作山古墳から、備中国分寺に向かう途中に、江崎古墳がある。
周りは、結構開けていて、近代的に整備されていた。
古墳の入口。
石室には、階段をちょっと降りていく。
柵があり、石室内には、入れないが、柵越しによく見える。
石室の上に、後から作ったと思われる天井窓があり、光が石室内に入るようになっている。
改めて見てみると、古墳の天井の天窓が、外からも見れた。
ここにも、りっぱな説明板があったので、載せておく。
『本古墳は、前方部を山側に向けた全長45メートルの前方後円墳で、後円部の一部を除き周溝がめぐっています。前方部幅25メートル、後円部径32メートル、二段築成で円筒埴輪をもっています。
西に開口する横穴式石室は、両袖式で全長13.8メートル、玄室長6.6メートル、玄室最大幅2.6メートルで、羨道には、角礫を用いた閉塞施設がよく残っています。
玄室には、こうもり塚古墳と同じ貝殻石灰岩(浪形石)をくり抜いた家形石棺があり、館内には攪乱された状態で人骨二体分と金環1対、ガラス小玉約110が残っていました。人骨は成人の男性と女性で、ともに身長157センチ前後と推定されています。
石室床面からは獣形鏡1、耳環1対、鉄刀5、鉄鏃130以上、馬具、須恵器90以上、土師器10余など大形横穴式石室にふさわしい多種多量の建物が出土しています。
本古墳の築造は、出土遺物などからこうもり塚古墳よりやや新しい6世紀後半と考えられ、この地域最後の、そしたまた吉備最後の前方後円墳のひとつとして、大きな意義をもつものです。』
豊富な副葬品に驚くばかりだが、その後、権力は、大和の地に移ったということか。