かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

華麗なるドイツ浪漫紀行 その13 ポツダム ツェツィーリエンホーフ宮殿

2020年01月24日 | Europe・Middle East・Africa



シュベリーンから、ベルリンへ移動し一泊。
ベルリンのホテルの朝食で、ハンブルクで食べそこなった、ハンバーグの原型で、フリカデレと呼ばれる料理をいただく。
ハンバーグって、そもそもシンプルな料理。



旧東ドイツの歩行者用信号機のデザインは、ユニークで(何故かハットを被っている)、かわいらしく、お土産グッズのデザインにもなっている。



止まれは、シンプル。
でも、何で、手を広げているのか。



そしてポツダム宣言で有名なポツダムにあるツェツィーリエンホーフ宮殿へ。



皇帝ヴィルヘルム2世が後継のヴィルヘルム皇太子と妃のツェツィーリエのために立てた館で1917年に完成。
第二次世界大戦の後処理を決めるための会談が行われた場所として有名。
1945年7月17日から8月2日にかけ、アメリカのトルーマン、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが会談した。
その時の映像も多く残されている。



3人には別々の部屋に滞在し、異なった入口から会議場の入ったという。
現地ガイドの方がユニークで、ディープな話をお聞きすることができた。
郷ひろみが主演した森鴎外のドラマで共演した経験もおありとのこと。
この会談で、ドイツの分割などが議論された。
しかし、米英の首脳がスターリンに振り回された形で、具体的な議論に欠けたとの評価もある。
その後の、ソ連の日本への侵攻、米の原爆投下等も考えれば、駆け引きに終始したと言えるかもしれない。
この部屋は、ソ連側の執務室。
皇太子妃の書斎だった。



まさに会議が行われた部屋。
皇太子一家の居間だった。
8月15日の訪問になったことも何かの縁か。
手前がトルーマンの席で、後ろに階段があり、いつ刺客に狙われるかわからない落ち着かない席だったという。



この部屋は、皇太子の喫煙室だったが、ポツダム会談の時は、イギリス側執務室だった。



アメリカ側執務室。



皇太子の図書室だった。



白のサロン。
当初は、音楽サロンとして計画されたという。



ここでの3人の写真が残されており、記念写真を撮ってもらった。



第二次世界大戦後の世界を決めた重要な会談がなされた場所として、極めて強い印象を残した。
それから、70年以上経ち、新たな世界になりつつあるが。

コメント
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