寄り道が多くて、申し訳ない。
備中国分寺から、こうもり塚古墳へは、歩いて行ける。
一本道の先に、古墳が見える。
石室入口が見えてきた。
入口には、やはり柵があるが、石室内を見ることができる。
石室は、大きな石で作られており、家形石館が残されている。
この辺の古墳は、みな同系統の古墳であることがわかる。
石室の上を見ると、雨漏りを防ぐためか、ビニールシートで覆われていた。
ここにも、りっぱな説明板があったので、内容を載せておく。
『この古墳は6世紀後半に自然の丘陵を利用しつくられた全長約100メートルの前方後
円墳です。内部の石室は巨石を用いた横穴式石室で長い羨道とその奥の玄室とからなっています。玄室には、家形の大きな石館棺がおさめられています。この石棺は井原市野上町町産の浪形岩(貝殻石灰岩)を材料としたくり抜き式の石棺です。ほかにも陶棺や木棺がおさめられており、後期古墳に一般的な複数ま家王があったことがうかがわれます。
この古墳は大きな墳丘や内部の石室、石棺などにみられるように多くの労働力を集めることができた支配者層の墳墓であることを示しています。』
備中国分寺から、こうもり塚古墳へは、歩いて行ける。
一本道の先に、古墳が見える。
石室入口が見えてきた。
入口には、やはり柵があるが、石室内を見ることができる。
石室は、大きな石で作られており、家形石館が残されている。
この辺の古墳は、みな同系統の古墳であることがわかる。
石室の上を見ると、雨漏りを防ぐためか、ビニールシートで覆われていた。
ここにも、りっぱな説明板があったので、内容を載せておく。
『この古墳は6世紀後半に自然の丘陵を利用しつくられた全長約100メートルの前方後
円墳です。内部の石室は巨石を用いた横穴式石室で長い羨道とその奥の玄室とからなっています。玄室には、家形の大きな石館棺がおさめられています。この石棺は井原市野上町町産の浪形岩(貝殻石灰岩)を材料としたくり抜き式の石棺です。ほかにも陶棺や木棺がおさめられており、後期古墳に一般的な複数ま家王があったことがうかがわれます。
この古墳は大きな墳丘や内部の石室、石棺などにみられるように多くの労働力を集めることができた支配者層の墳墓であることを示しています。』