
今日は、天気は良かったが、風は強かった。そんな中、箱根の外輪山に囲まれたすばらしいコースでプレイ。コースは最高。8月下旬には、女子プロトーナメントも開催される。

松江では、松江城を中心に回ったが、松江のちょっと奥に、行きたかったところがあった。
”意宇(おゑ)”と呼ばれる、出雲神話の中心地だ。小泉八雲の”八雲の地”ともよばれる。
この”意宇”という不思議な地名の背景には出雲神話がある。
記紀には、出雲の話は限られるのだが、その直後に編纂された出雲国風土記にはいろいろな話が伝えられている。その代表的なものは、国引き神話だ。
まだ島根半島もなく、出雲地方もない時代、ここから新羅方向を見て、まだ土地があるとし、石見銀山の近くの三瓶山(さんべざん)に杭を立て、出雲地方を、新羅から引き寄せ造った。そして、大山に杭を立て、三保、境港方面を、北方、北陸地方から引き寄せ造った。そして、国引きを終えた神は、この”意宇”で、杖を突きたて、”おゑっ(意宇)”と言ったのである。
この話は、根拠が薄い造り話とされてきたが、この地方で、考古学的な発見が相次いだことにより、出雲地方に、大和王朝に対する大きな王朝があったことが明らかになってきたのである。
まさに、この”意宇”が、出雲神話の中心地なのだ。
大きな発見があった、岡田山一号墳、二号墳の隣に造られたのが、この八雲立つ風土記の丘展示学習館で、本来はここで学習してから、史跡巡りをする。
名前が妙に長く、野暮ったい気がするが、中の展示は、充実している。特に、岡田山一号墳で発見された額田部臣(ぬかたべのおみ)銘文入り太刀、振り向いた鹿の姿をした埴輪など、重要文化材を含めた展示物は、充実しているし、展示方法も、コンパクトでわかりやすい。見たこともなかった子持ち壺などもなども展示されている。

これは、岡田山二号墳。未発掘だが、直径43m、高さ6.5mと、大きな円墳だ。

この岡田山一号墳で、銘入りの太刀が発掘された。前方後方墳で、あまり他では見たことない。子持つぼ、金銅製の馬具なども発掘されている。
出雲王朝、大和王朝、蘇我家の関係は、6世紀、どのような姿だったのだろう。

当時、庶民がこのような家に住んでいたことを思うと、当時の中央権がいかに大きいかが、実感できる。
