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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

中井広恵と行く稚内ツアー(第9手)・ペア将棋決勝は、金内・Isペア×N・一公ペア

2012-06-21 00:30:09 | 将棋イベント
両ペアの棋力を考えた場合、金内元朝日アマ名人がいる相手ペアが有利だ。
しかしペア将棋では何が起こるか分からない。こちらはそこだけが付け目だった。
振り駒で私たちの先手。N→金内→一公→Isの順番だ。▲7六歩△3四歩▲2六歩△5四歩。後手はゴキゲン中飛車模様だ。これは意外だった。
もっとも私たちが準決勝を戦っているとき、金内氏とIs氏がゴキゲン中飛車談議をしていた。それが記憶に残っていれば、初手に▲2六歩として、スンナリゴキゲン中飛車にさせない手はあった。
8手目に角を換わられたが、私たちは▲2四歩~▲2三角~▲3四角成と馬を作る。このあたりはお互い指したい手が一致して、ひとりで指しているかのようだった。
しかしそののち、角金交換で駒損した上、馬を二枚作られては模様が悪くなった。▲4三とに△4六香。この局面が下である。

先手・N・一公ペア:1三竜、1七歩、3八歩、4三と、4七金、5七歩、6七歩、6八金、7六歩、7七銀、7八玉、8七歩、8九桂、9六歩、9九香 持駒:金、桂2、香、歩
後手・金内・Isペア:1九馬、3六歩、4五銀、4六香、5四歩、6一金、6二飛、6三歩、6四馬、7二銀、7三歩、8一桂、8二玉、8三歩、9一香、9四歩 持駒:銀、歩3

以下の指し手:▲4六同金(一)△同馬引(Is)▲2三竜(N)△3五馬(金)▲5三金(一)△2二歩(Is)▲3三竜(N)△3四馬(金)▲同竜(一)△同銀(Is)▲6二金(N)△同金(金)▲4一飛(一)△6一金打(Is)

この時点で双方30秒の秒読み。△4六香には▲5三との攻め合いを考えたが、△4七香成と急所に成り駒を作られるうえ、次に△5八金と張りつかれる手が早く見えて、指し切れなかった。
次に▲5六金をかわす手を考えた。これはプロっぽい手だ。しかし30秒では分かりやすいほうに手がいってしまう。私は▲4六同金と取ったが、これが悪手。好所に馬を引かれたうえ竜当たりになっては、一遍に形勢を損ねた。
金内氏の△3四馬に▲同竜も早まった。ここは▲6二金と飛車を取るべき。対局中は以下△3三馬▲7二金△同金▲3三とで、と金がソッポに行くのが気に入らなかったのだが、この局面は先手の角得。よって▲6二金には△同金の一手で、そこで落ち着いて▲3二竜と指せば、先手が面白い形勢だった。
さらに本譜、▲4一飛が信じられない手。これ、ふつうの人間だったら、▲3二飛と金銀両取りに打つ。このあたり、全然手が見えなかった。
数手後、△5八金と打たれたら、金のないこちらは受けがなかったが、△6四歩と手を戻してくれたので、▲5八角で一息つくことができた。
しかし苦しいことに変わりはなく、以下も辛抱の順が続く。局面はだいぶ悪いが、先手▲7六銀▲7七銀、後手△5六竜△7二金△7四金の局面で、私が▲7五歩と打ったのが最後の悪手。まだしも▲7五香と打つべきだった。
対局中は△7五同金▲同銀に△7六歩を気にしたのだが、そんなことを言っている場合ではなかった。
最後は△8六桂で私(たち)の投了。Is氏の報告によると、総手数170手。不動駒3枚の大熱戦だった。
結果は残念だったが、1時間半近くの熱闘で、こんなに集中して将棋を指したのは久しぶり。心地いい疲れだった。
なお大野八一雄七段の見解では、▲4六同金で▲5三とと寄れば、先手が優勢だったという。ああ、見ていてくれたんですか…。私はそれだけでうれしかった。そして私は中井広恵女流六段の隣にすわり、癒された。
海鮮は相変わらずテーブルに出ている。もう腹はくちているが、つい箸をつけてしまう。
支部の人が気を利かせて、毛ガニの肉を掘り出し、甲羅に盛ってくれた。カニ肉が山盛りになっている。これは贅沢だ。ほぐされた身を味噌につけて食べる。美味い!! 両親に食べさせたい、と思った。
中井女流六段のお父さんと将棋を指すことにする。中井女流六段に手合いを確認すると、私の二枚落ちで、とのことだった。その手合いはないと思う。
不服ながらも対局開始。お父さんは▲4五歩~▲3五歩と定跡どおりに進める。やがて銀交換を果たし、▲7二銀。△同玉は▲5三角成だから△5二玉だが、以下も快調に攻められ、私の玉は逃げ回るばかり。最後は金とと金で着実に攻められ、私の投了となった。
お父さんは続けてFuj氏と指す。お父さん、お父さんも将棋バカだったんですね…。
私は刺し身をつまむ。植山悦行七段、W氏が近くにいたので、LPSA金曜サロンのころを懐かしんだ。
「あのころはサロンに行くのが楽しくて、こんなにいいことが続いていいのかな、って思いながら通ってた」
と私。それを聞いた中井女流六段が
「大沢さんて、そういうところあるよね。私のときも…」
と言った。
たしかにそうで、中井女流六段とデートしていても、私は
(こんないいことがあるのはおかしい。絶対しっぺ返しがある)
と悪い方へ悪い方へ考えていた。
「近代将棋」のバックナンバーがあった。中を繰ると、植山四段、中井女流名人の婚約会見の記事があった。師匠の佐瀬勇次八段が立ち会い、報道陣を招いての正式なものである。男性棋士とトップ女流棋士の結婚は、当時センセーショナルだったことが分かる。
植山四段は好青年。いまと違って頭髪もあった。中井女流名人はいまと変わらぬ顔立ちだ。しかし時の移ろいは残酷だ。中井女流六段、あの髪にはダマされた、というところだろうが、まあなんであれ、ふたりがいまも幸せなのはいいことだ。
A氏が中井女流六段らを前にしみじみと語る。
「いや最初はねえ、東京から来る四段の人はひとりだけって聞いてたから、こちらはホッとしてたんですよ。ところが改めて聞いてみたら、四段が何人も来てるっていうでしょう。こりゃ対抗戦やっても、1勝しか挙げられないんじゃないかってね…。ところが対抗戦やってみたらあんた…」
こちらは穴があったら入りたい気分だった。
まだあっちこっちで将棋が指されている。将棋バカ万歳、である。私はそのA氏と対局。A氏の四間飛車穴熊を銀冠で迎え討ったが、A氏の捌きがさえ、居飛車陣は崩壊寸前。しかしそこでA氏が決め手を逸し、私が辛勝した。
この時点で時刻は、10日午前0時30分を過ぎていた。
あれほどあった食材も、ほぼなくなったようである。と思ったのは浅はかで、まだジンギスカンの食材が手つかずで残っていたらしい。稚内支部の皆さまのおもてなしに、ただただ感謝する私たちだった。
1時過ぎ、楽しい宴もついに中締めとなった。こんなによくしてもらって、なんと御礼を言っていいか分からない。皆さん気さくで、人当たりがよくて、本当に楽しい会だった。稚内支部、関東組とも口には出さねど、これを機に交流会を定期的に開きましょう、という雰囲気だった。
しかしその前に、私たちがもっと将棋を精進しなければならない。今回の成績では、とても稚内に再訪できない。
昭和30年代の丸の内を彷彿とさせる稚内の市街に出て、クルマで「ホテル奥田屋」に戻った。322号室に入り、みんなには悪いが、先にシャワーを浴びさせてもらう。
浴室から出てドライヤーを手に取ったが、誤って落としてしまった。なんか、ドライヤーの動きがカクカクしている。見ると、ツガイの一部が欠けていた。
私は青くなる。ヤバイ…。His氏に続いて、私も粗相をしてしまった。やっぱりこれも、ホテルに申し出なくてはいけないのだろうか。
自分の中で激しい葛藤があったが、私は黙っていることにした。そしてこの判断が、のちのちまで私を苦しめることになる。
ともあれ、ドライヤーで頭を乾かす。相変わらず頭頂部が薄い。こんな薄毛で、よく中井女流六段の前に出られたものだ。植山七段も薄いが、アチラは前のほうからズゥーッときているから、まだ指せる。こちらは中央に穴が空いている形で、修正が利かないのだ。
暗澹たる気持ちで、脱衣所を出た。と、私の布団の中に、植山七段が寝ていた。
!? これは、どういうことだ…!?
(23日につづく)
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中井広恵と行く稚内ツアー(第8手)・夢の海鮮三昧

2012-06-20 00:27:39 | 将棋イベント
熱闘の余韻冷めやらぬまま、今回の稚内ツアーのもうひとつの目玉である、懇親会の準備が始まった。
部屋の前の庭にはブルーシートが張られ、即席の焼き場が造られていた。きのうは植山悦行七段もこちらに来て、設営の手伝いをしたという。ありがたいことである。
底の深いケースの中には、殻付きのウニ、ホタテ、毛ガニ、タラバガニ、ズワイガニ、北寄貝、ツブ貝、タコ、イカなどの海産物が、これでもかというくらい入っていた。漁師を生業にしている会員が、きのう獲ってくれたものだ。目も眩む光景である。
テーブルの上には刺し身の盛り合わせ、ウニなどが載り、みなが好みの席に座った。私の前は渡辺俊雄氏、その左に金内辰明氏が座った。こんな重量級が眼前にいては、緊張で海鮮の味も分からない。私は極度の人見知りなのである。
中井広恵女流六段、植山七段、大野八一雄七段はというと、向こう側に固まって談笑しており、まったく戦力にならない。
私の左にはHis氏が座っているが、両強豪に関心はなさそうだ。こちらが戸惑っている中、午後4時10分、中井女流六段の音頭で「乾杯!」となった。
さっそく殻付きのウニが配られる。二つに割られているが、トゲの部分が蠢いている。新鮮さの証である。
中の身をプラスチックのスプーンで掬って食べるが、そのスプーンが足りなかった。
私は
「こんなこともあろうかと、保存していたのがあるんですよ…」
とつぶやき、スーツのポケットからプラスチックのスプーンを取り出す。それを見ていた渡辺・金内両氏が爆笑した。
ウニはなめらかで、美味かった。ウニ特有の臭みがまったくなく、いくらでも入りそうだ。これがウニ本来の味なのだろう。
両強豪とは、ひょんなことから、話の糸口をつかむことができた。私はふたりを退屈させないよう、話題を振る。
渡辺氏は元アマ竜王、金内氏は元朝日アマ名人という、輝かしい棋歴の持ち主。最近はプロアマの垣根も低くなってきているが、おふたりにプロ入りの意向はないのか、聞いてみた。渡辺氏だったか金内氏だったか失念したが、稚内の将棋熱をアテこんで、いま勤めている会社に、自ら稚内勤務を申し出たほどなのだ。その将棋熱はハンパではない。
「仮にプロになれたとしても、いいとこC2どまり。プロになる意志はまったくない」
と異口同音の答えだった。
将棋が強くなるには? の問いには、金内氏が「将棋に勝つためには」と捉え、それには「得意戦法を持つこと」と答えてくれた。
私は刺し身の盛り合わせを食す。続いてズワイガニ。瑞々しくて美味い。
私は北海道を30回以上訪れているが、食にはあまり関心がなく、ランチに握り寿司を食べることが贅沢の部類に入るほどだった。しかしそれは大きな損失だったと考えざるを得ない。
しばらく経つと、大野七段がこちらに来た。雑談のあと、渡辺氏と隣室で一局指すことになった。これはゼニの取れる一戦である。
金内氏にはHis氏が対局を申し込んだ。私は臆してしまって対局どころではないが、His氏はいい機会と捉えているのだ。
私は引き続きカニと格闘。美味いには違いないが、食べ切れない量である。別の支部の方と歓談。
His氏の対局が終了したあとは、引き続きKun氏が挑む。Kun氏は対抗戦2回戦で、渡辺氏と交えている。両強豪と指せるのは稀有なこと。これはKun氏、至福の時間だったろう。
タコのブツ切りが出てくる。焼いたものに塩コショウがかけられていた。これが美味い! 東京では絶対にできない食べ方である。
タラバガニも焼かれて出てきた。アツアツのところを食べる。これも美味い! 本当に美味いものは、何も手をかけなくていいのだ。 
刺し身の皿がようやく空になった。支部の人がそれを下げたら、すぐに同量のおかわりが出てきたので、目が点になった。
金内氏との将棋を終えたKun氏に呼ばれた。行ってみると、中井女流六段が庭で焼き手をやっていた。
私は縁側に腰掛ける。
「何がいいですか?」
と中井女流六段。その軍手姿が、マニアにはたまらない。
私はホタテを焼いてもらう。中井女流六段は、「師匠、もう醤油入れていいですか?」「これ、もう焼けてますか?」とA氏にイチイチ聞いている。
これじゃ中井女流六段、焼き網に食材を乗せただけじゃないか!? などと言ってはいけない。中井女流六段がくれた焼きホタテは、バターがじんわり利いて、美味だった。
宴もたけなわだが、懇親会にはさらなる目玉企画があった。稚内支部と関東組がペアを組んでの、ペア戦である。その組み合わせは中井女流六段と支部有志で決めたようだ。今回は中井女流六段のお父さんも参戦する。
部屋の一隅に再び対局場を作る。今度は脚付きの将棋盤だ。
全13ペア参加で、1回戦はぶら下がりの5局。×2、×2で、総勢20人が盤を挟んだ。なんだか男臭いというか加齢臭漂うというか(失礼)、凄まじい人いきれの中、7時40分、ペア戦の開始となった。
優勝ペアには活きホタテが贈られる。優勝候補は渡辺・Honペア、金内・Isペアだろう。私は1回戦休み。現在焼き手をしている、N氏がペアだった。
持ち時間は10分だから、ポンポン進む。先の2ペアは手堅く勝利を収めたようだ。
進行にバラつきが出たが、構わず2回戦を始める。N氏は三田村邦彦似のイケメン。ある支部員氏によると、ペア将棋を指したことがあるのだが、自分の指し手に自信が持てないようで、一手指すごとに相方の顔色を窺うという。
何とも頼りないが、だからといって弱いわけではなさそうだ。私との指し手が噛み合えば、優勝も夢ではないと思った。
2回戦、私たちの相手は、植山・Kubペア。変則的だが、関東組のペアである。
Kub氏は対抗形を好むが、どちらかといえば居飛車党だろう。急戦を勉強しているから、逆にいえばこちらが居飛車で急戦を仕掛ければ、うまく攻めこめるような気がした。
時間が押しているので、持ち時間5分で対局開始。私たちは予定どおり居飛車明示。植山・Kubペアは四間飛車に振った。私たちは▲5七銀左から元気よく仕掛ける。N氏はやはり一手指すごとに私を見るが、その指し手は正確だ。
私は、こちらのほうが形勢がいいんだから、自信を持ってくれよっ!! という意味で、力強く駒を打ちつける。
結果は私たちの快勝。植山七段によると、こちらの指し手は「パーフェクト」だったらしい。
金内・Is戦はHis氏ペアを相手に大逆転勝ち。厄介なペアが残ってしまった。
準決勝、私たちの相手は中井女流六段と。その相方は、先ほどN氏の人となりを教えてくれた方だ。中井女流六段とはペアを組みたかったが、それは無理な話。とにかく盤面に集中することだけを心掛けた。
こちらの先手で対局開始。作戦どおり、四間飛車に振った。しかし早めに▲6七銀としなかったのは私のミス。△7五歩から△7二飛とされ、立ち遅れを衝かれた格好になった。
将棋が2局になって、だいぶ人いきれが薄くなっている。準決勝のもう一局は渡辺・Hon-金内・Is戦。第三者だったら、これが事実上の決勝戦と言いたいところ。しかし私たちがどちらかと決勝戦を戦うことになるかもしれない。簡単に優勝はさせない。
その前にこちらの将棋だ。私たちが非勢のまま終盤に突入したが、その差は意外に離れていなかったようである。
金内氏とIs氏が歓談している。どうも、決勝に進出したようだ。私はどちらかというと、こちらのペアがイヤだった。
私は端を攻める。△1二歩に▲1三香、△1二香に▲1三角と強引だ。しかしこの強襲が何とか通り、ここからは最後まで私たちの息が合って、逆転勝ち。まさかの決勝進出となった。
対局が終わった人々は、食事と歓談に夢中だ。ほとんど注目されない中、すぐに金内・Isペアとの決勝戦が始まった。
(つづく)
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中井広恵と行く稚内ツアー(第7手)・ついに激突!! 稚内支部VS中井広恵を愛する会

2012-06-19 00:22:25 | 将棋イベント
「稚内将棋クラブ」は平屋で、和室が3部屋。それに台所がついていた。
稚内支部の方々に、中井広恵女流六段、ご両親、植山悦行七段、大野八一雄七段、大矢順正氏、それに私たち生徒が挨拶。一部の方とは稚内空港やスナックでもお目にかかっていたので、緊張感はだいぶ薄れていた。
壁の一角には将棋クラブ会員の名札が下がっていた。その中に、「七段 渡辺俊雄」「六段 金内辰明」の名前があった。いうまでもないが、両人ともアマタイトルの経験者。その知名度は全国区だ。
きょうは交流戦を2局予定しているが、ふたりはそのうちの1局に参戦するとも聞いている。しかし私たちでは太刀打ちできるはずもなく、いささか荷が重い。
室内には将棋本がいっぱいある。けっこう昔のものが多く、芹沢博文九段のエッセイなどは、時間をかけて読みたいところだった。
「将棋マガジン」の昭和61年6月号があった。パラパラと中をめくってみる。懐かしい。裏表紙の裏のページ(広告用語で「表3」という)を見て、あっ!! と叫んだ。
中井広恵女流名人(当時)の、PARCOポスターが掲載されていたからだ。
話が前後するが、中井女流六段が来稚するにあたり、稚内支部の人がクラブ内を掃除したのだが、その際、PARCOのポスターが押し入れから何枚か出てきたらしい。
この広告が、そのポスターだったのは間違いなかった。
ポスターは中井女流名人が袴姿で対局に臨んでおり、そのコピーは

「女流」の二文字が、いや。

だった。
「いや」は最近大野教室で流行っている言葉で、植山七段やFuj氏が連発している。それがあったから、このコピーを見たとき、「『いや』、の元祖は中井先生だったんだ」と大笑いになった。
中井女流六段のお母さんが、そのポスターを持ってくる。それは2種類あって、1種類は袴で対局編。もう1種類は、中井女流六段の上半身のアップが、肖像画のようにデザインされていた。当時16歳。あごのラインがすっきりしているが、いまとほとんど変わっていない。中井女流六段、いまも若々しいのか、はたまた当時からフケていたのか。
机をタテにずらっと並べ、対抗戦の舞台が整った。支部会員と関東組―これ、何かいいチーム名はないか。中井広恵を愛する会、とでも付けちゃおうか―の対戦カードが読み上げられ、私たちは所定の座布団に座った。
稚内支部の氏名は失念したので、関東側の席順だけを記す。
大将・Fuj、副将・His、以下Kun、一公、Hon、Is、ミスター中飛車、W、Kub。それぞれ名前と棋力を言って自己紹介。私は四段と言ったが、これは見栄。いいところアマ三段であろう。しかしほかの8人の棋力も高く、植山・大野両七段の予想では、1回戦は関東組の圧勝、だった。
一礼して駒が並べられる。中井女流六段が稚内支部との交流を望んでから数年。それが本決まりになってから4か月余り。ついに…ついにこの日がやってきたのだ。
His氏が振って、奇数先手。ときに午後1時46分、ついに1回戦が開始された。
持ち時間は20分、切れたら一手30秒である。先手氏の四間飛車に、私は△5三銀左。数手後、△4二金上と上がったが、これは上がらないほうがよかった。
2部屋をブチ抜いて机が一直線に並べられ、そこに18人の対局者が対峙する光景は壮観だ。それを眺める中井女流六段や稚内支部の人たちも感動を隠せない。
私の将棋は一進一退の攻防が続いたが、終盤で先手氏に一失があり、ここで形勢の針が私に傾いた。
先手氏は▲5三銀の突撃。これを△同金▲同角成△同玉でも私の勝ちだが、まあ、△3三玉。と、Is氏とHon氏が勝ち名乗りを上げた。我がチームはだいぶ勝利を稼いでいるようだ。
先手氏は▲5二銀不成と金を取る。これに△1七桂成と角を取れば先手玉は必至。明快な私の勝ちだった。
しかし、角を取って緩めずとも、先手玉が詰んでいそうな気がした。その局面の部分図が下である(便宜上先後逆)。

先手・一公:5六歩、5九金、6七歩、7二竜、7六歩、7七玉、8五桂、8七歩、9六歩、9九香 持駒:金、銀、香…
後手氏:5八銀、6三金、6四歩、7四歩、8一桂、8二桂、8三歩、8九銀、9一玉、9三角、9四香 持駒:金…

ここで私の持ち時間は4分前後残っていたが、2分ほど使って、▲9二香と詰ましに行った。△同玉▲9三桂成△同玉▲8四角△同玉▲8五金。
ここまで進んで、あれっ? と思った。以下△9三玉▲9四金△同玉▲9五香△8四玉▲8五銀△同玉▲8三竜△8四歩▲8六歩まで詰み、はいいが、▲9四金に△同桂と取られたら、▲8二銀△8四玉▲8五香△同玉▲8三竜△8四歩▲8六歩には、△同桂があるではないか!! じゃあ▲9四金で▲9五歩か…と思うが、相手の持ち駒は角金桂香。△6五桂でさすがに詰むだろう。
それに、私はボタンの押し忘れがあって、秒読みになっていた。私は▲9四金と突撃するが、相手は当然△同桂。▲8二銀に△8四玉で、私の投了となった。
なんじゃこれ、なんじゃこれ、なんじゃこれーーーーっ!!!!!
▲9三桂成とすれば勝ちだったのに、無理に詰ましに行って、詰まし損ねてしまったーーーっ!!!
観戦していた支部の人が、▲8四角では▲5七角と離して打てば詰みでしたね、と言った。
なるほどそうで、金桂香の合い駒を7五に打っても、▲同角以下、作ったように相手玉は詰む。
しかしそれは結果論で、やはり私は詰ましに行くべきではなかった。
言い訳をすれば、周りに観戦者がいるのは気配で察せられたので、ここで相手玉を華麗に詰ませて、目立とうと考えたのだ。
格言でも、「長い詰みより短い必至」と教えているではないか。
何をやってるんだ何を!!
ほかの勝敗はと見ると、ここまで4勝4敗だった。印象ではこちらがかなり勝っていると思ったのに、意外に勝ってない。
残りの一局は大将戦である。しかし局面を見ると、Fuj氏の敗勢。私は目の前が暗くなった。
やがてFuj氏が投了。すべてが終わった。
植山七段に勝敗の報告をする。私の結果を知ってか知らずか、負けました、と言うと、大仰に驚かれた。
「3手勝ってたじゃないですか!」
私はグウの音も出ない。植山七段は半分笑っていたが、半分怒っていた。もっと一局の将棋を大事に指さなければいけませんよ、と、その眼が語っていた。
反省と後悔をする間もなく、2局目の開始となった。今度は稚内支部側の大将に金内氏、副将に渡辺氏が入った。こちらはFuj氏とKun氏が迎え討つ。しかし手合いは平手だ。
私は引き続き4将で、相手は1回戦で大将を務めた方。五段だ…。
時間も押しているので、今度は持ち時間15分。2時54分、開始となった。
振り駒でまたも私の後手。私は横歩取らせを目論んだが、先手氏に角を換えられ、分からなくなった。
私はふらふらと△6二銀だが、失敗。棒銀を含みに、△7二銀だった。
その中盤。▲4五歩△同桂▲同桂△3七角▲4九飛△4五歩▲同銀△同銀▲同飛△4四歩▲4九飛△5八銀▲2九飛△6七銀成▲同金△5五桂▲6八金△4七桂成▲5六歩△5四歩▲4五歩…。
△3七角と打ち得して面白くなったと思ったが、△4七桂成のあとの▲5五桂が厳しいので△5四歩とそれを消したところ、▲4五歩と急所を攻められ、以下も粘ったものの、土俵を割った。
感想戦には中井女流六段が加わってくれ、△4五歩と桂を取り返すところで、△2六角成とボンヤリ成り返っておく手を提示された。
なるほど、こうやってもたれて指すのがいいのか。言われてみれば味わい深い手で、私は全然気付かなかった。さすがにプロの視点は違うと思った。
ほかの対局も終了し、チームは2勝7敗で負け。交流戦2敗となった。渡辺、金内両氏はもちろん勝った。私個人は2敗でいいところなし。こちらはベストメンバーを揃えただけに、この結果は痛かった。しかし何といっても、稚内支部の方々が、強かったのだ。
(つづく)
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中井広恵と行く稚内ツアー(第6手)・副港市場でのお買い物

2012-06-18 00:50:05 | 将棋イベント
稚内に向かうフェリーは、2等室に空きがあった。何人かは座ったが、何人かはデッキに出る。それがHon氏と私で、私たちはそこで将棋を始めた。私はきょう初めてだが、Hon氏は実に4局目。その将棋バカぶりがまぶしい。
一局終わったが、2局目はなし。Hon氏は海を眺めた。私もあっちこっちをぶらぶらして、結局は海を眺める。しかしなぜか、虚しさを覚えた。この稚内ツアーが終われば、いつもの生活に戻る。その現実がつらいのだ。
フェリーはノシャップ岬を大きく回り込み、18時50分、稚内港に着いた。
「ホテル奥田屋」に戻る。金曜日組の3人、Kun氏、Is氏、Fuj氏はすでに到着していた。3人は中井広恵女流六段のガイドのもと、楽しい市内観光をしたようだ。ちなみに中井女流六段の助手席には、みなが交代で座ったらしい。
厳正な抽選の結果、3人はそれぞれ、植山部屋、W部屋、大野部屋に振り分けられた。
午後7時半からホテルで夕食。きのうのカニはズワイガニだったが、きょうは毛ガニまるまる一匹だ。さすがに北海道であった。
夜も更けてきたが、みんなで稚内の街へ出る。当初は稚内支部と9日(土)のみの交流予定だったが、急遽8日(金)夜も懇親会を設けてくれたからで、私たちは指示されるまま、繁華街にあるスナックに入った。
スナックには稚内支部の部員が何人かいて、大歓迎してくれた。
私たちは二手に分かれて座る。綺麗な脚がスラッと伸びたママさんが、オーダーを聞きに来る。私はウーロン茶を頼んで、周りをシラケさせた。
しばらく歓談していたが、せっかくなのでと、大野八一雄七段が支部員との指導対局を申し出た。しかし盤駒がないので、支部員が近くまで取りに行った。こういうとき、私たちがカバンから盤駒を出さなければならないのだが、さすがにスナックまで持ってきた人はいなかった。まだまだ読みが甘い。
さて、スナックで将棋である。私たちはファミレスや居酒屋で将棋を指すからいつもの光景だが、支部の人はどうだったか。
私たち関東組は、スナックのママさんには目もくれず、指導対局を食い入るように見つめる。その数7人。ついに稚内の人にも、将棋バカぶりを露呈してしまった。
10時45分、とりあえず中締め。私はホテルに戻り、温泉に入った。お湯はぬるぬるしていて、コクがある。どこかから引いているらしいが、立派な温泉だ。ちなみに私は、温泉は無味無臭が好みだ。
温泉から出て頭を乾かす。鏡を見ると、秩父合宿のときより、頭頂部がさらに薄くなっていた。
薄い部分をブラシで叩く、養毛剤を塗るなどの手段はあろうが、いかほどの効果があるのか。受けても一手一手ではないだろうか。どうしてこんなことになっちゃったんだと思う。
ちょうどW氏が入ってきたので、私は薄毛を愚痴った。
部屋に戻る。ここでIs氏と一局。Is氏の後手四間飛車に、私は▲5七銀左。△3二銀型で△5四歩と突いたので私は▲3五歩と仕掛けたが、この形なら▲9七角と覗いて山田定跡に進路を取るのが私流。なぜ▲3五歩と突いたのか分からぬ。
実戦は以下△3五同歩▲4六銀△3六歩▲3五銀△4五歩▲3三角成△同銀▲2四歩△6四角▲2六飛△2四歩▲同銀に△3四銀が好手で、以下完敗した。
Kub氏はすでに就寝。W氏、Is氏、それに遊びに来たHon氏としばしバカ話をしたあと、午前1時に就寝した。

明けて9日(土)。きょうは午後から、今回の稚内ツアーのメインである、稚内支部との将棋交流&食い倒れ懇親会である。
まずは朝食。自宅だったら夕食に相当する豪華さだ。食後にコーヒーまで出て、大満足である。
部屋に戻るとKub氏が、急戦の指し方を教えてください、と言った。とりあえず私は四間飛車に振る。昨夜のIs氏と同じ将棋になったが、このままいったら私の優勢になってしまう。
途中で植山悦行七段も見え、居飛車に都合のいい指し方で、強引に居飛車を優勢に持っていった。
ところで午前中は、駅近くの「副港市場(ふっこういちば)」にて、お土産タイムを設けている。稚内市の経済事情を鑑み、せいぜいお土産を買うようにと、「手引き」にも記されていた。
午前9時半にホテルを出発。副港市場に隣接する、もうひとつの市場「丸善」でお買い物。新鮮な海の幸が、目を疑うような安価で売られていた。
店に入っていくらも経っていないのに、Hon氏はカートの上下に、たくさんの海産物を入れている。その顔はいつになく真剣だ。
それも道理で、あの奥さんがHon氏を4日間も稚内ツアーに送りだしてくれたのは奇跡に近い。今後の将棋遠征企画に参加するためにも、お土産の充実は絶対条件なのだった。
私も計6千円前後のお土産を買う。すべて自宅と親戚用だが、私だって仕事を休んでいるので、自宅への配慮は必要なのだ。宅配便で送って、懸案事項がひとつ片付いた。
ちなみにHon氏は3万円近くの買い物になったとのこと。ご苦労さまである。
となりの副港市場に入る。ここはスーパーマーケットも併設されていて、野菜やお菓子、ジュースなども売られていた。
気が付くと、中井女流六段らがミニパックのカツゲンを飲んでいる。それを見た私と植山七段も買いに行くが、ミニパックはひとつしかない。
しかしこのミニパックは180mlで75円。一方1リットルは、88円で売られている。これは飲みきれなくても、1リットルを買うのが本筋である。私と植山七段は棋風が似ているらしいが、ここでも双方の意見が一致し、私たちはそろって、1リットルのパックを買った。
昼食を摂るにはまだ早い。私たちは表に出ると、広場前に据えられているイスに腰を下ろした。こんなときのヒマつぶしには将棋が一番である。中井女流六段とKun戦、His氏とFuj氏の一戦が始まってしまった。
中井-Kun戦は因縁の一戦。これの勝敗如何では、中井女流六段が生レバーが食べる羽目になるのだが、そこはさすがに中井女流六段、むずかしい将棋を、最後はキッチリ収束して見せた。
そろそろ昼食の時間である。きょうは夜に豪勢な海の幸が出るから、一食抜く手もあるのだが、同じ敷地内にうまいラーメンを食べさせる店があると聞いては、入らないわけにはいかない。
ほとんどの人が、その店に入った。塩ラーメンが有名とのことだったが、私が頼んだのはしょうゆラーメン。カウンター越しに、調理の様子が見えたが、麺を平網で湯切りしているのには感心した。
出されたラーメンはスープが、塩ラーメン用のスープに醤油を足しただけのような気もしたが、すっきりして飲みやすかった。麺も細くて、スープに合っている。チャーシューもよく煮こまれ、とても美味かった。
食後は敷地内をぶらぶら。稚内港駅が復元展示されていた。かつては稚内駅の先にもレールが伸びており、防波堤ドームの近くに駅があった。それが稚内港駅である。
さらに構内を回ると、その一隅に昭和30年代の街並みが再現されていた。
これがまたノスタルジックで、時間の経つのを忘れてしまう。W氏と出くわしたが、彼とは同学年なので、同じく感じ入るところもあったのだろう。ふたりでしばし、郷愁に耽った。
さて、そろそろ交流会&懇親会会場に向かう時間である。私たちは近くにある某所に、クルマで乗り付けた。その名は「稚内将棋クラブ」。ここが稚内支部のホームグラウンドであった。
(つづく)
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中井広恵と行く稚内ツアー(第5手)・利尻島観光

2012-06-17 02:32:23 | 将棋イベント
13時05分に香深港を出港したハートランドは、順調に航海する。この船は早朝の船と似て非なるところがあって、デッキに喫煙コーナーがなかった。
これに閉口したのがHis氏とHon氏で、タバコを喫いながら将棋が指せない。しかしふたりは悪びれず、座席に布盤を置いて、将棋を指す始末。私もかなりの将棋好きだが、彼らには敵わない。
舳先には、カモメだかウミネコだかが寄ってきている。フェリーに乗っていると、日本全国、この鳥が旅のお供をしてくれる。思わず菓子をやりたくなるが、それは禁止事項となっている。
私はカメラを取り出し、彼らを撮った。
13時45分、フェリーは鴛泊港に着いた。利尻島も礼文島同様、20年前の7月に訪れた。ここでは、今は無き鴛泊ユースホステルに泊まったが、宿泊は1泊のみ。ユースのヘルパーさんが、礼文は2泊なのに、利尻は1泊ですか! と苦笑していたのを思い出す。
このように、利尻と礼文は微笑ましいライバル関係にある。利尻島民が礼文島を「ぞうり島」と揶揄すると、礼文島民は利尻島を「うんこ島」と揶揄するのである。
鴛泊ユースホステルでは、この宿名物の「利尻歌」があった。その名も「ああ利尻島」で、これを私たちは、夜のミーティングで聴かされたのである。
この歌は全国的に有名なので、以下にその歌詞を記そう。


ここはサロベツ大平原 はるか彼方に そびえたつ
あれがうわさの利尻島 海の中から ぬっと出た
北の荒波 ものとせず 男がほれる あの勇姿

ああ利尻(Say!)ああ利尻(Say!)ああ利尻島

稚内から 船が行く 荒波けたてて まっしぐら
あれが噂の利尻島 平らな礼文を友として
雄々しく そびえる利尻富士 女もほれるあの勇姿

ああ利尻(Say!)ああ利尻(Say!)ああ利尻島

黒ユリ咲きほこる ポンモシリ グリーンベルトは大草原
ここが噂の利尻島 輝く朝日に 燈台岬
おしどまり港に朝が来る 行こう姫沼、オタドマリ

ああ利尻(Say!)ああ利尻(Say!)ああ利尻島


キモは「ああ利尻」の歌詞の後の「Say!」で、向かいから「ああ利尻島」を歌いながら歩いて来る人がいたら、「ああ利尻」の後にこちらが「Say!」と合いの手を入れるのがよい。すると私たちは、赤の他人なのに利尻の同志だということが分かり、その場でガッチリ握手をすることができるのである。
話を現在に戻す。下船した私たちは、港前から出ている、利尻一周定期観光バスに乗った。14時ちょうどに鴛泊港前を出発、16時50分に帰ってくるもので、17時10分のフェリーで稚内に戻る私たちには、格好のバスであった。
ちなみに20年前の利尻でも、私はこの定期観光バスに乗った。前回も今回も、バスガイドさんが付いている。今回の彼女はShichinohe Shihoさん。身長は推定152センチ前後と小柄だが、モデル兼タレントの大政絢に、顔が瓜二つだった。いかにも可憐な感じで、これはW氏の、もろストライクゾーンである。
バスは2階建てで、大矢順正氏を除いた7名が、2階に陣取った。
定刻に、島を時計周りで出発。利尻は東西16キロ、南北19キロ、面積約180キロの円形の島で、島の人口は約5,200人…と、Shihoさんのガイドが始まる。
しばらく走ると、姫沼が見えてきた。ここで30分の時間を取る。湖沼を一周できる遊歩道があり、そこをブラブラ歩いた。
バスに戻る。利尻島は利尻山が有名で、ほかにこれといった観光地もなく(失礼)、20年前のガイドでは、「寝熊の岩」や「キリギリスの丘」というような、無理やり命名した観光地が点在したが、現在はどうなのか。
それをShihoさんに聞くと、「キリギリス」は知らないが、「寝熊の岩」はある、とのことだった。
ところで、金曜日組の3人は、もう稚内に着いているだろう。そして中井広恵女流六段の運転するクルマに乗っているはずだ。クルマの構造上、誰かが助手席に座っているのだろうが、軽い嫉妬を覚える。
しばらく走ると、ラナルド・マクドナルドなる人の上陸記念碑が見えてきた。日本に上陸した最初のアメリカ人といえばペリーが有名だが、実はそれを遡ること5年前の1848年、マクドナルドが遭難者を装って、利尻に上陸したのが最初らしい。
マクドナルドはその後、日本人に英語を教え、臨終の際には日本語で「さようなら」と言い残した…と、Shihoさんの言葉だ。
バス旅は快適だ。利尻島の周囲は約55キロ。鴛泊ユースホステルでは、これを1日かけて歩く企画があった。ゼッケンを背負い、完歩すると記念品がもらえたような気がする。
日程の問題で私は挑めなかったが、歩けば完歩できただろう。そしていまでも、その自信はある。
Shihoさんはまだ十代に見えるが、言語は明瞭で声も大きく、とても好感が持てる。驚いたのは、これらの説明を、ソラでしゃべっていることだ。
W氏情報によるもので、しかも彼女、まだ4回目の乗車だという。これは彼女、研修中に、よほど勉強したに違いない。そのプロ根性に、私はただただ唸った。
オタトマリ沼で下車。利尻島で最も大きな湖沼だ。ここからは利尻富士がハッキリ見える。晴れた日にはそれが湖面に映るらしいが、きょうは曇天だ。
ちなみに、北海道銘菓「白い恋人」のパッケージにある山は、利尻山である。
W氏らは、Shihoさんとのおしゃべりに夢中だ。修学旅行に行くと、観光そっちのけで、バスガイドさんをナンパしている生徒がいるものだが、W氏らはその典型といえる。
ここには土産物屋と軽食喫茶があり、His氏が焼ホタテを振るまってくださった。とても美味かった。ごちそうさまでした。
バスに戻り、移動。ここでShihoさんが、一曲歌ってくれた。待ってました! これぞ観光バスである。
高音をか細い声で歌うShihoさんがかわいらしい。歌い終えた後は、車内に万雷の拍手が起こった。
ところでカモメとウミネコの違いは何か。Shihoさんによると、脚がピンクなのがカモメ、黄色なのがウミネコとのことだった。
仙法志御崎公園で下車。ここから見る利尻富士も綺麗らしい。海岸に造られた囲いの中には、ゴマフアザラシが飼われているという。
岸壁に出ると、たしかにアザラシが2頭いた。しかし囲いの中では、ちょっと興趣が薄れる。しかもこのアザラシ、稚内水族館からのレンタルだという。つまり、きのう訪れた「ノシャップ寒流水族館」のことだろう。ノシャップ水族館、けっこう商売上手である。
W氏が、ガイドさんを写真に撮って、と、私にカメラを寄越す。その前にと、私は自分のカメラで、Shihoさんを写させていただいた。かわいい! このときばかりは、中井女流六段が脳裏から消えた。撮影のキッカケをくれたW氏には、大いに感謝したい。
バスに戻って、最後の移動。2階建てだから、景色がいい。今回は、みなと行動を供にして、本当によかった。
その時私は、アッ、と思った。植山悦行七段が私のひとり旅に同行したがったのは、そう希望すれば私が敬遠して、礼文・利尻旅行に変更するとフンだからではあるまいか。
せっかく稚内ツアーに来たんだから、ここはみんなと一緒に旅を楽しみなさいよ――。植山七段は、私にそう言いたかったのかもしれない。
海岸に、「寝熊の岩」があった。熊が寝たように見えるから、そう命名された。
いまは付近に祠が建ち、完全に観光地として定着したようである。
16時50分、バスは定刻に、鴛泊港前に着いた。
ここでShihoさんとはお別れ。束の間だったが、とても楽しい時間を過ごすことができた。Shihoさん、ありがとうございました。
17時10分発の稚内港行きのフェリーに乗った。20年前、あれは利尻の港を離れるときだったか、ユースのヘルパーさんが、私たちホステラーのために、盛大な見送りをしてくれた。
ほかの観光客も手を振っていたが、あれは私たちにくれたものだと、胸を張ったのを思い出す。
船旅での別れは、ある種の感動がある。今回も何本かのテープが張られていた。
フェリーは定刻に出港した。次に利尻を訪れるのはいつになるだろう。港で手を振る人々が、米粒くらいに小さくなるまで、私はデッキに佇んでいた。
(つづく)
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