大野八一雄七段は、その名前からきょう8月10日生まれと思われそうだが?、実際の誕生日は3月7日である。ただ、「810」は本人も愛着があるようで、メールアドレスの一部にも使用している。
大野七段は五段時代の第21期新人王戦(しんぶん赤旗、日本将棋連盟主催)で決勝に進出し、気鋭の森下卓六段(現九段)と優勝を争った。森下六段は当時勝ちまくっており、将来のタイトル保持者と目されていた。
第1局は1990年10月9日に行われた。将棋は森下六段の先手で、森下六段は当然矢倉。大野五段は矢倉中飛車を匂わせたが、右玉に落ち着いた。受けの棋風の大野七段らしい。
将棋は森下六段の攻め、大野五段の受けという展開になったが、森下六段の攻めが手厚い。大野五段も必死に受けるが、反撃含みでないため、森下六段がじわじわと優位を拡大していった。
以下、133手まで森下六段が勝った。
第2局は16日後の10月25日に行われた。先後変わって、相掛かり。森下六段が中盤に馬を作り、△3四馬と引き揚げた。5六には先手の飛車がいるのだが、馬の価値が高く、とても交換する気になれない。
大野七段は7筋に飛車を転回し、▲8六歩とこじ開ける。およそ大野五段らしくない指し方で、内心腐っているのが分かる。
森下六段、飛車取りに金を打つ。ここで大野五段が投了した。言っちゃあ悪いが、私でもここで投げる。もうバカバカしくて指してられない、というところ。
かくして大野五段の檜舞台は幕となった。そして大野七段の番勝負登場も、これが最後となった。
いっぽうの森下六段はこの後、名人戦をはじめ6つのタイトル戦に登場したが、ついにタイトルを獲得することはなかった。強豪森下九段にして、ノンタイトル。将棋の世界は厳しい。
最近は大野教室にとんとご無沙汰していて、しかもその間、私の頭はだいぶ禿げあがってしまった。いまとなっては会わせる頭がなく、よけいそれが足を遠のかせる。
いまの状況を整理して、ちょっと心に余裕ができたら、またお邪魔したいと思っている。
大野七段は五段時代の第21期新人王戦(しんぶん赤旗、日本将棋連盟主催)で決勝に進出し、気鋭の森下卓六段(現九段)と優勝を争った。森下六段は当時勝ちまくっており、将来のタイトル保持者と目されていた。
第1局は1990年10月9日に行われた。将棋は森下六段の先手で、森下六段は当然矢倉。大野五段は矢倉中飛車を匂わせたが、右玉に落ち着いた。受けの棋風の大野七段らしい。
将棋は森下六段の攻め、大野五段の受けという展開になったが、森下六段の攻めが手厚い。大野五段も必死に受けるが、反撃含みでないため、森下六段がじわじわと優位を拡大していった。
以下、133手まで森下六段が勝った。
第2局は16日後の10月25日に行われた。先後変わって、相掛かり。森下六段が中盤に馬を作り、△3四馬と引き揚げた。5六には先手の飛車がいるのだが、馬の価値が高く、とても交換する気になれない。
大野七段は7筋に飛車を転回し、▲8六歩とこじ開ける。およそ大野五段らしくない指し方で、内心腐っているのが分かる。
森下六段、飛車取りに金を打つ。ここで大野五段が投了した。言っちゃあ悪いが、私でもここで投げる。もうバカバカしくて指してられない、というところ。
かくして大野五段の檜舞台は幕となった。そして大野七段の番勝負登場も、これが最後となった。
いっぽうの森下六段はこの後、名人戦をはじめ6つのタイトル戦に登場したが、ついにタイトルを獲得することはなかった。強豪森下九段にして、ノンタイトル。将棋の世界は厳しい。
最近は大野教室にとんとご無沙汰していて、しかもその間、私の頭はだいぶ禿げあがってしまった。いまとなっては会わせる頭がなく、よけいそれが足を遠のかせる。
いまの状況を整理して、ちょっと心に余裕ができたら、またお邪魔したいと思っている。