かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

島根・神々の宿る里その5 石見銀山町並み地区

2010年05月09日 | Other Western Japan



石見銀山の、自然、鉱山跡を堪能した後、町並み地区に行った。かつての町並みがよくここまで保存されていたものだと感心した。この地域も世界遺産地区の一部だ。
これは、旧河島家。1800年初頭の役人の家。上級武家の構えをよく残しているというが、残されている部分は、意外と狭かった。元の家は、残されている部分の5倍ぐらいだったらしい。



鶴瓶さんは、平成18年にすでにここを訪れていた。それでは、この日は何のための訪問だったのだろう?翌日には、”いいとも!”に出ていたらしいし。



このような道がしばらく続いている。うろちょろ見ながら、全体で1時間半ぐらいの散歩だった。約800mだ。



自動販売機もこの通り。これは、かなり手作り感がある。単なる箱ではなく、装飾もしっかりあるのがうれしい。



これは、栄泉寺。1596年の開山というが、このユニークな竜宮門は、江戸末期の再建。



大田市町並み交流センターがあったが、旧大森区裁判所という。ちなみに、町並み地区は、大田市の大森地区にある。



観世音寺は、町並み地区の中心にあり、町並みを見下ろせるビューポイントでもある。



熊谷家は、内部が公開されている旧家の一つ。こちらは商家で、大きいし立派。重要文化財に指定されている。現在の建物は、1801年の再建。
鉱山業、酒造業、年貢銀を秤量・検査する渇ョなど、いろんな商売をやっていたそうだが、相当の金持ちだったことは間違いない。お代官様と結託されたら、庶民は、たいへんだ。



その先に、西性寺があったが、その経堂の鏝絵はみごと。左官の神様と呼ばれた松浦栄吉さんの作とのこと。



町並み地区のメインは、この石見銀山資料館。大森代官所跡にある。門構えは、いかにも代官所。1815年に建てられたもの。中には、様々な資料が展示されているが、特に、世界の古地図などが興味深かった。石見銀山が、世界の石見銀山であったことがわかる。



町の突き当たりにあったのが、城上神社(きがみじんじゃ)。拝殿は、唐破風、千鳥破風が混じった不思議な雰囲気。大物主意の地(大国主命)を祀っていて、銀山と大森町の氏神様だ。中には、鳴き龍があるそうだが、試さなかった。

大森代官所跡にもバス停があって、世界遺産センターまで、数分で戻ることができた。バス内では、銀山の紹介ビデオが流されている。これでも、ずいぶん見逃したものがあったようだ。最初にこのビデオを見ておけば、よかった。
一日気軽に楽しめる世界遺産だった。

コメント
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