かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

島根・神々の宿る里その3 石見銀山遊歩道

2010年05月07日 | Other Western Japan
昨日は、丸の内の三菱一号館美術館でやっているマネ展に行ってみた。正直、マネはあまり知らないのだが、数はそろっていて、その作風の変遷を知ることができた。ただ、これはいいなと思うのはオルセーなどから来ている数点で、後は、添え物という印象。
美術館自体も、昔の建物を再現したもので、一つ一つの部屋が狭めで、大規模な展覧会には向かない感じ。雰囲気はとってもいいが。平日なのに結構混んでいた。



まずは、銀山地区に行ってみることにした。これは、石見銀山公園にあった銀山の銀色の模型。
銀山地区には、通常の生活道路と、遊歩道が並行してあるが、片道は、遊歩道を使うことをお勧めするレンタサイクルを借りてしまうとちょっと難しいが。
遊歩道は、奇麗なせせらぎ沿いの小路で、自然があふれているし、お寺や無数の間歩(まぶ=坑道)が見られる。終点の龍源寺間歩まで一時間足らずの小散策だ。



今は、新緑のシーズンだが、秋は、紅葉が奇麗だろう。



銀山開発・運営に貢献のあった人のお墓なども多く残されている。これは、大久保石見守のお墓。徳川家康により、銀山開発のため、甲州から招聘されたという。



これには、びっくり。清水谷精錬所跡だ。明治の富国強兵の時代に、造られたが、採算が合わず、一年余りで閉鎖されたという。銀の質が想定より悪かったらしい。江戸時代に、掘りつくしてしまったのか。
建物は、跡かたも残っていないが、廃墟として燦然と輝いていた?



この菖蒲のミニュチュアみたいな花も沢山咲いていて奇麗だった。何て花かな?



花と蜂。おいしそうだ。



このあたりから、間歩が目立ってくる。中には、入れないが、よくもまぁこれだけ掘ったものだと感心する。
これは、新切間歩(しんきりまぶ)で、江戸時代のもの。520mの坑道という。



このあたりにも、美しい自然が広がっている。



立派な家があった。高橋家とあった。山組頭といって、代官所と銀山経営者の間を取り持つような仕事をしていたらしい。江戸時代の話だが。



この看板は、出来たてのホヤホヤ。店主によると、普段は、鎌倉で商売をやっているが、夏の間は、涼しいこちらでお仕事とのこと。この看板は、タキレンタロウさん(あの作曲家の滝さんではない)の作で、埼玉から、はるばる運んで来たらしい。世界遺産内では、看板は一個までと定められており、この看板は、銀山から帰る人に向けてアピールしている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする