かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

Bob Marley & John Lennon

2024年05月30日 | The Beatles


今日もいい天気。
夜から、また下り坂らしいが。
昨日の午後は、映画のはしご。
昔は、二本立て、三本立てによく行ったが、最近、1日2本は、記憶がない。

まず見たのが、Bob MarleyのONE LOVE。
すばらしかった。
ネタバレになるので、あまり書かないが、最後に、実際の映像が出て、この映画が、いかに事実に忠実に描かれていたかがわかる。
それもそのはず、Bob Marleyの子供たちが、全面的に協力・出演しているし、Warriorsのメンバーの子供たちも出演している。
演奏シーンも本格的だ。
そして、全編に、ヒット曲が散りばめられていて、映画館の音響設備で、堪能できる。

ストーリーで特徴的なのは、ジャマイカの政治の混乱に巻き込まれ、銃撃を受け、亡命を余儀なくされるが、帰国コンサートで、対立する政党のリーダーたちを仲直りさせるところ。
反戦ミュージシャンは、多くいるが、これまで具体的・直接的に巻き込まれたり、影響を与えた人はいないだろう。

ジャマイカには、30数年前に行ったが、光あふれるすばらしい所だった(冬のシカゴから行ったから当たり前なのだけど、フロリダ、バハマでは、中途半端だった)。
その10年前は、ほとんど内戦状態で、街中で銃撃戦がしょっちゅう行われる混乱状態だった。
首都のキングストンは、当時も治安が悪いと言われていて、行かなかったが。



二本目は、横浜から渋谷に移動し、初めて行くシネクイントさん。
小さな映画館だが、しっかりしている。



見たのは、The Lost Weekend。
当時、ジョン・レノンが小野洋子さんと分かれて、メイ・パンという中国系女性と付き合っているという情報はあったが、詳しい状況はわからなかった。
ただ、時々西海岸でトラブルを起こしているという情報も流れてはいた。

その一部始終を見ていたというか、当事者になっていたメイ・パンさんが、当時のことを、ありのままに語る映画。
その話に合わせて、貴重な映像が映し出されるので、よく当時の状況がわかった。
娯楽映画というより、ドキュメンタリー映画だ。

構成が上手くて、映像が残っていないトピックのところは、イラストで、表現。
全体として、ちょうどいいぐらいの掘り方になっている。
その中で、ジョンの気持ち、メイ・パンの気持ち、その二人を周りがどう見ていたか、どうかかわっていたかがわかる。



終了後、藤本さんのMCで写真家の松本路子さんのトークイベント。
こんな方がいるとは知らなくて、びっくりした。
ビートルズの第一人者である藤本さんも、初めて聞く話ばかりで驚かれていた。

松本路子さんは、1950年生まれというから、小野洋子さんとは、17歳ぐらい違う。
大学を卒業し、写真家になろうと思ったら、女性の写真家はあまりいないと言われ、活躍している女性の写真を撮りに、24歳の時、NYへ。
小野洋子さんの電話番号を知っている人と知り合い電話をしたら、会ってくれたという。
1974年7月というから、小野洋子さん41歳、松本さん24歳のこと。
いきなり、6~7時間話し、夜になり、帰ろうとしたら、夜道は危ないと言われて引き止められ、着替えがないというと、取りに帰りなさいと訳のわからないことを言われたという。
結局1週間ほど滞在し、洋子さんの希望に応じた写真を撮りまくった。
写真も多数披露されたが、流石写真家で、当時の洋子さんの姿をしっかりと捉えている。
その後も、写真の受け渡しで、何度か訪れたり、80年代、90年代にも、旅先で、ばったりあったりしたという。

松本さんの印象では、日本語で、話す相手が欲しかったのではないかとのこと。
翌月、郡山でのOne To One コンサートを控えており、日本の情報も欲しかったのではないかとのこと。
当時、小野洋子さんは、すっかり悪者扱いで、日本からも脅迫めいたメールが届いており、日本を怖がっていたという。

ちょうど映画のThe Lost Weekendの時期だが、映画では、当時、ジョンは、メイ・パンさんにぞっこんだったことになっているが、松本さんがいる間にもしょっちゅうジョンから電話がかかってきたという。
メイ・パンに隠れて電話をしていたのか、メイ・パンが嘘をついているのか。
映画では、小野洋子は、支配欲が強い、エゴイストとして、悪く描かれている。
The Lost Weekendのことを、洋子さんは、試練とはっきり言っていたといい、本人からの生の発言として、貴重。
映画ではジョンがヨーコとよりを戻した時、許された(allowed) と表現していたが、その通りだろうと。
洋子さんは、奇妙な作品を多く残しているが、一つ一つ意味があることもわかったという。
単にめちゃくちゃをやっているのではなく、彼女は信念を持って、各作品に取り組んでいたという。
自由と言っても枠があって、その枠をどんどんはずしていけるのよとも言っていたという。
活躍している女性としての小野洋子さんの写真を撮りに来た松本さんだから、引き出せた発言だろう。

いろんなところで、撮った写真が披露されたが、部屋は、ダコタハウスの最上階で、ダイニング、キッチン、仕事部屋、ベッドルーム、窓のある部屋、ピアノのある部屋などで撮影が行われた。
ピアノのある部屋では、作曲中だった夢を持とうをカセットに吹き込んでくれて、そのカセットをもらったという。
今は、どこにあるかわからないというが。
ダコタハウスには、料理人が来て料理を作ってくれたが、たまに外食で、日本食を食べていたとのことで、かつ丼とか、寿司を好んだという。
ダコタハウスの前の階段のところでたまたま撮った写真もあり、6年半後、ジョンはそこで殺されてしまう。

こんな貴重な話が聴けるとは、わざわざ渋谷に出かけた甲斐があった。



渋谷は、相変わらずクレージーで、街全体にどこかのアイドルグループの歌が流れていた。
外国人比率も相変わらず高い。
ただ、日本が平和で自由な国だと彼らが感じてくれて、帰国後も、その印象を広めてくれたらうれしい。
特に、中国、ロシアから来た人々には。
コメント
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