かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

草原の制覇

2020年04月25日 | Books


今日は、コロナのおかげで、12連休の初日の人も多かったらしい。
私は、違うのだが、近所を散歩したら、結構、人は、出ていた。
屋外なので、密集という感じでは全然ないが。



近所のハイキングコース。
昔歩いたことがあったが、本当に久しぶり。
昔は、もっと広々していた記憶だったのだが、家や、アンテナがたって、ちょっと狭くなったか。



東京湾を一望にできすすばらしい眺め。
反対側には富士山が見えるのだが、今日はあいにく雲で、てっぺんがちょっと見えただけ。
富士山100景の一つに数えられているらしい。



近くでとれた野菜の即売所。



森や、生息している生き物の紹介。



あまりの好天に、リスも昼寝中。



岩波新書の中国の歴史シリーズ第三弾。
本書も、読み応えのある1冊だった。

前回は、南中心の話だったが、今回は、北中心の話。
南は、船、北は、馬のイメージはあったが、こんなダイナミックな動きが、断続的に続いていたイメージは、なかった。

モンゴルが制覇するまでは、北は、中華から見て、辺境という捉えていたが、実は、そのようにきっぱり分けられるものではなく、押したり、引いたりを続けながら、混然一体となっていった。
筆者は、ユーラシア東方史という言葉を使われているが、まさにという印象。

漢の時代の匈奴との抗争はよく聞いていたが、それが、五胡十六国の時代に、北が南下した時には崩れていて、唐も軍事面については、北の勢力に頼る状況。だからこそ、ユーラシア大陸西方まで勢力を広げることができた。
そして、唐が滅びた後は、契丹・西夏と北宋が、並立する時代となる。
契丹がこんなにしっかりした国であった認識も、恥ずかしながらあまり持ち合わせてはいなかった。北宋は、契丹に貢ぐことにより、並立を保った。
軍事面では歯が立たなかったが、豊かな経済力を背景に、この体制を保つことができた。
契丹も、元は、遊牧民だが、自分の文化を守りつつ、隋唐の仕組みなども取り入れ、国として、長期に存続することができた。

ちなみに拓跋とか、契丹とか、聞きなれない中国語は、全て遊牧民の言葉を音写したもの。そして彼らは、独自の文字を持ち続け、それを元の時代、清の時代へと、発展させていった。

元は、もちろんチンギスカンからスタートしたが、ものすごいスピードで勢力を伸ばした。
モンゴル民族というイメージだったが、ウィグルや、チベットなども、巻き込んだ、騎馬民族による支配の時代だったといえる。
滅ぼされた南宋だが、それを破壊するのではなく、そこから得る富を、元に還流することにより、大きく繁栄した。
その発展のスピードが速かった分、瓦解のスピードも速かったのだが。

中国の覇権争いの凄さを改めて感じさせてくれる。
騙しあいも当たり前。
島国日本とは、全然違うマインドが醸成されてきた歴史もよくわかる。
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江南の発展

2020年04月24日 | Books



今日は、いい天気。
でも、コロナの出口がさっぱり見えない。
岡江さんの訃報も。
ご冥福をお祈りする。



岩波新書の中国の歴史シリーズ第二弾。

5巻で、中国の歴史を俯瞰しようとする大胆なシリーズなのだが、切り取り方が、ややユニークで、単に年代毎に輪切りにするのではなく(4巻、5巻は、中国全体が一体としてとらえられるようになるので、ほぼ輪切りになるが)、地域毎にその歴史を振り返る。
本書の取り上げるテーマは、題名にもあるように、江南、長江エリアを中心としている。

三国史で言えば、呉の国辺りが、中心となろうか。
とはいえ、江南地区で起こった王朝が、大きくなり、華北地区にも影響を及ぼせば、その地まで話が及ぶ。
そもそも中国は欧州より、面積も、人口も、大きく、それを一括りで説明するのは無理がある。
欧州で、それぞれの国に歴史があるように、中国もそれぞれの王朝の歴史からひも解いていくのが本来なのだろう。

本書で、特に面白かったのは、北宋、南宋の時代。
古代史が好きなので、どうしても隋唐時代中心に見がちだったが、その後の時代となる、日本で平安時代にあたる、北宋、南宋の時代、現在の中国につながるような大きなベースが、この時期にできてきたことがわかる。
当時も、日本との交流はあり、日本の皇室を維持しながら、摂政、関白が実際の政治を行う仕組みに関心を示していたという。中国は、王朝自体が変わってしまう。
また、民と国との関係も、違う。
民は、民の中で、結託し、国に対しては、科挙でその民から合格者を輩出することにより、つながりを持つ。
科挙合格者を出せなければ、国の存在は、邪魔でしかなくなる。
当時の科挙合格者の比率を調べると、南の方が圧倒的に多かったという。
それだけ、江南が栄えていた時代。
昔、4時間ぐらい並んで、北京の故宮博物館にある清明上河図を見たことを思い出した。
たぶん世界一の繁栄だっただろう。
しかし、無能な徽宗のために、あっという間に衰退する。
徽宗の芸術的才能は、それこそ世界一だったかもしれないのだが。

ダイナミックな中国史を、コンパクトに明らかにしてくれる本シリーズに拍手。

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Louise Harrison

2020年04月23日 | The Beatles


George Harrissonの母であるLouise Harrisonさんのサインをゲット。
これは、表。
初めて見たが、サージェントペパーズの宣伝用のブロマイドか。
本物と見まごうばかりの4人のサインのコピー付き。
Ringoと、Georgeは、青のペン、Johnと、Paulは黒いペンによる。



そして、これがLouiseさんのサイン。
Dorothyさん宛。

Louiseさんは、1911年生まれで、1970年に亡くなられている。
1930年に結婚したが、Georgeが生まれたのは、1943年。
長女のLouiseは1931年、長男のHarryは1934年、次男のPeterが1940年に生まれている。
Georgeは、三男だったが、ずいぶん可愛がられたようで、当時の写真も残されている。

ビートルズが売れてからも、Georgeの活動を熱心に支援していたということなので、このサインもその一環なのかもしれない。
バングラデッシュのコンサートが、1970年8月1日で、亡くなられたのが、1970年7月7日なので、Georgeの晴れ姿は、残念ながら、見ることができなかったことになる。

お二人にとっては、さぞ残念なことだったろう。

Georgeのお母さまの愛情が伝わる1枚。
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HENDRIX THE FILMORE EAST CONCERTS

2020年04月22日 | Music


ジミー・ヘンドリックスの最新ライブ盤。
もちろんずっと昔、50年前のフィルモア・イーストでのコンサート。
まさに1970年代の幕が開いた、1969年12月31日の2セット、1970年1月1日の2セット、計4つのステージが5枚のCDに収められている。
12月31日のセカンドセットが、蛍の光の演奏から、カウントダウンからの音から始まっており、70年代最初の音ということになる。
私が、小学生最後の正月を仙台で迎えていた頃。

いろいろ調べると、この伝説的なコンサートの音源はこれまでも何度も出ているが、今回のが一番完璧らしい(と言ってもまだ漏れているらしいが)。
これまで出ていたもの、未発表のもの、初CD化(映像作品には既出)、未発表のオリジナルバージョンのリミックス、10数年振りのCD化、新リミックスと、5つのカテゴリーに分けられている。

通しで聞けるので、違和感なく、その時のすばらしい音を堪能できる。
ギター、ドラム、ベース、ボーカルのバランスもすばらしい。



それにしても、新しい、そして1ヶ月半しかもたなかったのバンドの緊迫の演奏は凄いし、音も綺麗に残っている。
アレンジも凝りまくっており、同じ曲でもその度にアレンジが異なっていて、そのテクニックも凄すぎる。
これを聞いたら、時代はちょっと違うが、この前聴いたCREAMなんてと思ってしまう。

この年にジミーは亡くなってしまうわけだが、新たな挑戦心に満ちた彼がここにいる。
Stone Free では、CREAMのSunshine of Your Love も入れている。
最初のステージの方は、新曲が多いが、最後の方になると、エクスペリエンス時代の曲も増えてきて、結局代表曲のかなりの部分が演奏されることになった。
アンコールは圧巻だ!
新たなメンバーなので、相当の練習を積んで、本番に臨んだという。



BYRDS、BLOOD SWEAT TEARS、GREATFUL DEADというそうそうたるメンバーが前後に出演していたことがわかる。

ジミーのオフィシャルアルバムは4枚しかないから、その4枚を押さえた後は、これか、Woodstockということでいいのではないか。
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Mersey Beat Vol.1

2020年04月21日 | The Beatles



Mersey Beat 誌の第一号をゲット。
リバプールのキャバーンクラブで活躍しているグループの情報を世界に発信し、ビートルズの飛躍のきっかけにもなった新聞だ。
ジョンの同級生だった、Bill Harryが発刊した。
出たのは、1961年7月6日で、1964年まで続いた。
以前紹介した、カメラマンのDick Matthews と組んで、月2回のペースでの発刊。
手作り感あふれる新聞だった。

第一号は、5,000部刷ったが、売り切れたという。
最終的には、75,000部まで発行部数を伸ばした。
値段は、3ペンスとなっている。
表紙の写真は、ジーン・ビンセント。
ジョンが最初にギターを買ってもらったFrank Hessyの広告も。



2ページ目には、Bill Harry による、発刊の辞が。
かなりの苦労を経て、発刊に漕ぎ着けた。
ジョンによる、ビートルズ誕生秘話が掲載されている。
Beatlesに関する本格的記事第一号?
最後に、Pete Bestがメンバーに加わった様子が語られる。
広告の募集も。



Spartacusの映画の紹介も。
クラシックコンサートの案内等もあり、ロックに特化した雑誌ではなかった。
Cilla Blackや、キャバーンクラブの紹介記事も。



最終ページは、キャバーンクラブの全面広告。
音楽のジャンルは、JAZZになっている。
メンバーシップフィーは、1/ーとあるが、1ポンドという意味か。

Mersey Beat ブームの火付け役になった、雑誌の貴重な第一号。
博物館もの?

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