今日は、GW中、最後のゴルフ。
天気もいまいちで、風も強くて、スコアも最低。
まぁ、3回できたことに感謝しよう。
トルコで最初に訪れたのは、トロイ。
シュリーマンが、紀元前8世紀のギリシャの吟遊新人ホメロスが残したイリアスに出てくる当時伝説上の都市だったトロイの街を発見したことで有名。
夢をかなえた話として、こどもの頃から伝記でも読んだ。
私もあこがれて、このような世界に興味を持ったといってもいいぐらい。
そのトロイに訪れる日が来ようとは。
ただ、訪れてみると、シュリーマンの発掘は、考古学者としてのそれではなかったため、かえって遺跡の構造がわからなくなってしまったり、財宝を私物化し、その後の第二次世界大戦で、ロシアに渡ってしまったりと、あまり芳しいものではなかった。
時代的にやむを得なかった面もあるが。
トルコの立場としてはそうなるだろう。
そうは言っても、トロイ遺跡は、人気の観光地だ。
途中から晴れたが、最初は雨模様。
まだ初春のこの時期、天候は、不安定ではあった。
入り口の説明。
遺跡が何重にも重なっており、発掘は困難を極める。
トロイは、紀元前3000年頃から、紀元前350~400年前頃に栄えたとされるが、シュリーマンがトロイと考えたのは、下から2層目の紀元前2600年から2300年の第2市で、トロイ戦争が起こった時期は、第7市で紀元前1300年から1200年であり、誤りであったことがわかっている。
ということは、トロイの財宝と思っていた発掘物も、トロイ戦争時のトロイより1000年以上前のものだったということになる。
そして、トロイ戦争が起こったと思われる時期のトロイである第7市の遺跡は、掘り進む中で、ほとんど破壊されてしまった。
かつ、トロイであったという証拠も失われ、その後の研究者が頭を悩ませることになってしまった。
観光の目玉?であるトロイの木馬の像は、修復中。
元は、1975年にトルコの工芸家が作ったものだそうだ。
ただ、アガメムノンが退却した時に残したと伝えられる木馬としては、リアルに再現されているそうだ。
これだけの像の修復であれば、やる気になればすぐできると思うのだが。
そういえば、トロイの木馬の言葉は、コンピューターウイルスの名前として知った人も多かったかもしれない。
ブラッド・ピットの映画で知った人も多かったかな。
とは言え、遺跡の規模は流石に大きい。
3000年近くもこの地に都市が存在し、アジアの最西端で、ヨーロッパ側と対峙する場所にあったのだから、当然なのかもしれないが。
アジアの最西端の都市として、栄えていたことがわかる。
東の塔と城壁。
第6市(紀元前1900年から1300年)で、トロイ戦争の頃の城壁と考えられている。
確かに、この何層にも重なった巨大遺跡の発掘は、3次元的、4次元的なイメージを膨らませながら慎重に行わないと、訳がわからなくなってしまいそうだ。
咲いているのはアーモンドの花。
その奥に海が見える。
大きなタンカー船も浮かんでいた。
標識はあるのだが、石垣が残っているだけという場所も多く、一介の旅行客には、識別は難しい。
アテナ神殿の格間天井の石材。
第8市。
可憐なアーモンドの花。
遠目には、色が桜に似ている。
これから先、各地で出会うことになった。
メガロン式住居跡。
トロイア2市(紀元前2550年から2250年)の時代のもの。
素朴。
煉瓦を保護するため、屋根が付けられていた。
ここで、シュリーマンが、プリアモスの財宝を発見した。
財宝は、ベルリンに持ち去られた後、第二次世界大戦で行方不明になり、現在は、モスクワのプーシキン博物館にある。
上部は、復元か?
市が重なっている様子が見える崖。
これだけ、重なっていると、どう発掘していいやら。
当時の建物は、日干し煉瓦でできていて、崩れ出すと、崩壊も早かったという。
その上に、新たな家が建てられ、それが何層にも重なり、10m以上に積み重なった。
シュリーマンは、宝物を求めて掘り進んだため、上部の市の遺跡が破壊されてしまったという。
延々と広がる遺跡。
オリーブの木。
オリーブは、エジプトの重要資源で、国によって、厳重管理されているそうだ。
道の跡。
比較的原型をとどめている。
これは、井戸の跡か。
聖域と呼ばれる場所。
第8市、紀元前900年から紀元前350年の都市。
ここで、生贄の儀式が行われ、アレキサンダー大王も、供物を捧げたとされる。
反対側から臨んだところ。
井戸や祭壇が並んでいる。
トロイ初のギリシャ都市だった。
オデオンと呼ばれる劇場跡。
第9市(紀元前350年から400年頃)時代に、音楽や劇が行われた小劇場。
ローマ時代のもので、木製の屋根があり、劇が終わると、背景の幕が降ろされ、雄大な景色が広がったという。
ここから、アウグストゥスの頭像が発見されており、アウグストゥスが紀元前20年にトロイを訪問した時に建設されたと考えられている。
奥にメガロン式住居跡の屋根が見える。
ここは議事堂跡?
グッズ売り場も充実していて、全く想像上のトロイの木馬だが、記念品として、ゲット。
トロイの解説本も入手したが、トルコ政府が、調査費用を負担しない恨み言が書いてある。
天気もいまいちで、風も強くて、スコアも最低。
まぁ、3回できたことに感謝しよう。
トルコで最初に訪れたのは、トロイ。
シュリーマンが、紀元前8世紀のギリシャの吟遊新人ホメロスが残したイリアスに出てくる当時伝説上の都市だったトロイの街を発見したことで有名。
夢をかなえた話として、こどもの頃から伝記でも読んだ。
私もあこがれて、このような世界に興味を持ったといってもいいぐらい。
そのトロイに訪れる日が来ようとは。
ただ、訪れてみると、シュリーマンの発掘は、考古学者としてのそれではなかったため、かえって遺跡の構造がわからなくなってしまったり、財宝を私物化し、その後の第二次世界大戦で、ロシアに渡ってしまったりと、あまり芳しいものではなかった。
時代的にやむを得なかった面もあるが。
トルコの立場としてはそうなるだろう。
そうは言っても、トロイ遺跡は、人気の観光地だ。
途中から晴れたが、最初は雨模様。
まだ初春のこの時期、天候は、不安定ではあった。
入り口の説明。
遺跡が何重にも重なっており、発掘は困難を極める。
トロイは、紀元前3000年頃から、紀元前350~400年前頃に栄えたとされるが、シュリーマンがトロイと考えたのは、下から2層目の紀元前2600年から2300年の第2市で、トロイ戦争が起こった時期は、第7市で紀元前1300年から1200年であり、誤りであったことがわかっている。
ということは、トロイの財宝と思っていた発掘物も、トロイ戦争時のトロイより1000年以上前のものだったということになる。
そして、トロイ戦争が起こったと思われる時期のトロイである第7市の遺跡は、掘り進む中で、ほとんど破壊されてしまった。
かつ、トロイであったという証拠も失われ、その後の研究者が頭を悩ませることになってしまった。
観光の目玉?であるトロイの木馬の像は、修復中。
元は、1975年にトルコの工芸家が作ったものだそうだ。
ただ、アガメムノンが退却した時に残したと伝えられる木馬としては、リアルに再現されているそうだ。
これだけの像の修復であれば、やる気になればすぐできると思うのだが。
そういえば、トロイの木馬の言葉は、コンピューターウイルスの名前として知った人も多かったかもしれない。
ブラッド・ピットの映画で知った人も多かったかな。
とは言え、遺跡の規模は流石に大きい。
3000年近くもこの地に都市が存在し、アジアの最西端で、ヨーロッパ側と対峙する場所にあったのだから、当然なのかもしれないが。
アジアの最西端の都市として、栄えていたことがわかる。
東の塔と城壁。
第6市(紀元前1900年から1300年)で、トロイ戦争の頃の城壁と考えられている。
確かに、この何層にも重なった巨大遺跡の発掘は、3次元的、4次元的なイメージを膨らませながら慎重に行わないと、訳がわからなくなってしまいそうだ。
咲いているのはアーモンドの花。
その奥に海が見える。
大きなタンカー船も浮かんでいた。
標識はあるのだが、石垣が残っているだけという場所も多く、一介の旅行客には、識別は難しい。
アテナ神殿の格間天井の石材。
第8市。
可憐なアーモンドの花。
遠目には、色が桜に似ている。
これから先、各地で出会うことになった。
メガロン式住居跡。
トロイア2市(紀元前2550年から2250年)の時代のもの。
素朴。
煉瓦を保護するため、屋根が付けられていた。
ここで、シュリーマンが、プリアモスの財宝を発見した。
財宝は、ベルリンに持ち去られた後、第二次世界大戦で行方不明になり、現在は、モスクワのプーシキン博物館にある。
上部は、復元か?
市が重なっている様子が見える崖。
これだけ、重なっていると、どう発掘していいやら。
当時の建物は、日干し煉瓦でできていて、崩れ出すと、崩壊も早かったという。
その上に、新たな家が建てられ、それが何層にも重なり、10m以上に積み重なった。
シュリーマンは、宝物を求めて掘り進んだため、上部の市の遺跡が破壊されてしまったという。
延々と広がる遺跡。
オリーブの木。
オリーブは、エジプトの重要資源で、国によって、厳重管理されているそうだ。
道の跡。
比較的原型をとどめている。
これは、井戸の跡か。
聖域と呼ばれる場所。
第8市、紀元前900年から紀元前350年の都市。
ここで、生贄の儀式が行われ、アレキサンダー大王も、供物を捧げたとされる。
反対側から臨んだところ。
井戸や祭壇が並んでいる。
トロイ初のギリシャ都市だった。
オデオンと呼ばれる劇場跡。
第9市(紀元前350年から400年頃)時代に、音楽や劇が行われた小劇場。
ローマ時代のもので、木製の屋根があり、劇が終わると、背景の幕が降ろされ、雄大な景色が広がったという。
ここから、アウグストゥスの頭像が発見されており、アウグストゥスが紀元前20年にトロイを訪問した時に建設されたと考えられている。
奥にメガロン式住居跡の屋根が見える。
ここは議事堂跡?
グッズ売り場も充実していて、全く想像上のトロイの木馬だが、記念品として、ゲット。
トロイの解説本も入手したが、トルコ政府が、調査費用を負担しない恨み言が書いてある。