今日は、長いタイトルだが、凄い長い本の題名そのままだ。著者は、安本美典(びてん)さん。古代史研究家で、よく名前を見る方なので、その道では、有名な方だと思う。
その権威?が、この題名。相当、気合が入っている、というか、感情がこもっている。
2009年9月に出た本だが、山の辺の道で、いろいろな古墳を見た後の本年4月に読んだ。
中を読んでまたびっくり。大御所とも言える安本さんが、かなり感情的に、昨年突然、歴博により発表された、箸墓付近で発掘された結果に基づき、邪馬台国が大和にあったことを断定するような発表内容に噛みついているのだ。
邪馬台国は、北九州説と畿内説を中心に、どこにあったか特定できていないのだが、その論争は、江戸時代から、延々と続いている。安本さんは、北九州説をとられているのだが、この発表(歴博による)の独善的な内容に、我慢がならないようなのだ。
確かに、我々素人は、あの報道で、邪馬台国畿内が圧倒的に有利になったと思った。その一番の根拠は、炭素14による年代測定値だ。ところが、これは、相当(百年以上単位で)、誤差があるものなのだそうだ。知らなかった。しかも古く測定される方向に。
その他、発掘された土器の形状や、銅鏡のデザイン等、すべての材料が、北九州説を支持するという。箸墓付近の発掘物は、発表されたほど古いものではないのだという。
北九州の古い地名と、大和地方の地名に多くの類似点がみられるのだという。これが、大和王朝東遷説の材料の一つになっている。いろんな研究が積み重ねられている。
それにしても、この論争。さらなる発見がないと結論は出ないのだろうが、少なくとも発見された物に対する研究についての議論は、オープンに、正々堂々とやって、それなりの結論を出して行って欲しいものだと思う。そうしないと、いつまで経っても進展しない。