まん延防止地域も広がり、ますます静かな1日。
とりあえず、拡大を止めなければ始まらない。
本CDは、日本公演前に予約していた。
公演終了後日本でも、リリースになり、最速でゲットしたが、公演には行っていたので、ちょと聞かないでいた。
日本公演前のアメリカ公演の最終ワシントンDCの9月の公演と、その前月のオルバニーでの小規模会場での音源。
オルバニーの音源は、ボーナストラックという位置づけだそうで、アメリカ盤には入っていないのかもしれない。
日本公演の寸前のコンサートの音源だから、構成、アレンジは、基本的には同じ。
ただ、やっぱり生の方が迫力はあるかな。
あれだけの複雑なアレンジの曲を、生で、大人数で繰り広げるスリリングかつパワフルな雰囲気が、CDだといまいちなのかな。
3人のリズムセクションが、入れ替わり立ち代わり演奏したり、ばらばらに演奏したり、ユニゾンになったりという視覚から得られる面白さが味わえないところから来た差か。
一方、コンサートでは圧倒されて、聞き逃していた、細かい工夫が、CDだと聞ける。
CD向けの曲と、ライブ向けの曲という違いもあるかもしれない。
もちろん毎日セトリが変わるから、聞けなかった曲も入っている。
即興と思っていたところが、CDでも聞けて、このツアー内での、予定されたアレンジだったことがわかったりもする。
ただ、このコロナ禍の不安だらけの中で、最後になるかもしれない北米公演、日本公演を敢行したKCの熱演の記録として、そしてそれに参加したファンの思い出として、貴重なセット。
公演に行けたことも合わせて、宝物だ。
ライナーノーツも結構充実していて、フリップの日記には、ワシントン公演の終了後、アメリカでの52年の活動が終わると記されている。
最初の公演は、1969年10月29日で、オープニングは、今回のラストソングとなった21CSMとある。
意図的ではなく、たまたまだったらしいが。
本公演を敢行するにあたっての、保険会社との交渉、渡航許可の苦労なども、記されている。
その後の日本公演も含めて、奇跡の公演だったことがわかる。
本書は、出たばかり。
題名を見て、即ゲット。
内容は、???だった。
前段で、日本語の期限について、北方起源説、北方語と南方語の重層説、チベット・ビルマ語起源説、タミル語起源説、日本語古層説が紹介される。
私が認識している範囲では、タミル起源説については、???だったが、他の諸説は、一部そうかなと思われるものがあったりするが、全てを説明できる説はない。
本書は、それらの説と全く異なる上古漢語発音説を唱える。
それを、辞書のように、新書一冊に収まる範囲で解説してある。
いうまでもなく、漢字には、音読みと訓読みがあって、音読みは、呉音から来ており、訓読みは、日本語読みだ。
その訓読みが、古い漢語の発音から来ているというのが本説になる。
その漢語は、単なる熟語ではなく、熟語が2つも、3つも、重なっているという。
たとえば、クジラの語源は、
海(ク)獣(ジ)類(ラ)で、この海獣類は海獣と、獣類の2つの熟語の合成となる。
この例では、発音が、イメージしやすいが、上古漢語の発音が、発音記号で、表記されており、どの程度、日本語の発音と近いのか、イメージが湧きにくいケースは多い。
最後の章は、古事記に出てくる神々の名の語源について考察している。
例えば、天照大御神は、遠(オン)照(セウ)臨(リム)政(シャウ)柄(ヒャウ)用(ユウ)兵(ヒャウ)権(ゴン)となるのだが、なかなかすっと来ない。
まずこの日本語読みがあって、そこに天照大御神という漢字を当てたということになる。
太安万侶の遊び心?
それよりも、単純に疑問に思うのは、上古漢語を使える人が、日本語の起源を作ったというのであれば、当然、人の行き来があったことが前提になるが、その時、なぜ、漢字と共に伝えなかったかということだ。
この上古漢語の読みは、漢字との1対1対応になっており、その人々は漢字を使えたはずなのに、発音だけ伝えたというのは、あまりにも不自然ではないかといのが、率直な感想だ。
漢字が日本に伝えられたのは、もっと後で、それも、かなり最初は、稚拙だった。
この説がどの程度他の研究者から支持されているのかわからないのだが、クジラのケースのように、そうかな?と思える事例もあり、やはり日本語の起源は、様々なケースが入り混じっているような気がする。
寒い日が続く。
オミクロンも蔓延しているので、風邪をひかないようにしなければ。
横尾忠則シリーズ最終回。
本書も、氏のオンラインショップでゲット。
ご本人のサイン入り。
元々ユリイカに連載していたエッセイを、2015年に単行本化。
そして、2020年に文庫化したとのこと。
今回ゲットした一連の横尾さんの本の中で、書としては、本書が一番、横尾さんを知るには充実している。
どのように横尾さんが、今の横尾さんになっていったのか、きちんと、描かれている。
そもそも本は、あまり読んだことがなかったそうだが、奥様が、金閣寺をゲット。
その後、三島由紀夫との親交が始まり、それがきっかけでインドにもはまる。
ビートルズへの関心もこのころから。
ところが、三島の自決で、大きく流れは、変わっていく。
ジョンとヨーコに会った話と、その後にTVに出演した話も出てくる。
大きかったのは、1980年のピカソ展を見たことで、そこから、画家に転向。
目立ちたがり屋のキャラで、いろんな人が寄ってくると自覚している。
映画製作、小説家等、活動の幅を広げながら、今に至っている。
芸術家というのは、いろんな風変りな人がいるが、横尾さんは、その中でも、かなり変わったタイプだろう、
ただ、いろんな絵、本、人、事件に影響を受け、自らを変えていったことがわかり、その点では、普通の人と変わらない。
ただ、その変化の幅が尋常でなく、自らの想定をも上回ってしまったということではないだろうか。
面白かった。
以下後日談。
数日後、全く同じ5冊の入ったパッケージが到着。
照会のところ、先方間違いで、返送したら、わび状と共に、饅頭が。
ご丁寧なことに、息子さん直筆のわび状だった。
娘さんは、画家で、オリンピックの際、丸ビルと新丸ビルで、お父さんとセットで、大壁画を披露されていた。
開けて、またびっくり。
御馳走様。
流石に寒くて、着ぶくれで、スコアは散々だったが、できただけで、良しとしよう。
横尾忠則第4弾。
瀬戸内寂聴さんは、昨年11月に亡くなられた。
講演会に2回ほどお邪魔できたが、前向きな姿勢を貫いている姿に感銘を受けた。
長い人生、様々な経験を踏まえて、悟りの境地に達しておられたように見えた。
でも、もちろん人間だから、もっと卑近な話もたくさんある。
本書は、そんな寂聴さんと横尾さんとの往復書簡。
週刊誌に連載されていたようだが、週刊誌は読まないので、知らなかった。
期間は、2019年8月から、2020年末までだが、瀬戸内さんの後書きを読むと、その後も続けられるつもりだったようで、確認はしてないが、続いたのかもしれない。
本書も、横尾さんのオンラインショップでゲットしたため、サイン入り。
本往復書簡は、瀬戸内さんの提案で始まったそうだ。
ナイショ文とあるが、確かに知らない話がたくさん。
横尾さんが、比較的今の話題が多いのに対し、瀬戸内さんは、過去の話も多い。
共通する友人の話が一番盛り上がるが、三島由紀夫は、本当に強烈な印象を二人に残したことがわかる。
後半コロナの話が多くなるが、日本中そうだった。
お二人とも、高齢で、かかったら、厳しいと自覚されていたようだ。
横尾さんが、瀬戸内さんの長生きのために絵を描くことを進め、その上達法も伝授している。
その甲斐があったのかどうかわからないが、翌年100歳を目前にして亡くなられた。
長生きのコツは、のんきに生きること。
水木さんも言っていた。
比叡山での修行も、効果があったと瀬戸内さんは、言っている。
90代後半の女性と、80年代前半の男性との往復書簡。
老境とはどのようなものかも、垣間見せてくれているように思う。
今日は、ゴルフの予定だったが、朝の気温が、マイナス5度という予想で、キャンセルさせていただいた。
グリーンもコチコチだったろう。
夜は、またライブへ。
元々予定になかったのだが、アンケートに答えたら、当たった。
ラッキーかつ、興味はあったコンサートだったので、良かった。
前に、当たったことがあったが、全く?だったこともある。
先週と同じ、ビルボード横浜。
やはり、横浜独特の匂いがあっていい。
今日のライブでも、横浜ならではの演出があった。
港のヨーコ?
Travellersは、全然知らなかったのだが、久留米のバンドという。
ギター+ベース+ドラム+サックスで、藤井さんが加わって、サックス2本。
迫力のある演奏で、ノリもよく、ダブルサックスも心地よく、楽しめた。
曲は、50’sが中心で、今は、あまりライブでは聞かない。
ビートルズが、デビュー前に聞いていた音楽。
一旦ロックが花開きかけて、しぼみかけた頃。
当時は、まだロックがこれほど中心ミュージックになるとは思われていなかったが、ビートルズが、その後の音楽の歴史の土台を作った。
オリジナルは、たぶんアンコールの2曲のみ。
元チェッカーズの藤井さんは、サックス中心だが、1曲だけ、ボーカルも。
低音の、渋く、なめらかなお声だった。
ダブルサックスの掛け合いは、なかなか見られない迫力だった。
息継ぎなしの、演奏合戦は、見応えがあった?
ちょっと古臭い洋楽ファンにお勧め?
先週行ったお店が、まん防で、閉まっていたので、新規開拓。
厨房と、みなとみらいの夜景が楽しめる絶好のポジ。
帰りの歩道橋からの景色もザ横浜。
楽しい夜だった。