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土手沿いに歩いているとカツーンカツーンと石の当る音が聞こえる。あまりに周りが静かなものだから響いてくるのである。時には電車が鉄橋を渡る轟音も響き渡る。それは凄まじいものがある。ところがそのカツーンカツーンは音楽のように聞こえるから不思議だ。それで川の中に目をやると、ご覧のように漁をやっているのだ。川中に石を組み、一晩か二晩か判らぬがその組まれた石の中に獲物が住み着くのである。そしてその時が来るとその周囲に網を張り、石組みを壊して獲るということだ。その壊すときに石を抛り投げたときの音が心地好く聞こえてくると言う訳だ。見ているほうは原始的ではあるが道理に適っているものだと思っているが、獲るほうは大変だ。腰まで水に浸かってせっかく積んだ石組みを壊さねばならん。しかも一つ一つ石を抛らねばならん。獲れれば良いが獲れなければ徒労に終わってしまう。空しさが残るばかりではなかろうか。要らぬお世話かもしれんが次の漁の為に又一つずつ組まねばなるまい。それを何度となく繰り返してきたであろう。たくさん獲れることを願うばかりである。少し休まねば体が持つまい。
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向うに山国川の橋脚が見える。大正時代にでも架けられたのであろうがモダンである。しかもレンガ造りだ。そういえば佐井川は大正九年だった。やはり橋脚はレンガ造りであった。このような橋脚をそうそう見かけるようなことはないと思う。車で橋を渡ってしまっていてはいつまでもその下の構造は判らぬものだ。やはり歩くことは大事である。(写真:愈々大分県に入る。橋脚を覗く妻だ。)