かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

鎌倉大町材木座 その9 光明寺

2012年04月25日 | Kamakura ( Japan )


鎌倉大町材木座シリーズも最終回。材木座海岸に出た。材木座は、由比ヶ浜と共に、幼少時代、親に連れてきてもらった海水浴場。滑川(なめりがわ)に流れてきた、ナマズや、フナを拾って、家に大事に持って帰ったことを覚えている。すぐ死んでしまったが。



逗子マリーナもすぐそこ。若いころは、この道をよく走ったなぁ。当時から、渋滞はひどかったけど。
そういえば、裏道マップという本が出て、重宝した。今もあるのかな?



最後に訪れたのは、光明寺。北条経時(つねとき)の帰依を受け、然阿良忠上人(ねんありょうちゅうしょうにん)が、1243年に開山した浄土宗の総本山。徳川家康も、浄土宗の関東のお寺の筆頭にした。



山門からして立派。鎌倉最大という。建長寺のも大きかったけど。



本堂の姿も美しい。中にも、自由に入れる。



桜に映えて、美しい。



鐘楼も立派。格の違いを感じさせる。



中には、庭園。記主庭園(きしゅていえん)と呼ばれ、小堀遠州作と言われる。季節には、古代蓮が花を咲かせるという。奥の建物は、大聖閣といい、ここで、食事をいただくことも可能らしい。



枯山水の庭は、三尊五祖の石庭と呼ばれる。
一番右から、逆時計回りで、釈尊、観音、弥陀、勢至、記主、鎮西、法然、善導となる。
三尊は、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩になる。
五祖は、念仏を広めた五人であり、釈迦、善導、法然、鎮西、記主となる。

ということで、大町材木座の寺社巡りのラストにふさわしい、大きなお寺であった。
鎌倉のお寺は、派手さはないが、しっかりと歴史を伝えている。
これからも、鎌倉のお寺巡りを続けたい。
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浅野温子さんのよみ語り

2012年04月24日 | Culture・Arts
clap今日は、浅野温子さんのよみ語りを見た。
講演会だと思っていったら、よみ語りのパフォーマンスだった?

浅野さんが、国学院大学の客員教授として、古事記を教えていることは知っていたので、大学の講義みたいな話なのかな?と思っていたら、よみ語りだったのだ。
今年は、古事記が編纂されてから、1200年。もちろん、古事記の真偽論争があるくらいだから、はっきりはしないのだろうけど。これからもいろいろな催し、企画があるだろう。

小さな会場で、とても迫力があった。赤絨毯に、木の切り株のような椅子が二つ。バイオリンとシンセの生伴奏で(これもまたすばらしい)、浅野さんが、表情豊かに、全身で、いろんな声音を使いながら、語る。語るというよりは、演技に近い。一人芝居の派手なものというところか。最初は、神秘的な踊りのパフォーマンスから、始まる。
白のブラウスに、ジーンズ、裸足という、カジュアルな装いだ。

内容は、古事記の中から、天の岩戸と、八岐大蛇の話。脚色もすばらしく、奇想天外な話なのだが、兄弟愛、家族愛を考えさせられる、重厚な物語に昇華されていた。

浅野さんは、元々TV、映画俳優で、演劇とは無縁だったが、初めて演劇をやってその難しさに目覚め?、でもより完璧さを求め、よみ語りを次の目標にした。そして、よみ語りのテーマを選ぶ際、日本のすべての物語の元祖である古事記にたどり着いたという。
たくさんのレパートリーの内、今日は、二つ演じていただいた訳だが(45分×2)、今一番のお気に入りは、1時間45分の長編である、大山積神(オオヤマツミ)の話だそうだ。二人の娘に対する愛情が、半端ではないという。
古事記の神話編は、まさに元祖ヒューマンドラマだった。
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鎌倉大町材木座 その8 九品寺

2012年04月23日 | Kamakura ( Japan )
rain今日は、一日小ぬか雨だった。ちょっと肌寒くもあった。まぁ、蒸し暑いよりいいっか。



次に行ったのが、実相寺。



日昭尊者濱土法華堂霊跡という。日昭尊者が、隠れて住んでいたということらしい。
工藤祐経邸の跡とも伝えられる。



日昭尊者のお墓もあった。



実相寺からしばらく行くと九品寺がある。



九品とは、生前の行いによって上品、中品、下品とそれぞれに上生、中生、下生があり、九品となるのだそうだ。上の上になるのは、さぞたいへん。
鎌倉攻めの総大将である新田義貞が、敵方の北条側の戦死者を供養するために建立した。



梅だと思ったんだけど、こんなに色が混じるものか。



さらに進むと補陀洛寺があるが、閉まっていた。仏像が多くあると聞く。
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鎌倉大町材木座 その7 長勝寺

2012年04月22日 | Kamakura ( Japan )
cloud今日もゴルフだった。今にも雨が降りそうな天気だったが、結局ぱらっと来ただけで、最後まで持った。風もなく、いいコンディションだった。ショットは、よくなってきたのだが、相変わらず、詰めが甘い。
藍ちゃんやったね。おめでとう。



次に訪れたのは、長勝寺。伊豆に流されていた日蓮が、鎌倉に戻り、石井長勝(ながかつ)の邸内に庵を結んだのが、当寺の発祥という。



こちらのお寺もなかなか立派なもの。



法華堂は、室町時代の建物という。御堂の前に、日蓮聖人の像が、四天王に囲まれて立っている。これも相当立派で驚いた。



来迎寺はすぐその先。三浦家の菩提寺という。



奥に、三浦大介と、多々良三郎のお墓が並んでいた。三浦家に関係のある方々なのだろう。



その先にあったのが、五所神社。材木座の鎮守様といったところ。



お社はこじんまり。明治時代の村の合併により、鎮守様も合併したということのようだ。その時の社殿は、関東大震災で、山崩れで、埋没し、本社殿は、昭和6年のものという。



この梵字を刻んだ石碑は、鎌倉時代の貴重なもので、重要美術品に指定されている。
弘長2年(1262年)が刻まれており、不動信仰をあらわしたものとしては、鎌倉唯一という。



摩利支天は、京都の建仁寺の横にあった神社で初めて知った。年男の私にとっては、親しみの湧く神様。神様の名は、Mariciというサンスクリット語からの直接来ている。いかにもエキゾチックなお顔立ちだ。


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鎌倉大町材木座 その6 妙法寺

2012年04月21日 | Kamakura ( Japan )
cloud今日は、雨こそ降らなかったものの、風もなく、絶好のゴルフ日和。
もうちょっと頑張りたかった.....



次に訪れたのが、妙法寺。
これは、仁王門。



これは、苔石段。鎌倉にはよく見られる階段だが、この階段は通行が制限され、その脇の階段を上る。
妙法寺は、日蓮聖人が、布教のため、千葉から鎌倉に入り、最初に小庵を結んだ場所と伝えられる。その後、護良親王(もりながしんのう)皇子である日叡が、悲壮な最期を遂げた父母の供養と日蓮聖人の遺跡を守るため建立したという。



これも、鎌倉でよく見る石窟があった。化粧窟と呼ばれている。



法華堂。
南無妙法蓮華教。
まさに妙法寺。



日蓮聖人お手植えの蘇鉄と伝えられる。



そこからさらに苔石段が。



あったのが、護良親王(もりながしんのう)のお墓。後醍醐天皇の第三皇子で、28歳で亡くなられた。



日叡聖人と日蓮聖人のお墓。



ここからも、鎌倉の街が一望にできた。
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