七馬▲5七銀△5五歩▲8八玉△3一玉▲7二歩△同飛▲6一角△6二飛
▲8三角成△2二玉▲7四歩△8二銀▲8四馬△5二飛▲7五馬△5六歩▲5三歩△同金▲5六銀△4八馬▲3六飛△5八馬▲3八飛△4九馬▲3七飛△3四歩▲6五歩△5八馬
▲8五馬△8三銀▲5四歩△同金▲7三歩成△同桂▲6三馬△5三飛▲同馬△同金▲2四歩△同銀▲5一飛△4三金右▲5四歩△4二角▲9一飛成△7六歩▲同金△8五桂
▲6七銀△7七桂成▲同金引△4八馬▲4五歩△6六歩▲同銀△7六歩▲6七金寄△8六歩▲同歩△8七歩▲同玉△8五歩▲7五歩△8四銀▲9八玉△8六歩▲8八歩△3七馬
▲同桂△3八飛▲6八香△6九銀▲7九金△5八銀不成▲7六金△3九竜▲7八金△6九竜▲7七金上△6八竜▲4四歩△同金▲6二角△3三角▲8四角成△5五金▲同銀△同角
▲7八金打△8七銀▲同歩△7八竜▲同金△6七銀不成▲4一銀△4二金▲7七金引△7八銀成▲同金△7六金▲3一銀△1二玉▲8八銀△6七金打▲4七飛△4六歩▲6七飛△同金
▲6七金△3八飛▲2二金△同角▲同銀成△同玉▲3一角△同玉▲3二金△同金▲同銀成△同玉▲4四桂△3三玉▲3一竜
まで、175手で石田八段の勝ち。
両者得意の相矢倉から、石田八段は▲3七銀。石田八段は早めに銀を上がるのが好きだった。
芹沢八段、角を換わって△3八歩は、馬を作る手筋。
53手目▲5七銀に、私なら△同馬▲同金△4八銀としてしまうが、後の反動が厳しいのだろう。芹沢八段は△5五歩と味を付けた。
95手目▲5四歩に、△4二角の自陣角が、本局で私がいちばん感心した手。将棋は受けばかりではダメ、反撃の味を持つのがよい、の教えを地で行く手だったと思う。▲9一飛成で後手に手番が回り、持駒は歩が6枚。歩もこれだけあれば、相当な戦力である。
手始めは△7六歩。▲同金に△8五桂と跳んだ。▲6七銀に△7七桂成。先手は遊び気味の銀を引き締め、後手は遊び気味の桂を銀と交換した。このあたりの遊び駒を作らない指し手は、大いに参考になる。
芹沢八段、5つ目の歩を8七に叩き、▲同玉に△8五歩。囲いに収まっていた先手玉が、危険地帯におびき出されてしまった。
さらに△8四銀と活用し、△5五金と捌いて△5五同角。これが▲9一竜に当たっているが、石田八段は▲7八金打と竜を叱る。実はここが微妙なところで、芹沢八段は△5五同角に、竜を逃げてもらいたかったらしい。しかし石田八段は竜取りに気付いていなかった。これに芹沢八段が調子を狂わせる。
△8七銀――。歩頭に銀を打ったが、石田八段に怪訝な表情でふつうに▲同歩と取られ、己の錯覚に気付いたがもう遅い。芹沢八段、竜を切って△6七銀不成の活用だが、▲4一銀と攻守ところを変えては、形勢は石田八段に傾いたようだ。
戻って△8七銀では、△6七銀不成とするのがよかったらしい。以下▲6八金に△7六銀で、後手十分だった。
△3八飛に、▲2二金で以下は即詰み。テレビ将棋なので、視聴者にも分かりやすい局面での投了となった。
これぞプロの将棋。両者の持ち味がよく出た好局だったと思う。
アマチュアが大山康晴十五世名人や羽生善治名人など、史上最強の棋士の棋譜を並べるのもいいが、本当に参考になるのは、石田九段のような指し手だと思う。
芹沢博文九段の将棋もいい。中原誠十六世名人を育て上げた名棋士で、「××(チョメチョメ)先生」のイメージとは裏腹に、「将棋はこう指さねばならん」という信念を持っていた。
芹沢九段は阿部隆八段を買っていたが、たしかに阿部八段の将棋にも、似たようなところがある。
その芹沢九段と石田九段がかつて、NHK杯将棋トーナメントで激突したことがある。1980年度の第30回NHK杯1回戦第2局がそうで、対局日は4月21日、放映日が5月4日だった。ちなみに1980年4月21日は、千葉涼子女流四段が生まれた日である。
先手・八段 石田和雄
後手・八段 芹沢博文
持ち時間:25分
▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀△6二銀▲2六歩△4二銀▲4八銀△3二金▲7八金△5四歩▲5六歩△4一玉▲6九玉△5二金▲5八金△3三銀▲6六歩△3一角
▲7九角△4四歩▲3六歩△7四歩▲3七銀△8五歩▲6七金右△4三金右▲1六歩△7三銀▲2五歩△7五歩▲同歩△同角▲3五歩△同歩▲同角△6四角▲4六角△同角
▲同銀△3八歩▲同飛△2七角▲3九飛△3八歩▲4九飛△3六角成▲7九玉△3九歩成▲同飛△4七馬▲5七銀△5五歩▲8八玉△3一玉▲7二歩△同飛▲6一角△6二飛
▲8三角成△2二玉▲7四歩△8二銀▲8四馬△5二飛▲7五馬△5六歩▲5三歩△同金▲5六銀△4八馬▲3六飛△5八馬▲3八飛△4九馬▲3七飛△3四歩▲6五歩△5八馬
▲8五馬△8三銀▲5四歩△同金▲7三歩成△同桂▲6三馬△5三飛▲同馬△同金▲2四歩△同銀▲5一飛△4三金右▲5四歩△4二角▲9一飛成△7六歩▲同金△8五桂
▲6七銀△7七桂成▲同金引△4八馬▲4五歩△6六歩▲同銀△7六歩▲6七金寄△8六歩▲同歩△8七歩▲同玉△8五歩▲7五歩△8四銀▲9八玉△8六歩▲8八歩△3七馬
▲同桂△3八飛▲6八香△6九銀▲7九金△5八銀不成▲7六金△3九竜▲7八金△6九竜▲7七金上△6八竜▲4四歩△同金▲6二角△3三角▲8四角成△5五金▲同銀△同角
▲7八金打△8七銀▲同歩△7八竜▲同金△6七銀不成▲4一銀△4二金▲7七金引△7八銀成▲同金△7六金▲3一銀△1二玉▲8八銀△6七金打▲4七飛△4六歩▲6七飛△同金
▲6七金△3八飛▲2二金△同角▲同銀成△同玉▲3一角△同玉▲3二金△同金▲同銀成△同玉▲4四桂△3三玉▲3一竜
まで、175手で石田八段の勝ち。
両者得意の相矢倉から、石田八段は▲3七銀。石田八段は早めに銀を上がるのが好きだった。
芹沢八段、角を換わって△3八歩は、馬を作る手筋。
53手目▲5七銀に、私なら△同馬▲同金△4八銀としてしまうが、後の反動が厳しいのだろう。芹沢八段は△5五歩と味を付けた。
95手目▲5四歩に、△4二角の自陣角が、本局で私がいちばん感心した手。将棋は受けばかりではダメ、反撃の味を持つのがよい、の教えを地で行く手だったと思う。▲9一飛成で後手に手番が回り、持駒は歩が6枚。歩もこれだけあれば、相当な戦力である。
手始めは△7六歩。▲同金に△8五桂と跳んだ。▲6七銀に△7七桂成。先手は遊び気味の銀を引き締め、後手は遊び気味の桂を銀と交換した。このあたりの遊び駒を作らない指し手は、大いに参考になる。
芹沢八段、5つ目の歩を8七に叩き、▲同玉に△8五歩。囲いに収まっていた先手玉が、危険地帯におびき出されてしまった。
さらに△8四銀と活用し、△5五金と捌いて△5五同角。これが▲9一竜に当たっているが、石田八段は▲7八金打と竜を叱る。実はここが微妙なところで、芹沢八段は△5五同角に、竜を逃げてもらいたかったらしい。しかし石田八段は竜取りに気付いていなかった。これに芹沢八段が調子を狂わせる。
△8七銀――。歩頭に銀を打ったが、石田八段に怪訝な表情でふつうに▲同歩と取られ、己の錯覚に気付いたがもう遅い。芹沢八段、竜を切って△6七銀不成の活用だが、▲4一銀と攻守ところを変えては、形勢は石田八段に傾いたようだ。
戻って△8七銀では、△6七銀不成とするのがよかったらしい。以下▲6八金に△7六銀で、後手十分だった。
△3八飛に、▲2二金で以下は即詰み。テレビ将棋なので、視聴者にも分かりやすい局面での投了となった。
これぞプロの将棋。両者の持ち味がよく出た好局だったと思う。