街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

中津街道(余録)

2008-10-29 10:16:48 | 中津街道

 帰路に着く。極力中津街道を北上することにした。当然のように道狭く離合もままならぬが、普段の生活道路であるから殆どと言っていいくらいに車は通っていない。軒先を掠めつつも母に説明をし、運転を続けた。
 宇島の街道を行き、かねてより目をつけていたところで止めた。それがこの写真である。少々判り辛さもあるであろうが、今では殆どと言っていいくらいに希少なものである。小学校の片隅で、木々と小さな倉庫に挟まれた格好でそれは立っている。ある程度の年齢の方ならもうお判りであろう。そう「金さん」。
 薪を背中に背負い本を読んでいる姿と言えば、「遊び人の金さん」ではなく勤勉な「金さん」二宮金次郎である。台座には二宮尊徳先生とあるが、この像はまだ少年なので金次郎が正しい。
 母も珍しさのなか、母が通った小学校を思い出したのである。そのころは全国の小学校にあった。私が通った小学校にもまだあった。それがいつの間にか消滅した。何故なのか理由は判らぬ。勤勉を奨励し、勤勉の象徴とも言うべき物言わぬこの像は物も言わずに田舎の小学校の片隅に残されている。


コメント (2)
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中津街道(余録)

2008-10-29 08:50:47 | 中津街道

 本殿横から潜り戸から古木立の中を行く。すると本殿裏に出、小さな堤の上の小道に出る。左手に内宮(みすみが池)が拡がる。池面には真薦(マコモ)であろうかあちこちに見ることが出来る。この真薦を刈って「枕」とし、それを神の御験とするのである。
 池は杜に囲まれ神域を際立たせているようだ。しかし、この池は自然にあるものではない。ということは人工池なのである。堤は古代中国から伝わった版築工法で、この地に住み着いた人々の面影を垣間見ることが出来る。
 この平野で農業を中心にして生きてきた人々が如何に水を確保し、如何に水を大切にしてきたかがこの薦神社でより鮮明になるのではなかろうか。
 また、巴は「水」を表していると言われるのだが、それも頷けるのではなかろうか。
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中津街道(余録)

2008-10-29 08:01:21 | 中津街道

 目の前に楼門が聳える。頭でっかちであるが優美な姿である。それでも全体が落ち着いて見えるのは面白い。全体は丹色なのだが、黄色が目立つのがわかる。
 この楼門をくぐって本殿正面に行くことは出来ない。これから左に折れて回り込まなければならない。回り込んで右手に本殿三殿があるのだが、その前にある拝殿でその殆どを見ることが出来ないので、少し興醒めであるのは残念である。
 拝殿には大きな提灯が掛けられている。この左に回って見ると、二人驚いたものがあった。それは薦神社の「紋」である。これが一つ巴なのだ。普通八幡といえば三つ巴であるがそれが一つなのである。やはり薦神社が宇佐神宮の先祖なのだろうと思ったのである。
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