かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

華麗なるドイツ浪漫紀行 その15 ベルリン

2020年01月31日 | Europe・Middle East・Africa



ポツダムからベルリンに戻ってきた。
まずは、車窓からベルリンフィルハーモニー。
1963年に建てられた。
カラヤンは、良くも悪くも、カリスマ指揮者だった。



2005年に完成したユダヤ人に捧げる記念碑。
いまだに、こんな事がなされたことは、信じられない。



そして、ベルリンの象徴、ブランデンブルク門。
ベルリンには、かつて18の門があったというが、今残るのは、この一つ。
1791年に作られた。
門上の彫像は、4頭立て馬車クアドリガに乗った勝利の女神ヴィクトリア。
ナポレオン戦争時は、ナポレオンにより、パリに持ち去られたという。
これは、旧東ドイツ側から見た様子。

前から疑問だったのだが、ベルリンは、旧東ドイツにあり、ベルリンでは、西と東の行き来が自由だった。ところが、1960年代になって、東側が急に、ベルリン内の西ドイツ側を、壁で囲んだため、ベルリン内の西ドイツが、孤立した場所になっていたことだということがわかった。
壁は、東ドイツ側に急に作られたため、かなりの混乱を起こした。
であるから、この光景は、西側からは、当時見ることができなかった。



これは、当時の西側から見た門。
もちろん今は、行き来は自由。



国会議事堂。今も現役。



門の脇にある高級ホテル。
ここからマイケルジャクソンが子供をベランダから振り回し、児童虐待騒ぎになった。
たぶん薬の影響だったのだろうが、今となってはわからない。



ベルリンの壁が一部残されており、観光スポットになっている。
危ないので、車掌からと、道の反対側からの見学になったが、なかなかユニークかつ政治的な絵が並んでいて面白い。
日本は、東西ドイツから見て、どういう存在だったのだろうか。



一番有名な絵。
ホーネッカーとブレジネフ。
ベルリンの壁崩壊後しか知らない世代は、当時の東のイメージはわかないだろう。
前には、東ドイツの名?トラバントが。
現役でも走っていた。



本気のアート。



こちらも。



ということで、あっという間だったが、ベルリンの都市部を一通り。

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