一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

2018年長崎旅行・6

2019-02-23 00:11:07 | 旅行記・九州編
彼らは小学生低学年。15~6人いるだろうか。彼らが廊下の両端に立ち、めいめいが画板のようなものを立てかけた。見ると、幕末時代の日本各地の偉人のレポートが書かれてあった。そう彼らは、この佐賀城本丸歴史館の「子どもガイド」なのだった。
客はそれを心得て、めいめいのガイドへ向かい拝聴する。
「私は、しまよしたけのはっぴょうをします」
ある女の子ガイドが言う。彼女は島義勇をレポートしたわけだ。「しまよしたけは、いまのほっかいどう、さっぽろしのまちづくりのきそをきずいた人です」
女の子の発音は明瞭だ。「ほっかいどうのちょうさは2年にもおよび、とてもきびしいものでした」
さらに、合間にクイズがあり、客を飽きさせない。「しまよしたけがさいごにいっしょにたたかったのはだれでしょう?」
歴史に疎い私はまったく分からぬが、そこは3択にしてくれている。そして紙片をめくると、正解が書かれているという按配であった。
次のクイズ。
「むかしのほっかいどうの名まえはなんでしょうか?」
これは私も分かるが、即答してはいけない。「難しい。ヒントをください」とお願いするのが本筋である。
ほかをあたると、齋藤用之助をレポートした子どもガイドも多かった。
「クイズです。さいとうようのすけが、あまりのさむさに、あるものをだきしめてねたこともありました。それはなんでしょう?」
私はこの前のガイド君から学習したが、ここでも即答してはいけない。「ああ分かりません」と悩むのが筋である。
彼らは若いのに、レポートも文字も口調もしっかりしている。しかも貴重な休日を割いてのボランティアは見上げたもので、彼らを見ると、日本の未来は安泰、の思いを強くする。
堕落した生活を送っている私は、彼らの活動に頭が下がるばかりであった。











さて帰り口である。そこには募金箱が設置されていたが、投じる客はいない。私は子どもガイドの誠実な「仕事」に感激し、いくらか入れるつもりだった。が、私はさっきの博物館で小銭300円を投じてしまい、もう硬貨は500円玉しか残っていなかった。
あの時100円でも残していたら……と思うが、もう遅い。さすがに500円は出せないのでコソコソ表に出たのだが、どうも心に引っ掛かる。それで引き返し、近くにいたスタッフに「子どもたちのレポートが良かったので」と強調し、これ見よがしに500円を投じた。
しかし……。幕末維新博覧会の800円をケチって入館を見合わせたのに、募金で800円を投じるとは、カネの遣い方がメチャクチャである。
そろそろ天神に向かわなければならない。高速バスはこの道を通らないので、佐賀駅バスセンターまで戻る必要がある。ちょっと時間が厳しくなってきたので、駅前までバスで戻ることにした。しかし徒歩圏内をバスで行くとは、私もずいぶん偉くなったものである。
市営バスの博物館前から乗り、タイム10数分で、佐賀駅前に着いた。バス代は150円と安く、これなら往路でも利用すべきだった。ただそれだと、羊羹の購入や昼食はなかったことになり、それはそれで別の局面になったが。
駅構内のドラッグストアでは、500mlのペットボトルが90円、「アルフォートミニチョコレート」が69円で売られていた。前者はともかく後者は激安で、どちらも購入した。
天神行きの高速バス「わかくす号」は15時45分発(1,030円)。シートに座って、一安心である。お茶を飲み、チョコを頬張る。これを至福の時間という。佐賀では思いのほか感動に浸ることができ、私はすこぶる満足だった。

天神へは交通渋滞が激しく、定刻を31分遅れの、17時38分に到着した。天神は5月の博多どんたく以来で、懐かしい。
冬のこの時期、辺りはすっかり暗くなっている。雨は断続的に降っていたが、天神は本降りである。昨年の今時分は、福岡城址でプロジェクションマッピングのイベントをやっていが、今年はないようだった。もとよりこの雨では、もう観光どころではない。
とりあえず食事というわけで、私は地下街に潜り、いつぞや入ったことのあるうどん屋を探す。だがこれが見つからない。
私は地上に上がり、市庁舎前に行くと、今年も「TENJIN Christmas Market」をやっていた。毎年ここを覗いて、年末を実感するのが恒例である。
今年も電飾が綺麗だが、今年は降雨なので、エリア内は活気がない。飲食スペースのテーブルも水浸しで、客は座れない。ちょっと寂しかった。











徒歩で博多駅前に行く。こちらも綺麗にライトアップされ、ステージでは誰かがライヴをやっていた。こちらは客席に屋根があるので、客がそのスペースにだけ固まっていた。









私は筑紫口の食堂街に行く。さんざん迷ったが、あるうどん屋に入り、「よくばりセット」(うどん、ミニカツ丼、エビフライ)を注文した(960円)。どうも昼食と毛色が似ているが、私が何を食べようが私の自由だ。
よくばりセットは、どれも美味かった。
時刻は午後7時20分を過ぎたところ。ANAの羽田行きは21時25分発だから、余裕である。ちょっと早いが、私は地下鉄空港線に乗った。早かった1泊2日だが、今年の長崎旅行も楽しかった。

   ◇

無事帰宅して、私は例のガイドブックを確認した。それはやはり捨てていたが、机の抽斗を開けると、ポラロイド写真がしっかり残されていた。
やはり私は写真を保存していたのだ! 私は1年前の自分を、褒めてやりたかった。
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2018年長崎旅行・5

2019-02-22 00:08:00 | 旅行記・九州編
身代わり観音は白亜で、台座から7~8メートルの高さがあった。こんなに大きいとは思わなかった。何か御利益もあるに違いないが、私には分からない。
お賽銭箱の手前にはヒモのようなものがすだれ状にかかっており、私はその隙間からお賽銭(5円)を投じ、お参りをした。



満足して下山すると、その途中にお寺があった。桜の山も合わせ、これは十分に観光地になると思った。
道路に出ると、最初に私が来た場所に近かった。あの時もう数十メートル歩いていたら、身代わり観音が視界に入ったはずだ。私の人生は、こんな回り道ばかりである。
駅までの道は、味わい深い昭和の建物が多かった。今は空き家で、朽ちかけている物件も多い。人が住まないと腐食が進む。これは不思議なことだと思う。
駅に戻り、佐賀までの切符を買う。JRだけを利用するなら、早岐から博多までは100km以上なので、通しで買えば途中下車もできて安い。しかし私は西鉄の天神に到着したいし、今回はオレンジカードを使っちゃわなければならない。よって、こういう面倒な買い方をしているわけだ。
11時29分の長崎本線を待つ。列車は4分遅れで到着し、佐賀に着くまで、その遅れは取り戻せなかった。
佐賀には何度か訪れたことがあるが、佐賀神社と城趾くらいしか見るものがない。あと、鉄道マニアには旧佐賀線の筑後川昇開橋がオススメだろうか。ほかにも観光地はあるのだろうが、それを調べるほど熱心ではない。
駅の観光案内所で、佐賀市内のパンフレットをもらう。旅先ではこれが必須で、市販のガイドブックより詳細に、街の情報を教えてくれる。
そうだ、佐賀からは高速バスで天神入りしよう。幸い、バスの本数もいっぱいある。
とりあえず佐賀神社ということで、駅前の大通りをぶらぶら歩く。
道の反対側に、「八頭司伝吉」というシャレた洋館があった。渡ってみると、まさに「ようかん」を売っている店だった。



入店すると、うまそうな羊羹が並んでいる。店の人が試食を勧めていて、私もお茶といっしょにいただく。こうなっては、人間には「返報性」があるから、もう何か買わないとダメである。もとより、最初から何か買うつもりだった。
つぶあんと抹茶あんの(中)羊羹を買った(各918円)。
伝吉の何軒か先の建物は、手打ち蕎麦屋だった。「そば勢」という屋号は勢いがあってよい。
ちょうど昼時なので、入ってみる。そこはカウンターだけの店で、大将が見守るなか、若手の料理人がキビキビと働いていた。
ざるそばセットAの「とり天丼」を注文する(750円)。佐賀県でとり天丼を食べられると思わなかったから、これはラッキーだ。
ざるそば、とり天丼、どちらも美味かった。



街には「1868-2018肥前さが幕末維新博覧会」の文字が躍る。今年は明治維新から150年。どこかで何かをやっているらしいが、私は幕末に興味がないので微妙だ。
「しらやま商店街」なるアーケード街に入り、左折する。お堀があり、佐賀城内に入ったことを認識した。
だが歓楽街に入ったりして、ちょっと戸惑う。いまは昼だから閑散としているが、硬と軟がこれだけ至近距離なのも珍しいのではないか。
小便がしたくなった。見ると、空き地の一隅に公衆トイレがある。その向こうは味わい深い昭和の民家が並び、さらにその向こうには高層マンションが林立している。東京でも時々見る光景だが、これが日本の縮図を表しているとはいえまいか。



佐賀神社に着いた。この神社はスケールが大きく、一度は参拝するべきである。
今回は御朱印帳を忘れたのでアレだが、御朱印は紙のものをいただくこともできる。それで受付所に寄ったのだが、別の場所を指示された。
でもそこに行くのが面倒になり、今回は御朱印はパス。お賽銭を投じるにももう5円玉がなく、安い小銭は10円玉しかない。「10円=遠縁」を連想させるのでアレだが、投じた。
神社を出ると、これも味わい深い店舗で、「肉まんじゅう」を売っていた。行列を作っていて、ここは何度か通ったことがある。肉まんは美味いに違いないが、私は行列に並ばない主義なので、ここもパスする。
お堀を渡ると、さっきの「博覧会」の大きな看板があった。そこは「幕末維新記念館」で、ここを拠点に、各地で博覧会を催していたのだ。
もちろん入場料はあって、この記念館のみは800円。別所2つとセットだと1,200円になる。ビビる大木なら喜んで入場するだろうが、先にも書いた通り、私は歴史にほとんど興味がない。申し訳ないが、ここもパスした。



再び大通りに戻り、先へ進む。幾何学模様の斬新な建物が見えて来た、佐賀県立博物館である。ここは無料なので、ありがたく入館した。



中は、佐賀県の歴史や文化が、豊富な資料や造形物によって展示されていた。とても無料とは思えぬ情報量で、これは小学生の社会科見学にうってつけだと思った。



階上に行くと、「佐賀県障がい者文化芸術作品展」をやっていた。大して期待はしなかったが、これが力作ぞろいで、びっくりした。作者は健常者なのではと訝ったほどだ。





帰りに係の人に聞くと、これはこの時期の恒例で、もう18回目になるとのことだった。ヒトによっては制作に半年以上かかることもあるが、みなこの出展を楽しみにしているという。
そういう話を聞くと、一応五体満足である自分が、就職ひとつ決められずうじうじしているのが、ひどく惨めなことに思えた。もっと努力しなければいけないと教えられるのだ。
私は心からお礼を述べた。
1階の土産処に行くと、絵はがきや画集が売られていた。佐賀出身の画家・岡田三郎助の画集もある。一冊くらい購入してもいいと思うが、自宅に帰ってから鑑賞するかといえば、しないと思う。あとは絵はがきだが、どうも裸婦画にばかり目が行ってしまって、これをレジの女性に見せるのも抵抗がある。
近くに募金箱があったので、ここに募金することにした。この博物館があまりにも見応え十分だったので、いくらか出したくなったのだ。
財布を探ると、100円玉1枚と50円玉が4枚あったので、それを投じた。都合300円では安かったかもしれないが、私程度の器ではこのくらいの額が適当である。
お隣の佐賀県立美術館でも、出し物がある。現在は「吉岡徳仁 ガラスの茶室-光庵」を開催している。博物館でもこのパンフレットが置いてあったが、美術館は入場料が1,300円で、これは入る気がしない。申し訳ないが、回れ右した。
道の反対側には、佐賀城址がある。鯱の門をくぐり右に進むと、「佐賀城本丸歴史館」があった。ここも何度か訪れたことがあるが、やはり無料である。ただ、できれば募金をするのが望ましい。
とりあえず入場する。
と、画板を持った少年少女が、私の横をすり抜けていった。彼らによって、これから何か始まるようだった。
そしてこれが、今回の旅行で最大の感動になるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。
(つづく)
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2018年長崎旅行・4

2019-02-21 01:10:29 | 旅行記・九州編
私は早岐駅の女性駅員に、このオレンジカードが使えるかどうか聞いてみた。だが答えは「否」で、調べる装置はないらしい。
それは残念だったが、考えてみればこれは川棚駅の自動券売機の問題で、それを早岐駅で処理しろ、というのが無理な注文だった。
私は諦めて宿に向かう。途中、「伊予製麺」といううどん屋があったので、入った。たぶん「丸亀製麺」と同じシステムであろう。
釜揚げうどんの大を注文する(390円)。さらに餃子があったので、これも注文した(250円)。うどんはそのまま手渡しされる。味はもちろん、美味かった。後からきた、餃子も美味かった。
チェーン店は味が画一的だが、ハズレがない、という強みがある。値段も手ごろだし、私はこれで十分満足だった。
「ビジネス旅館 海潮荘」はすぐに見つかった。和室で、別に大風呂がある。チェックインを済ませ一息ついたあと、ANAの2月9日の下り便を見てみた。すると08時ちょうどの便が23,160円に跳ね上がり、残り2席になっていた!
早割の「SUPER VALUE」料金は変動制。残席が少なくなったため、料金が跳ね上がったのだろう。
それは覚悟していたが、しかし1日でこんなに席がなくなるとは思わなんだ。しかも約3,000円も上がっては、もうバカバカしくて予約したくない。ああ、昨日のうちに予約だけでもしとくのだった!
私の人生はつねにこうした後悔の繰り返しである。私は大いに血圧を上げ、大風呂に向かった。

いろいろ雑用を済ませ、布団に入る。しかし布団が小さくて、足がはみ出た。
昨年(2017年)11月に、大掃除したことを思った。あの時は将棋の本はもちろん、旅のガイドブックも大量に処分した。
あっ……と思う。そのうちの一冊に、あんでるせんで撮ったポラロイド写真を挟んでいた。
私が初めてお邪魔した1999年12月18日、マスターが私をポラロイドカメラで撮ったのだが、その写真には私が記憶したトランプのカードと、私が街で見かけたらしい女子高生の顔が念写されていた。あれもかなりのお宝だったのだが、捨てる前にあの写真は保管しただろうか!? その記憶がないのだ!
いてもたってもいられなくなったが、確認しようにも旅の最中だ。こんなもどかしい気持ちになったのは久しぶりだ。
私はあらゆる意味で絶望しつつ、眠りに落ちた。

翌16日(日)。1泊2日は早く、もう旅の最終日である。私は無職なのに、なんでこんなにタイトなのだろう。
朝食は無料でついていて、1階の大食堂で摂る。しかし品数が若干、寂しかった。この旅館は楽天トラベルで星4つ以上の高評価だったが、テレビは小さかったし、あまり実感できなかった。
さて本日は、福岡空港から帰京することになっている。今から松浦半島を回るには時間がないので、まっすぐ博多に向かうことにした。
旅館をチェックアウトすると、表は小雨だった。前日と天気が逆になればよかったが、これも雨男の宿命である。
09時18分、佐世保駅から佐世保線に乗る。昨日のオレカは使えないから、今回はJR北海道の企画で購入した、記念オレカを使用した。
10時06分、肥前山口着。このあたりのダイヤを調べる時、上りも下りもネックになるのがこの駅で、接続が悪いイメージがある。JR西日本の芸備線、木次線、吉備線が交わる備後落合駅とイメージが重なるのだ。今回は佐賀方面に23分の待ち合わせで行けるが、私はここで下車した。いつも素通りするだけの肥前山口駅を観光してみたかったのだ。
といっても、この周辺の知識はない。ホームには「ようこそ河北町へ JR最長片道切符のゴール」の横断パネルがあった。改札口を抜けたところにも小さなパネルがあり、駅前がイラスト化されていた。メイン通りを「ひふみ通り」というらしい。ただし観光地はなさそうである。
また別所には「身代わり観音」の文字があった。これは駅のどちら側にあるのだろう。
私は山側に降りてみる。その手前に細い道路が通っているが、これがひふみ通りだろうか。いやさっきのイラストはもっと開けていたから、駅の反対側かもしれない。
しばらく歩いたが、これといって見るべきものがない。さっきのイラストには「ふれあい交流センター・ネイブル」というのがあったが、それも駅の反対側であろう。
私は駅に戻り、反対側に出た。ふれあい交流センターはわりとすぐに見つかった。日曜日でも開いているのはありがたい。入館し、職員さんに聞いてみる。
するとこの辺りはとくに観光地はなく、身代わり観音は山の中腹にある、とのことだった。
それならさっきの近くにあったに違いない。
私は若干クサリつつも、再び駅の反対側に向かう。今度は民家の裏道みたいなところを通ると、山の遊歩道に出た。いろいろ記念植樹されていて、「祝・結婚○年」「祝・長男誕生」などいろいろある。
さらに進むと、桜の木が見えてきた。看板があり、「桜山公園」とあった。開花の時期には、多くの花見客であふれるのだろう。
う……!? 急に便意を催してきた。だが数十メートル行くと、駐車場の一隅に公衆トイレがあった。これはかなりの幸運というべきだろう。私はつねづね運が悪い人生と痛感しているが、案外こういうところで幸運を消費しているのかもしれない。
スッキリして、あとは身代わり観音を見るのみである。一本道の散策路を歩く。しかしその観音様、どのくらいのスケールなのだろう。その辺にあるお地蔵様(失礼)だったら肩透かしだな、と思った。
ウン? ああ! これが身代わり観音か!
突然、といった感じでそれが現れて、私は驚いた。
(つづく)
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2018年長崎旅行・3

2019-02-20 00:09:16 | 旅行記・九州編
あんでるせん「あるある」で、散会の際に客とマスターが一言二言会話をするのだが、感極まって泣く女性が意外に多い。マスターの講話をおのが人生に照らしてしまうのだろう。私などは人生醒めているから涙も出ないが、女性客の中にはその手合いがあるのである。
ただ今回はマジックの最中であって、そこで泣き出すのは珍しい。しかも娘さんは待っている最中スマホに夢中で、マジックに関心はなさそうだったのだ。
どうもマスターの「客室乗務員」「人に尽くす仕事がいい」のキーワードが、彼女の琴線を刺激したようだ。女心は不思議である。
マスターのマジックは続く。500円玉に紙を巻き、3番席の女性に、その上から爪楊枝を刺してもらう。この紙が豆腐をイメージし、それなら貫通できるでしょう、というわけだ。
実際彼女の爪楊枝は、紙の上から硬貨を貫通してしまった。
続いては、千円札に50円玉を通す。野口英世の眉毛あたりにとまって、「サンバイザー」とか言う、鉄板のギャグとなる。
千円札にはボールペンも刺してしまう。ボールペンが下にズレるが、千円札には穴が開いていない。私たちは悲鳴を上げるのである。
「これは繊維がこうあって、その隙間を動いているのです」
マスターは、理論的にできるのだ、みたいな口調で言うが、そういうものではないと思う。
今度はさっきのガラス瓶の口を拡げ、硬貨を落とした。
次は5円玉の穴に輪ゴムを通す。つまり、鎖状に繋がったというわけだ。
「スターに逢わせますよ」と言って、輪ゴムをゴチャゴチャやる。すると輪ゴムは、星型になった。
マスターが五寸釘を出した。私に渡されたが、曲がるわけがない。それをマスターは簡単に曲げてしまう。
マジックは最終盤となり、今度はスプーンが出てくる。マスターはこのスプーンも齧ってしまう。マスターが言うには、このおたまの部分が美味しいのだそうだ。そんなバカな。
さらにスプーンをぐにゃぐにゃ曲げる。おたまの部分が取れてしまったが、これは珍しい。というのもマスターは、「スプーンの柄とたまの部分を切ることはできますが、それは人道上できないのです」と語っていたからだ。
そしてマスターは、柄の中途のところに、そのおたまをくっ付けてしまった。
……こんな感じで、マスターのすべてのマジックが終わった。時刻は午後5時をとうに過ぎ、マジックだけで3時間オーバーの長丁場だった。これだけ楽しめてお代はナシ。というか、飲食代だけだ。このマジックは「余興」という位置づけなので、客からカネは取らない。そこがあんでるせん最大の魅力でもあるのだ。
マスターはぐにゃぐにゃに曲げたスプーンをインテリアとして販売しているので(300円)、みなはそれを買う。昨年は客の全員が購入したが、今年は8割程度だった。
スプーンには自分の名前を書いてもらえるので、各自名前を言う。私の番になった。
「今年も楽しかったです。カ・ズ・キ・ミです」
「カズキミさん、オオサワカズキミさん……」
「はい」
「モノを作る仕事がいい。物を造る仕事!!」
今回まさに、私が聞きたかった質問の答えだった。
しかしこれは妙な会話である。なぜなら私くらいの風貌なら、どこかに勤めていると考えるのが自然だ。しかるにマスターは、私が選ぶべき仕事内容を言った。まさかマスターは、私が求職中なのを見抜いていたのだろうか。
それはともかく、「モノを造る仕事」とはなあ……。まさに私の前職で、それならこの仕事を辞めなければよかった、ということになる。私はまたも凹むのだった。



川棚駅に入る。まだ宿は決まっていないが、明日の観光のイメージは島原半島ではなく、松浦半島である。だが起点の佐世保駅周辺の宿がない。昼に東横INN佐世保を予約しておけば良かったが、もう遅い。
早岐にホテルが何軒かあったので、検討する。駅から徒歩数分の「ビジネス旅館 海潮荘」が素泊まり4,100円なので、そこを予約した。
となれば、自動券売機で切符を買わなければならない。早岐までは280円だ。私は「はやとの風」の、未使用オレンジカードを出した。オレカは、東京近郊ではもう使えないが、それでもJR九州や北海道ではまだ使える。
私はカード類をコレクションするのが好きだが、日本の一部でしか使えないことは、カードの価値を著しく下げると思う。だからコレクションをやめ、順次使用することにしたのだ。
だがオレカを挿入して280円区間を押したら、券売機がフリーズしてしまった。
「やっぱり!」と私は嘆く。なぜなら昨年もこの駅で、オレカが使えない、という話を聞いた(2017-12-28の記事参照)。その故障をちゃんと直していない、と直感したのだ。
昨年は実年の男性駅員だったが、今年は若い女性が勤務していた。私は一応文句を述べるが、相手が女性では勝手が違う。
女性駅員は券売機を見てくれたが、意外に手間がかかっている。私は18時08分の列車に乗りたいが、微妙な情勢になってきた。
女性駅員がオレカを取り出したが、カードにパンチが空いていない。それでもう一度券売機に通すと、「このカードは使えません」という声とともに、戻ってしまった。
よく分からぬが、このポンコツ券売機を通したせいで磁気に不都合が生じ、カードが不良になってしまったらしい。
私は駅員に、このカードの払い戻しを要求した。だが女性駅員は、「でも280円の切符は出ています」と言う。だからこの切符も破棄して、私は1,000円を貰いたいのだが、駅員は私の主張に納得がいかないようだ。
つまり彼女は、この券売機に異常があるのではなく、私のカードに不信感を持っているのだ。まあその気持ちも分かる。
だが私は、この券売機の「前科」を知っている。
だいぶ昔のことになるが、自宅の最寄りの地下鉄で、いつも調子の悪い券売機があった。確かメトロカードを受け付けなかったと思う。私(たち)はその都度駅員に言い、駅員も応急処置を施すが、不具合は残った。つまりこれは機械自体がダメであって、本体を丸ごと交換しないとダメなのである。
川棚の券売機もまさにその手合いだが、それを女性駅員に納得してもらうのは面倒だった。それにこの間も上りや下り列車が到着し、駅員はその対応もしていた。
「分かりました。じゃあ今回はこの切符を使います。それでこのオレカももう使いません」
私は吐き捨てた。
次は18時30分の列車になった。待っている間、さっきの我が言葉が、ずいぶんヒトのいい譲歩に思えてきた。悪いのはこの川棚駅のクソ券売機であって、私が泣き寝入りする理由はまったくない。あの駅員に男気を見せたところで、こちらは何の得にもなっていないのだ。
それで、このオレカの買取を改めて要求しようと思った。が、今からでは言い掛かりにも思えてくる。「またその話ですか?」と眉でも顰められたら、私が逆上しそうである。
18時30分の上りが来た。私は釈然としないまま乗車し、18時45分、早岐に着いた。
念のため、ここの券売機にも先程のオレカを通してみる。しかしやっぱり、戻ってきてしまった。
ダメだ。完全に、磁気を破壊された……。
(つづく)
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2018年長崎旅行・2

2019-02-19 00:09:47 | 旅行記・九州編
マスターのマジックに私たちは驚きっぱなし。しかも今年は仙台氏のリードで、さっきから断続的に拍手が起こっている。こっちは拍手を強制されて?ややしんどい。しかしマジックはここからが本番である。
マスターが、箸で当たった女性に任意のカードを選ばせる。マスターは女性に質問し、そのカードを、客の「ノー」という言葉だけで当ててしまう。
次は男性の引いたカードを、「ジェフ」という小さなおもちゃの犬が、カードの匂いを嗅いで当ててしまった。これはマスターがすごいのか、ジェフがすごいのか。
続いては「好きな人当て」である。私は客参加型のマジックにたいてい絡んだことがあるが、これだけはない。今回は9名の男性芸能人のブロマイドが出され、女性客が好みの順に1位から5位まで選ぶ。マスターはその順位を当てるのだ。
女性が外れで順位づけをする。マスターは5位から2位まですべて当て、1位の名前は、財布の中に用意されていた。全問正解の確率、15,120分の1。とても勘では当たらないということだ。
マスターが女性客に選ばせたカードの端を、ちぎる。それを壁に掛けてある額縁に叩くと、それの切れ端が額縁の中に入り込んでしまう。
マスターが男性客に、カードの任意の数字を言わせる。これはかつて私もやったことがあり、不思議とスペードの7が浮かぶのだ。その時のカードは果たして、スペードの7だった。
今回男性は「ハートの5」と言った。が、マスターは「違うと思う」と言い、男性に念を送る。ここで彼が「スペードの7」と言い直し、男性がカードの中から任意の1枚を引く。それはまさに「スペードの7」。しかも残りのカードは、真っ白だった。
さらにマスターは、トランプのカードの配列を数秒で憶え、客が指定した枚数の数字を当てた。
続いてはルービックキューブである。まずはバラバラの色のそれを、マスターは「こうなるまで、39手かかっています」と言い、初形の6色に戻す。ここまではまあ、達人ならできるかもしれない。
だが次、マスターは手元を見ずに、数秒で6色揃えてしまう。
また、バラバラになった配色を記憶し、もうひとつのルービックキューブを、それと同じ配色にしてしまう。
将棋で言うと、ある中盤戦の局面を一瞥し、初手からその局面にしてしまうということだ。
ルービックキューブを中空にポン、と投げる。一瞬でそれは6色揃う。
この辺り、文章で記すとまだるっこしい。実際に見た方が早い。
客がルービックキューブを適当に動かす。マスターは瞬時に、それと同じ配色にしてしまう。
続いては硬貨である。私は出せる機会はないと思ったのだが、100円を出せた。だがほかにも100円玉を出した人は2人いた。これだと100円の所有者が誰だか分からなくなる。ただ私は、平成29年だか30年だかの、ピカピカのを出した。
マスターが100円玉を齧る。その100円は部分的に無くなっている。マスターがフッ、と息をかけると、それは元に戻った。
もう1枚の100円玉には、ボールペンを貫通させてしまう。ボールペンが抜けると、100円玉に丸い穴が空いていた。これももちろん、すぐに塞がれる。
「100円玉が綺麗になった!」とみなが驚いたが、それは私の100円だからではないか?
今度は100円玉を、あるガラス瓶の底から貫通させ、中に入れてしまった。
「100円玉を(カウンターに」出したのは誰ですか?」
私を含め3人が挙手した。「じゃああなたのを使いましょう」
とマスターが女性を見る。マスターが、100円玉をペロン、と曲げた。あの100円玉、ピカピカだったから私のだと思うが、これは元の形状に戻さず、そのまま女性に渡した。これは彼女にとって、いいプレゼントになっただろう。
今度は10円玉をガラス瓶の中に入れたいが、口が小さくて入らない。マスターは10円玉を小さくし、入れる。その10円玉は瓶の中で、元の大きさに戻った。
さらに、コーラの500mlペットボトルに念を入れて捻ると、ロゴの入ったカバーが、ペットボトルの中に入ってしまった。
「さ、今日のお客様の中に、宿命を背負った人がいますよ」
とマスター。今回、その宿命の人は女性だった。まず、女性に任意の絵を描かせた。その後マスターが、カウンターに置かれた財布から紙を取り出す。2枚を照らすとまったく同じ、「たれパンダ」もどきの絵が描かれていた。
「2018年12月15日午前7時15分、蓬山さん来店予定、と書いてあります。だからあなたは今日、万全を繰り合わせて、あなたはここに来る宿命でした」
女性の名字は「蓬田」で外れたが、マスターが受けたイメージに若干のズレがあったらしい。ともあれ女性は感激の面持ちである。
今度は誕生日当てである。箸が当たったのは、例の母娘の娘さんのほうだった。彼女の誕生日を、カウンターの6人が電卓を使って当てるのだ。私はこれで2度誕生日を当てられ、また当てる側に回ったこともあった。
いろいろやって、娘さんの誕生日はもちろん当たった。だが今回は西暦まで入らず、月日まで、だった。
「あなたは客室乗務員がいい。人に尽くす仕事が向いています」
と言った。マスターは紙に何事かの格言を書き、彼女に記念品として渡す。これもかなりのお宝だ。
そしてマスターは、ボートの父子の笑い話をした。これも毎年聞くやつである。
「……この話はいろいろ取り方があります。ひとつは、お父さんは偉そうにしていても、子供と同じ、能力に大差はないんだよ、ということ。
もうひとつは、お父さんも子供も能力の差はほとんどないんだから、子供がちょっと努力すれば、お父さんを越えられるんだよ、ということ。
私たちは40歳になったら、30歳が若かったと思う。50歳になったら、40歳が若かったと思う。60歳になったら、50歳が若かったと思う。人生その繰り返しですね。
だけど10年前に戻れる方法がありますよ。10年先の自分を想像して現在のことを考えたら、10年前に戻っていますね。そう思ったら、もううかうかしてられないですね。やることがいっぱいある」
マスターはマジックの合間に講話を挟むのだが、私が最も耳が痛いのが、この話である。
私はこの話を、19年前から聞いていた。しかし私はプレス加工の仕事に就いてからもまったく努力せず、趣味の将棋とブログの更新に傾注し、その怠惰を父に見透かされ、しまいには2017年にこの仕事を廃業するハメになったのだ。
私がマスターの言葉をしっかり受け止めていれば、少なくとも現在の惨状にはなっていなかったと思う。これも私が怠惰だからで、私のようなクズはそういないと思う。
マスターは中村久子さんの話をする。生まれつき四肢がなかった方である。
「中村久子さんは、周りから手足がなくて不自由でしょう、と聞かれると、泥棒しなくて済みますから、と笑って答えたそうです。これを陽転思考といいます」
気が付くと、さっきの娘さんが泣いていた。横の母親も涙ぐんでいた。
一体、何があったのか!?
(つづく)
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