かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

華麗なるドイツ浪漫紀行 その10 ハンブルグ レーパーバーン

2020年01月20日 | Europe・Middle East・Africa



ビスマールとリューベックを回って、ふたたびハンブルクに戻ってきた。
夜は、自由時間だったので、ビートルズゆかりの地を早周り。
レーパーバーンは、悪名高き?歓楽街。
ホテルから地下鉄を乗り継いで行ける。
歌舞伎町をもっと猥雑にした感じ。
ちなみに、地下鉄は、改札がないのだが、チケットをちゃんと購入したかどうチェックしていたのか不明だった。



ビートルズプラッツ。
ビートルズ4人の姿が、モニュメントになっている。
実は、当初は、5人だったが、ステュが脱退し、4人編成になった。
その後、ドラマーがピートからリンゴに変わる。
正面に見えるのが、グローセフライト通りで、ビートルズが演奏したクラブはほとんどがこの通り沿いにある。
ちなみにグローセフライトは、大いなる自由という意味らしいが、ビートルズは、ここで、自由を謳歌していたのだろうか。



グレーテル&アルフォンスは、当時のミュージシャンたちがたむろしていたバー。
今も現役。
ほとんど徹夜の演奏が続いたという。



スタークラブのモニュメント。
クラブ自体は、取り壊されたが、有名歌手が多数出演していたことが、わかる。
ちなみに、取り壊された時のステージの切れ端を所有している。
営業していたのは、1962年から1969年と、短かったことがわかる。
ちょうどビートルズが活動していた時代と一致する。



カイザーケラーもビートルズが演奏していたクラブ。
こちらは、まだ現役のようだった。
カイザーケラーから、スタークラブへ移籍した。
店主のブルーノ・コシュミダーは、映画のバック・ビートで悪役で描かれるが、結果的には、ハンブルクでの過酷な経験がビートルズの底力になった。



大教会。
立派な教会だが、この猥雑な地域のど真ん中にある。
そういえば、当日も、男性のストリップショーに群がる若者たちが奇声を上げていた。



インドラは、ビートルズがハンブルクで最初に演奏したクラブ。
建物は、残っているが、営業はしていないようだった。
ここでの環境は劣悪だったと伝えられる。



バンビキーノ。
かつての映画館だが、このスクリーンの裏で寝泊りさせられていた。
今は、アパートに見えるが、かつての姿とうまくつながらない。



ジョンレノンの、ロックンロールのカバーで使われた写真の撮影された建物。
かなり荒れているが、当時の姿はわかる。
立ち入り禁止のようになっていたが、近くで、家族パーティをやっていたので、まだ住人はいるようだ。



ポールやジョージが世話になった警察。
室内で暖をとるために物を燃やしたのが、放火扱いされたというが、コシュミダーが、他のクラブに移籍したことへの腹いせだったとも伝えられる。
この事件で、一旦イギリスに強制送還された。
この警察署の右手の通りが、赤線地帯になる。
世界一忙しい警察署とも言われる。



トップテンクラブがあった建物。
当時の建物が残るが、店名は変わっている。
ピザハットも入っている。
ここでの演奏を最後に、ビートルズは、世界に羽ばたっていった。



夜は、前日にも行ったハードロックカフェでディナー。
ビートルズと縁の深い街だが、ビートルズ関連の展示は、ジョンのジャケットのみ?

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