
松江城の北側には、江戸時代からの屋敷群が残されている。この一体は、塩見縄手と呼ばれているが、塩見さんは、松江藩で大出世した役人で、縄手は、お城のお堀を囲む細い路のことを言うらしい。
この通りに沿って、小泉八雲記念館、八雲旧居、田部美術館、武家屋敷が並んでいる。

一番興味深かったのは、小泉八雲亭。

小泉八雲ことラフカディオハーンさんはギリシャ生れ。2歳の時、アイルランドに移り、19歳でアメリカに渡る。1890年、39歳の時、記者として来日したが、その後、島根で、英語教師となり、この侍屋敷(根岸亭)に居を構えた。松江にいたのは、1年3カ月で、その後、熊本、神戸、東京を移り、1904年に亡くなったという。
19世紀のことだから、日本に住んでいた外国人などほとんどいなかったはずだ。

その中で、小泉八雲さんが、日本をこれだけ愛したのは、松江・出雲の風土、この純日本風の屋敷、日本人の奥さん(セツさん)の影響が大きかったのではないか。
左目を失明していたそうで、記念館の方に、八雲さんの机が展示されているが、椅子がとても高く、机にかじりつくように執筆されていた姿が、目に浮かぶ。

もうひとつ見ごたえがあるのが、この武家屋敷。八雲亭とは、全然規模が違う。この屋敷に塩見さんが住んでいて、600石から1,000石取りへと異例の昇進したという。これでも中級武士というから、やはり昔の侍さんは、偉かったのだ。

各部屋には、当時の生活がわかるような展示がある。

近くには、松江歴史館が建設中だった。来年3月開館予定。

ということで、松江城を中心とした一帯は、城下町の雰囲気を残した味わいがあった。