かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

古代史講義(宮都編)

2020年04月18日 | Books
今日は、凄い雨だった。
と思ったら、今は、快晴。
明日のゴルフもキャンセルになって、今週末は、いよいよ巣篭もり。



本書は、古代史講義シリーズの第3弾になるのだろうか。
全く違う視点からの1冊で、面白かった。
この3月に出たばかり。

飛鳥から、平安京、そして、地方の都まで、簡潔かつ、新たな見解も含めて説明してくれている。

去年、藤原京と、難波京に行けたので、より実感をもって読むことができた。
都によっては長い年月に埋もれてしまったものもあり、今尚はっきりしない都もある。
難波京でさえ、場所が特定されてきたのは、昭和に入ってからというから驚きだ。
記紀で使われている地名と今の地名から場所を特定しようとすると難しい。
やはり発掘してみないとわからないようだ。
平城京や、藤原京は、そのまま空き地となって残っているが、平安京は、その後1000年に渡って都であったため、原型を探し出すのは困難を極める。

面白かったのは、聖武天皇の時代、遣唐使が持ち帰った唐が都を複数持っているとの情報から、複数の都を持とうとしたのではないかとの考察。
難波京に遷都してすぐ戻したように見えるのも、平城京と並行して都が存在したのではという見解になる。
その後、平城京を離れて転々としたのも、政治的不安定性の結果ではなく、仏教を中心とした新たな政治を始めるため、遷都先を探したのではないかということになる。
結局、平城京に大仏は、鎮座することになるのだが、桓武の時代になって、都は、長岡京、平安京と移り、平城京、難波京は、忘れられていく。
これは、天武系から天智系に戻ったことの影響も大きいか。

東北の、平泉、多賀城にも触れられていて、私にとっては、身近な都で、ひじょうに書いてある内容がよくわかる。
太宰府付近も相当歩き回ったから、同様。

まだ行けていない都もあるが、発掘跡とか、石碑ぐらいしか見れないのかもしれない。
都跡として認識できる都は、かなり制覇していたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする