身代わり観音は白亜で、台座から7~8メートルの高さがあった。こんなに大きいとは思わなかった。何か御利益もあるに違いないが、私には分からない。
お賽銭箱の手前にはヒモのようなものがすだれ状にかかっており、私はその隙間からお賽銭(5円)を投じ、お参りをした。
満足して下山すると、その途中にお寺があった。桜の山も合わせ、これは十分に観光地になると思った。
道路に出ると、最初に私が来た場所に近かった。あの時もう数十メートル歩いていたら、身代わり観音が視界に入ったはずだ。私の人生は、こんな回り道ばかりである。
駅までの道は、味わい深い昭和の建物が多かった。今は空き家で、朽ちかけている物件も多い。人が住まないと腐食が進む。これは不思議なことだと思う。
駅に戻り、佐賀までの切符を買う。JRだけを利用するなら、早岐から博多までは100km以上なので、通しで買えば途中下車もできて安い。しかし私は西鉄の天神に到着したいし、今回はオレンジカードを使っちゃわなければならない。よって、こういう面倒な買い方をしているわけだ。
11時29分の長崎本線を待つ。列車は4分遅れで到着し、佐賀に着くまで、その遅れは取り戻せなかった。
佐賀には何度か訪れたことがあるが、佐賀神社と城趾くらいしか見るものがない。あと、鉄道マニアには旧佐賀線の筑後川昇開橋がオススメだろうか。ほかにも観光地はあるのだろうが、それを調べるほど熱心ではない。
駅の観光案内所で、佐賀市内のパンフレットをもらう。旅先ではこれが必須で、市販のガイドブックより詳細に、街の情報を教えてくれる。
そうだ、佐賀からは高速バスで天神入りしよう。幸い、バスの本数もいっぱいある。
とりあえず佐賀神社ということで、駅前の大通りをぶらぶら歩く。
道の反対側に、「八頭司伝吉」というシャレた洋館があった。渡ってみると、まさに「ようかん」を売っている店だった。
入店すると、うまそうな羊羹が並んでいる。店の人が試食を勧めていて、私もお茶といっしょにいただく。こうなっては、人間には「返報性」があるから、もう何か買わないとダメである。もとより、最初から何か買うつもりだった。
つぶあんと抹茶あんの(中)羊羹を買った(各918円)。
伝吉の何軒か先の建物は、手打ち蕎麦屋だった。「そば勢」という屋号は勢いがあってよい。
ちょうど昼時なので、入ってみる。そこはカウンターだけの店で、大将が見守るなか、若手の料理人がキビキビと働いていた。
ざるそばセットAの「とり天丼」を注文する(750円)。佐賀県でとり天丼を食べられると思わなかったから、これはラッキーだ。
ざるそば、とり天丼、どちらも美味かった。
街には「1868-2018肥前さが幕末維新博覧会」の文字が躍る。今年は明治維新から150年。どこかで何かをやっているらしいが、私は幕末に興味がないので微妙だ。
「しらやま商店街」なるアーケード街に入り、左折する。お堀があり、佐賀城内に入ったことを認識した。
だが歓楽街に入ったりして、ちょっと戸惑う。いまは昼だから閑散としているが、硬と軟がこれだけ至近距離なのも珍しいのではないか。
小便がしたくなった。見ると、空き地の一隅に公衆トイレがある。その向こうは味わい深い昭和の民家が並び、さらにその向こうには高層マンションが林立している。東京でも時々見る光景だが、これが日本の縮図を表しているとはいえまいか。
佐賀神社に着いた。この神社はスケールが大きく、一度は参拝するべきである。
今回は御朱印帳を忘れたのでアレだが、御朱印は紙のものをいただくこともできる。それで受付所に寄ったのだが、別の場所を指示された。
でもそこに行くのが面倒になり、今回は御朱印はパス。お賽銭を投じるにももう5円玉がなく、安い小銭は10円玉しかない。「10円=遠縁」を連想させるのでアレだが、投じた。
神社を出ると、これも味わい深い店舗で、「肉まんじゅう」を売っていた。行列を作っていて、ここは何度か通ったことがある。肉まんは美味いに違いないが、私は行列に並ばない主義なので、ここもパスする。
お堀を渡ると、さっきの「博覧会」の大きな看板があった。そこは「幕末維新記念館」で、ここを拠点に、各地で博覧会を催していたのだ。
もちろん入場料はあって、この記念館のみは800円。別所2つとセットだと1,200円になる。ビビる大木なら喜んで入場するだろうが、先にも書いた通り、私は歴史にほとんど興味がない。申し訳ないが、ここもパスした。
再び大通りに戻り、先へ進む。幾何学模様の斬新な建物が見えて来た、佐賀県立博物館である。ここは無料なので、ありがたく入館した。
中は、佐賀県の歴史や文化が、豊富な資料や造形物によって展示されていた。とても無料とは思えぬ情報量で、これは小学生の社会科見学にうってつけだと思った。
階上に行くと、「佐賀県障がい者文化芸術作品展」をやっていた。大して期待はしなかったが、これが力作ぞろいで、びっくりした。作者は健常者なのではと訝ったほどだ。
帰りに係の人に聞くと、これはこの時期の恒例で、もう18回目になるとのことだった。ヒトによっては制作に半年以上かかることもあるが、みなこの出展を楽しみにしているという。
そういう話を聞くと、一応五体満足である自分が、就職ひとつ決められずうじうじしているのが、ひどく惨めなことに思えた。もっと努力しなければいけないと教えられるのだ。
私は心からお礼を述べた。
1階の土産処に行くと、絵はがきや画集が売られていた。佐賀出身の画家・岡田三郎助の画集もある。一冊くらい購入してもいいと思うが、自宅に帰ってから鑑賞するかといえば、しないと思う。あとは絵はがきだが、どうも裸婦画にばかり目が行ってしまって、これをレジの女性に見せるのも抵抗がある。
近くに募金箱があったので、ここに募金することにした。この博物館があまりにも見応え十分だったので、いくらか出したくなったのだ。
財布を探ると、100円玉1枚と50円玉が4枚あったので、それを投じた。都合300円では安かったかもしれないが、私程度の器ではこのくらいの額が適当である。
お隣の佐賀県立美術館でも、出し物がある。現在は「吉岡徳仁 ガラスの茶室-光庵」を開催している。博物館でもこのパンフレットが置いてあったが、美術館は入場料が1,300円で、これは入る気がしない。申し訳ないが、回れ右した。
道の反対側には、佐賀城址がある。鯱の門をくぐり右に進むと、「佐賀城本丸歴史館」があった。ここも何度か訪れたことがあるが、やはり無料である。ただ、できれば募金をするのが望ましい。
とりあえず入場する。
と、画板を持った少年少女が、私の横をすり抜けていった。彼らによって、これから何か始まるようだった。
そしてこれが、今回の旅行で最大の感動になるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。
(つづく)
お賽銭箱の手前にはヒモのようなものがすだれ状にかかっており、私はその隙間からお賽銭(5円)を投じ、お参りをした。
満足して下山すると、その途中にお寺があった。桜の山も合わせ、これは十分に観光地になると思った。
道路に出ると、最初に私が来た場所に近かった。あの時もう数十メートル歩いていたら、身代わり観音が視界に入ったはずだ。私の人生は、こんな回り道ばかりである。
駅までの道は、味わい深い昭和の建物が多かった。今は空き家で、朽ちかけている物件も多い。人が住まないと腐食が進む。これは不思議なことだと思う。
駅に戻り、佐賀までの切符を買う。JRだけを利用するなら、早岐から博多までは100km以上なので、通しで買えば途中下車もできて安い。しかし私は西鉄の天神に到着したいし、今回はオレンジカードを使っちゃわなければならない。よって、こういう面倒な買い方をしているわけだ。
11時29分の長崎本線を待つ。列車は4分遅れで到着し、佐賀に着くまで、その遅れは取り戻せなかった。
佐賀には何度か訪れたことがあるが、佐賀神社と城趾くらいしか見るものがない。あと、鉄道マニアには旧佐賀線の筑後川昇開橋がオススメだろうか。ほかにも観光地はあるのだろうが、それを調べるほど熱心ではない。
駅の観光案内所で、佐賀市内のパンフレットをもらう。旅先ではこれが必須で、市販のガイドブックより詳細に、街の情報を教えてくれる。
そうだ、佐賀からは高速バスで天神入りしよう。幸い、バスの本数もいっぱいある。
とりあえず佐賀神社ということで、駅前の大通りをぶらぶら歩く。
道の反対側に、「八頭司伝吉」というシャレた洋館があった。渡ってみると、まさに「ようかん」を売っている店だった。
入店すると、うまそうな羊羹が並んでいる。店の人が試食を勧めていて、私もお茶といっしょにいただく。こうなっては、人間には「返報性」があるから、もう何か買わないとダメである。もとより、最初から何か買うつもりだった。
つぶあんと抹茶あんの(中)羊羹を買った(各918円)。
伝吉の何軒か先の建物は、手打ち蕎麦屋だった。「そば勢」という屋号は勢いがあってよい。
ちょうど昼時なので、入ってみる。そこはカウンターだけの店で、大将が見守るなか、若手の料理人がキビキビと働いていた。
ざるそばセットAの「とり天丼」を注文する(750円)。佐賀県でとり天丼を食べられると思わなかったから、これはラッキーだ。
ざるそば、とり天丼、どちらも美味かった。
街には「1868-2018肥前さが幕末維新博覧会」の文字が躍る。今年は明治維新から150年。どこかで何かをやっているらしいが、私は幕末に興味がないので微妙だ。
「しらやま商店街」なるアーケード街に入り、左折する。お堀があり、佐賀城内に入ったことを認識した。
だが歓楽街に入ったりして、ちょっと戸惑う。いまは昼だから閑散としているが、硬と軟がこれだけ至近距離なのも珍しいのではないか。
小便がしたくなった。見ると、空き地の一隅に公衆トイレがある。その向こうは味わい深い昭和の民家が並び、さらにその向こうには高層マンションが林立している。東京でも時々見る光景だが、これが日本の縮図を表しているとはいえまいか。
佐賀神社に着いた。この神社はスケールが大きく、一度は参拝するべきである。
今回は御朱印帳を忘れたのでアレだが、御朱印は紙のものをいただくこともできる。それで受付所に寄ったのだが、別の場所を指示された。
でもそこに行くのが面倒になり、今回は御朱印はパス。お賽銭を投じるにももう5円玉がなく、安い小銭は10円玉しかない。「10円=遠縁」を連想させるのでアレだが、投じた。
神社を出ると、これも味わい深い店舗で、「肉まんじゅう」を売っていた。行列を作っていて、ここは何度か通ったことがある。肉まんは美味いに違いないが、私は行列に並ばない主義なので、ここもパスする。
お堀を渡ると、さっきの「博覧会」の大きな看板があった。そこは「幕末維新記念館」で、ここを拠点に、各地で博覧会を催していたのだ。
もちろん入場料はあって、この記念館のみは800円。別所2つとセットだと1,200円になる。ビビる大木なら喜んで入場するだろうが、先にも書いた通り、私は歴史にほとんど興味がない。申し訳ないが、ここもパスした。
再び大通りに戻り、先へ進む。幾何学模様の斬新な建物が見えて来た、佐賀県立博物館である。ここは無料なので、ありがたく入館した。
中は、佐賀県の歴史や文化が、豊富な資料や造形物によって展示されていた。とても無料とは思えぬ情報量で、これは小学生の社会科見学にうってつけだと思った。
階上に行くと、「佐賀県障がい者文化芸術作品展」をやっていた。大して期待はしなかったが、これが力作ぞろいで、びっくりした。作者は健常者なのではと訝ったほどだ。
帰りに係の人に聞くと、これはこの時期の恒例で、もう18回目になるとのことだった。ヒトによっては制作に半年以上かかることもあるが、みなこの出展を楽しみにしているという。
そういう話を聞くと、一応五体満足である自分が、就職ひとつ決められずうじうじしているのが、ひどく惨めなことに思えた。もっと努力しなければいけないと教えられるのだ。
私は心からお礼を述べた。
1階の土産処に行くと、絵はがきや画集が売られていた。佐賀出身の画家・岡田三郎助の画集もある。一冊くらい購入してもいいと思うが、自宅に帰ってから鑑賞するかといえば、しないと思う。あとは絵はがきだが、どうも裸婦画にばかり目が行ってしまって、これをレジの女性に見せるのも抵抗がある。
近くに募金箱があったので、ここに募金することにした。この博物館があまりにも見応え十分だったので、いくらか出したくなったのだ。
財布を探ると、100円玉1枚と50円玉が4枚あったので、それを投じた。都合300円では安かったかもしれないが、私程度の器ではこのくらいの額が適当である。
お隣の佐賀県立美術館でも、出し物がある。現在は「吉岡徳仁 ガラスの茶室-光庵」を開催している。博物館でもこのパンフレットが置いてあったが、美術館は入場料が1,300円で、これは入る気がしない。申し訳ないが、回れ右した。
道の反対側には、佐賀城址がある。鯱の門をくぐり右に進むと、「佐賀城本丸歴史館」があった。ここも何度か訪れたことがあるが、やはり無料である。ただ、できれば募金をするのが望ましい。
とりあえず入場する。
と、画板を持った少年少女が、私の横をすり抜けていった。彼らによって、これから何か始まるようだった。
そしてこれが、今回の旅行で最大の感動になるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。
(つづく)